超教派ギリシャ巡礼・訪問地の案内

●1日目 2019年10月26日(土)到着日──ギリシャへようこそ!

「ヘラス」としても知られるギリシャは、ヨーロッパの南方あるいは南東部に位置し、約1100万(2016年統計)の人口を持つ国です。首都はアテネで、最大の都市でもあり、第二の都市テサロニケがそれに続きます。

ギリシャはヨーロッパとアジア、アフリカの交差点に位置しています。地中海盆地に非常に長い海岸線を持っており、その長さは世界で11番目にあたり、13,676kmに及びます。非常に多くの島があり、そのうちの227島に人が住んでいます。ギリシャの80%が山岳地であり、その中にオリンポス山(山頂2,918メートル)もあります。ギリシャは9つの地域、マケドニア、中央ギリシャ、ペロポネソス、テッサリ、イピロス、エーゲ諸島(ドデカネス諸島とキクラデス諸島を含む)、トラキア、クレタ島、イオニア諸島からなっています。

ギリシャは西洋文明の発祥の地とされており、民主主義、西洋哲学、西洋文学、歴史学、政治学、西洋演劇、そして科学と数学の主要な諸原理と、特にオリンピックが生まれた場所です。紀元前8世紀から、ギリシャ人たちは「ポリス」として知られるいくつかの独立都市国家を作りました。それらは地中海地域と黒海全域全体にまで及びました。紀元前4世紀、マケドニアのピリッポスがギリシャ本土のほとんどを統一し、その息子アレクサンドロス大王が東地中海盆地からインドにまで及ぶ古代世界の多くを短期間で征服しました。ギリシャは紀元前2世紀にローマ帝国に併合され、ローマ帝国とその後継者であるビザンチン(東ローマ)帝国にとって不可欠な部分となったのです。そこではギリシャ語とギリシャ文明が支配的でした。西暦1世紀に根付いたギリシャ正教会は、ギリシャの現代的な独自性を形づくり、ギリシャの伝統をさらに広い正教世界へと発信することに貢献しました。15世紀中頃にオスマン帝国の支配下に下り、現代のギリシャは独立戦争を経て1830年に現れました。ギリシャの豊かな歴史遺産は、18のユネスコ世界遺産に反映されています。

●2日目 2019年10月27日(日)アクロポリスとアエロパゴス

アクロポリス

アクロポリス

 

パルテノン神殿

今日は、あらゆる古代遺跡の中でも最も有名なアクロポリスを訪問します。その壁はマケーナー時代(紀元前1600年〜1100年)にさかのぼりますが、記念碑はアテナイの民主主義が全盛期であった紀元前5世紀のものです。パルテノンはアテーナー(知恵と戦略を司る女神)の神殿でしたが、ビザンチン時代(西暦330年〜1453年)には聖母マリアの教会となりました。長年にわたり、どの地震にも耐えてきましたが、1687年、オスマン・ベネツィア戦争の最中にベネツィア人によって爆破されてしまいました。紀元前334年にアレクサンドロス大王が初めてペルシャ人を破った時、大王はペルシャ人の甲冑(かっちゅう、全身を覆うよろいかぶと)を、女神アテーナーへの感謝のしるしとして300領(りょう)をアクロポリスに送りました。

アレオパゴス

聖パウロは西暦51年にアテネに到着し、アゴラ(市場)において教え始め、哲学者たちと論争しました。彼らは聖パウロをアレオパゴスに連れて行き、そこで議論を続けました。しかしながら、彼らが死者の復活について聞いた時、わずかな人しか関心を示しませんでした。この人々の中にアレオパゴスの聖ディオニシオ(使徒17・34)がいます。アレオパゴスを訪れて、使徒言行録から聖パウロの演説を朗読します。

●3日目 2019年10月28日(月)コリントとエピダウロス

コリント

コリント

聖パウロはアテネから、地理的な位置と商船ゆえに最も栄えた古代都市の一つであったコリントへ向かいました。多くの人々が彼の説教に反応しました。聖パウロはコリントのキリスト者たちに宛てて二つの手紙を書いています。

エピダウロスの劇場

エピダウロスは、医学の神であるアスクレピオスに奉献された広大な古代の霊的な病院です。この聖域は、紀元前6世紀から少なくとも2世紀まで活動していました。治療は断食や入浴、聖域内での睡眠や夢の解釈等が含まれていました。治療の一つに、エピダウロスの古代劇場で悲劇を観劇するというものがありました。古代劇場はアスクレピオスの聖域の考古学遺跡の内部に位置しています。エピダウロスの劇場は、アルゴスの建築家ポリュクレイトスによって紀元前340年に建設されました。美的調和と音響効果の完璧さと同様に、敷地との見事な統合を持つ他に類を見ない建築的偉業です。あらゆる古代劇場の中でも、エピダウロスの劇場は最も美しく、最も良い状態で保存されています。

●4日目 2019年10月29日(火)アイギナ島

アイギナ島

今日はアテネ近隣の島、アイギナ(エギナ)島に向かいます。この島は古代、紀元前480年にこの都市を破壊したペルシア人たちの侵攻から救うために、アテネ人が家族を避難させた場所です。その後、アテネ人は海でペルシア人を打ち破りました。

聖ネクタリオ

聖ネクタリオス

アイギナ島は今日では聖ネクタリオス(エギナの聖ネクタリオス、1846年〜1920年)の島として知られています。ここは彼が修道院を設立した場所であり、彼が埋葬されている場所でもあります。聖ネクタリオスは北アフリカのペンタポリスの主教でしたが、不正に迫害され、あらゆる迫害を忍耐と揺るぎない勇気をもって耐えました。彼は歴史家であり、著述家、詩人、音楽家、教師でした。聖ネクタリオスは多くの際立つ奇跡、特に病の癒やしでよく知られています。

●5日目 2019年10月30日(水)ネア・マクリ

聖エフライム修道院

聖エフライム修道院

聖エフライム修道院はネア・マクリのアモモン(ギリシャ語で無原罪)山にあります。聖エフライムは比較的最近の聖人ですが、その遺体がここにあることが発見されました。それはある修道女が啓示の夢を見た後のことで、聖エフライムは、自分の遺体が正確にどこにあるか、彼の実名が何であるかを示しました。それ以来、人々はここに修道院を建て、ここで祈り、聖エフライムを崇敬するようになりました。聖エフライムはその一生を通して奇跡を行ったと信じられているため、毎年、ギリシャ全土と海外から多くの人々がここに来て祈り、奇跡を願います。ここは疑いなく神聖な意味を持つ場所で、人々はここで平和と静穏さを見い出します。聖人の遺体は神の母の受胎告知修道院に安置されています。この広大な地区の静穏さは、霊的な刺激を与える平和なもので、辺り一帯が木に覆われています。この修道院はアッティカ地域でも最古のものの一つであり、地元の人々の心の中で特別な場所を占めています。ネア・マクリの聖エフライムは、1384年から1426年まで生きたと信じられており、殉教者として、奇跡を行う聖人として崇敬されています。

●6日目 2019年10月31日(木)アイギナ島

聖ポルフィリオス(1906〜1991年)

また一方で、私たちは非常に最近の聖人(1906〜1991年)である聖ポルフィリオスの修道院を訪れます。彼は非常に貧しい農家の出身で、8歳から14歳まで働かなければなりませんでした。彼はアトス山*に行って修道僧となりました。彼はそこで年老いた苦行者から驚くべき賜物を受け取り、予知(物事が起きる前に知ること)、識別と癒やしの賜物を獲得しました。学校にはわずか2年しか行かなかったにもかかわらず、彼は科学的な事柄を理解し、人間の体の病気を識別し、一人ひとりの霊魂の状態を見ることができました。しかしながら、彼の最も偉大な奇跡は、彼の神への、そして人類への深い愛です。

聖ポルフィリオのウェブサイト(ギリシャ語):http://www.porphyrios.net

*アトス山、アトス自治修道士共和国 ギリシャ正教最大の聖地、修道院共同体で一種の宗教国家である。正教会の聖地で「聖山」の名でも呼ばれる。ギリシャ国内にありながら同国より治外法権が認められ、各国正教会の20の修道院・修道小屋によって自治がおこなわれる共和国である。首都はカリエス。現在も中世より受け継がれた厳しい修行生活を送る修道士が暮らす。こんにち、約2,000人の修行僧が女人禁制のもと、祈りと労働の生活を送っている。

アトス山(ここは訪れません)

●7日目 2019年11月1日(金)デルファイ、聖ルカ修道院

オラクル(アポロの神殿)

デルファイはアポロ神礼拝の中心地で、オラクル(アポロ神殿)が有名です。ギリシャ全土、そして海外から人々がやって来て、オラクルを通して神々の助言を求めました。古代ギリシャ人はデルファイを世界の中心と見なし、オンパロス(ギリシャ語で「へそ」の意)として知られる石碑にそう記しました。デルファイは、古代ギリシャ競技祭典の中でもオリンピックに続いて最も重要な、ピューティア大祭の地でもあります。

聖ルカ修道院

聖ルカの修道院は西暦11世紀に建てられたもので、ギリシャのビザンチン遺跡の中でももっとも重要なものの一つです。ビザンチン皇帝たちが資金を提供し、イスタンブール(コンスタンチノープル)の職人たちによって建てられました。その芸術的価値により、国連が世界遺産に指定しました。

●8日目 2019年11月2日(土)ミケーネとナフプリオ

ミケーネ

ミケーネとティリンスの考古学的遺跡は、ペロポネソス半島北東部のアルゴリダ県に位置する、ミケーネ文明の二大都市の印象的な遺跡です。技術的あるいは芸術的な功績だけでなく、霊的な豊かさによっても名高く、紀元前1600年から1100年にわたって地中海世界に広まり、古代ギリシャ文化の発展に極めて重要な役割を果たしました。宮殿による統治システムや歴史的建造物、印象的な工芸品、線文字B(クレタの古代文字)で温存された最初のギリシャ語の粘土板などが、ミケーネ文明を特徴付ける独自の要素です。この文化は偉大な詩人であるホメーロスに有名な叙情詩を書く着想を与えました。

ライオンの門

近代になって、考古学者ハインリヒ・シュリーマンによってミケーネが1876年に発見され、ホメーロスによって描かれた古代ギリシャ世界は神話ではなく、現実に存在していたことが証明されました。ミケーネの砦(とりで)は、アルゴリダ平原を支配するための戦略的な位置にあり、神秘的なアガメムノン王の王国であり、ギリシャの青銅器時代後期の最も重要かつ裕福な宮殿の中心地です。ミケーネ文明の名はギリシャの先史時代の偉大な文明の一つに数えられ、その神話が歴史に関連するゆえに、支配者たちや支配者たちの家族(クリュタイムネーストラー、イフゲニア、エレクトラ、オレステースといった)は、古代から現代まで、何世紀にもわたって、詩人や著述家、芸術家たちに着想を与えてきました。巨大な防護壁や有名なライオンの門などの歴史的建築物の土台は今でもこの場所で見ることができます。

ナフプリオの街並み

ナフプリオの町には、ミケーネの時代から継続して人が住んできました。最近では、1823年から1834年にかけて、現代ギリシャの第一首都でした。伝統的で絵画のように美しい特徴を残しているという事実のために、ギリシャと海外の訪問者に一番人気の場所です。その建築物のいくつかにはヴェネツィアの影響を見ることもあるでしょう。