「午后一時頃、雨はピタリとやみ、空を覆っていた雲は散り失せて、太陽が薄灰色の光を放って次第に暗くなるように見えた。われわれは有明けの月を見るように、ベールに包まれたこの珍らしい太陽を見詰めていた。すると真珠草の灰色の光線が銀の円盤のようにかわり、次第に大きくなって、突然太陽が雲の間から輝きはじめた。そして、忽(たちま)ち灰色の光の円盤の中で火の車のように回転しはじめ、幾百条とも知れない光線が四方に放たれ、回転するに従って光線の色が変化した。雲も、地も、木も、岩も出現を見る三牧童も、これを見守る大群集も黄、赤、青、紫と次ぎ次ぎに色どられて行った。太陽が一時回転を停止すると、再びさらに強い光を放って踊りはじめた。そのうちに、また回転を停止したが、こんどは如何なる仕掛け花火の名人も想像することが出来ない不思議な花火を散らしながら、三度運動を開始した。大衆が受けたこの印象をなんと表現できようか? 観衆はただ恍惚として動かず、唾ずをのんでこの光景に見入っていた。すると、群集は太陽が大空を離れてジグザグに跳ね返りながら、自分たちの頭上に飛びこんで来るのを見た。
『ああ!』と恐怖の叫びが一斉に起こった。すべてのものが聖書の予言にある世の終わりの光景を思い出した(編者:マタイ24・29、ヨハネ黙示12・1、同16・8等)のであろう。
『奇跡だ!奇跡だ!』『私は神を信じます』『主よ、憐んで下さい』『めでたし聖寵充ち満てるマリアよ』と口々に叫ぶ声は壮烈たるものであった。
太陽の回転は中止時間も加えて十分間ぐらいだった。参加者は例外なしに一人残らずこの回転を目撃した。その中には信者もいれば信者でない人もいた。学者も、新聞記者も、自由主義者もたくさんいた。そして驚いたことには、数分前に雨でぬれ、泥にまみれた着物がすっかり乾いていたことだった。」
後年、教会がこの奇跡について調査したとき、コーワ・ダ・イリアを去る五キロ以上の地にいた者までが、何の予告もなく、なんの暗示や集団的錯覚の影響をも受けないで、太陽の回転を見たことが明らかにされた。
(『現代の危機を告げる ファティマの聖母の啓示』より引用)