2017年ロシア巡礼・ヴァスーラの歓迎の挨拶
ここにいらっしゃる皆様全員に、歓迎のご挨拶をお送りします。私たちの中には、今回初めて参加された新しい高名な来賓の方々がおられます。私たち全員からこう申し上げます、「エル・サラーム・アレイクム(神の平和があなたの上にありますように)」、そして「シャローム(平和)」と。私たち「神のうちの
私たちは今回初めてここロシアに集まりました。「どのようにして分裂に橋を架けるのか」をテーマに、神のみ心に沿う特別な貢献を果たそうとする私たちの道筋を照らしてくださるように、私たちの祈りを一つに合わせて、全能の神に祈るためです。
宗教間の対話とは、それ自体が常に貴重な源泉でした。なぜなら、それは異なる信条を持つ人々、異なる考え方、異なる伝統と国籍を持つ人々を団結させ、互いを霊的に近づける要素を一緒に見つけ出させ、それに基づいて、共通の対話を構築することができるからです。この数日間に私たちが分かち合う対話は、私たちだけの間に留まるべきではありません。私たちの心に一番触れたものを家に持ち帰り、自分たちの民にそれを手渡し、彼らに教え、教育しなければなりません。
神は何処にでもおられることを人々に思い出させることは、何にもまして、私たちの神に対する義務なのです。神は今でもなお、被造物である人類の恋人であられます。私たちの神はまったく寛大で、怒るに遅く、いつくしみ深いのです。人々に思い出させ続けなければなりません、私たちは神の子どもとして、平和のうちに生きるべきであることを、なぜなら神は戦争の神ではなく、平和の神であられるからです。また同じく、私たちは皆一つの源、私たちの父である神から来ているということも、彼らに思い出させ続けなければなりません。
地球上で、私たちは神が創造された同じ太陽の下で暮らしています。私たちは神の光の下で暮らしているのですから、この美しい惑星の上で暮らしている一つの大きな家族なのです。神が私たちのために創造され、贈り物としてお与えくださった惑星です。ですから、私たちがどのような信条を持っているか、世界のどの場所から来ているかは関係ありません。違う宗教に属するからといって、神の似姿として創造され、最終的には神の家で暮らすべく創造された被造物として不足だということではありません。人間として、私たちは基本的に同じものを必要としています。私たちは皆幸福を求めており、健康を求めており、愛されることを望んでいます。平和に感謝しない人がいるでしょうか? 健康を喜ばない人がいるでしょうか? そして愛されることを拒否する人がいるでしょうか? 誰もいません。
私たちはここでは少数ですが、家に帰ったら、パン種(イースト)のように行動するべきです。混沌がある世界中に平和を広めるために、憎しみがある所に愛を広めるために、分裂のあるところに一致をもたらすために、このようにして私たちは神の似姿を反射するのです。自分が愛する人々たちだけの面倒を見て、無関心でいてはなりません、そうではなく、私たちの愛を知らない他者にさえ広げて、神がすべての被造物に新しい心を与えてくださるよう祈らなければならないのです。
ですから、私たちはこの集会において、理解と互いの宗教的伝統に対する尊敬を促進するという目的を持って、心から近づくべきです。そして互いの名誉を傷つけることは慎むべきです。これによって、神は私たちの側に立たれ、和解、平和、愛という祝杯を勝ち取ることができるでしょう。
キリスト教の聖書にはこう書かれています。『「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます』(1ヨハネ2・9)
ですから神に求めましょう、私たちのうちに清い心を作ってくださるように、神から来る知恵を得ることができるように、私たちを神の光の中に導き、神の目にふさわしい高潔さへと導いてくださるように。神は私たち一人ひとりに、神の聖なる義の道に入るように求めておられます、私たちのいのちは変容し、この変容によって私たちは世界を変えることができます。神は私たちに、断絶を修復する者、平和を築く者、聖性の実をつける種を蒔く者となるように求めておられるのです。
私たちは、丘の上に置かれた都市のようになるべきです。この都市は隠されることがありません! 私たちが神の家で育つオリーブの木のようになり、神の愛に信頼することによってのみ、これは可能となります。どんな善い行いの中にあっても、神のみ心を行うことができるように、平和の全能の神が整えてくださいますように。そして私たち全員を、神が受け入れてくださるような者へと変えてくださいますように。