2019年ギリシャ巡礼・ボー・ウエステルガルド牧師

「互いへの神的な愛は、私たちを皆、神における一致へと結びつける」

このテーマについて、実践的な観点からお話しようと思います。

去年、2018年の春先になりますが、毎年恒例のミーティングをスウェーデンの仲間と開きました。このミーティングではよくすることなのですが、一人ひとりが、「神のうちのまこと のいのち」にどのように出会ったのか、また、「神のうちのまこと のいのち」が自分にとってどのような意味を持つのかを分かち合いました。ところが今回は、どういうわけか、私たちの間で、何かとても強い霊的なつながりを感じたのです。それはどういう感じだったかというと、まさに今回の巡礼のテーマである「互いへの神的な愛は、私たち皆を神における一致へと結びつける」という具合でした。

この体験から少しして、私たちはある種の(祈りの)共同体を作ることを考え始めました。その共同体では、同じ霊性を共有し、共通の規範をもつのですが、しかし会員は自分の普段の生活を生き続けるというものです。(カトリック教会でいう、信徒の第三会のようなものです。)

私は常々思っていたのですが、「神のうちのまこと のいのち」はこの手の共同体とは少し違います。なぜなら、共通の規範もありませんし、会員リストがあってその人々のために日常的に祈らなければいけないわけでもありません。誓願もありません。そしてもっとも大切なことは、メッセージの中に、それらを実施するように呼びかける文言もいっさいありません。しかし、そのとき、私たちは、それをやってみなさいという呼びかけを強く感じてしまったのです。そしてまた、私は以前に、フィリピンの「神のうちのまこと のいのち」の友人たちが同じようなことをしたという話を聞いたことがありました。

祈りの集いは、確かに、「神のうちのまこと のいのち」の人々の親交と愛が育つべき場なのですが、しかしときには、こういうことも起きます。たとえば、グループの一人が高齢になって参加が難しくなったり、他の一人は病気にかかってしまったり、他の人は別の町に引っ越してしまったり……。そして突然、自分がたった一人になってしまうということもあります。「神のうちのまこと のいのち」の読者は、少なくともスウェーデンでは、この町に一人、別の町に一人、という風な感じで、国中に存在しています。 そういうわけで、私たちは祈りの集いとは別に、それとは違う方法で自分たちの結束を固める必要性を感じたわけです。

会にとって本質的なことはもうすでに与えられています。日常的な三つの祈り。共通の霊性はメッセージ。会の規範も、「神のうちのまこと のいのち」のメッセージの中にポイントはいくつも見い出せますが、たとえば、1990年2月9日の次のメッセージがあります。

「あなたたちに断食と償いを望んでいる。なるべくしばしば聖体を拝領するように望んでいる。毎日聖書の中から読むのを望んでいる、犠牲によって他の人びとのために償うことを望んでいる、ロザリオの祈りを望んでいる、そしてできれば、三つの奥義を全部祈ってほしい(このメッセージは教皇ヨハネ・パウロ二世が光の神秘を追加する以前のものです)。私は聖であるがゆえ、あなた方に神性を取り戻させ、聖なる生活を送らせようと目指している。これが私の指針である。あなたたちが日々、自分を明け渡すのを望んでいる」

これこそ、イエスが私たち、メッセージの読者全員に求めておられることです。しかしながら、私たちのうちで何人が、これを忠実に守っているでしょうか? 簡単なことではありませんね。共同体を作る目的のひとつは、お互いに助け、支えあうことなのです。メッセージを読むだけではなく、実際にそれを生きることができるように。

もちろん、「神のうちのまこと のいのち」のそれぞれの団体が、「一致」を生きる、という特別な呼びかけに応えています。それは、町や小教区のレベルだけでなく、その共同体の中ででもそうです。これもまた、必ずしも簡単なことではありません。私たちを一致させるもの、それは神からいただく愛です。この巡礼のテーマそのものです。私たちは全員、メッセージにある神の愛に心を動かされました。ですから、これは大いに期待できると思うのですが、神からいただいたこの愛を、少し、お互いに与え合うこともできるでしょう。さらには、私たちが出会うすべての人々にも。

では、普通の「神のうちのまこと のいのち」の読者の会の家族的な友情と、この種の共同体との違いは何でしょうか? 本質的にはとくに違いはありません。趣旨は同じです。ただ会の形が異なるだけです。このような形の共同体は、ラルシュ共同体の創設者ジャン・ヴァニエの言葉を借りれば、「言葉の友情」です。私たちは、互いをもっと気づかわなければいけませんし、互いのためにもっと祈らなければなりません。それも一人ひとりの名前を声に出して。

こういうことをすると、当然のことながら、グループの中に小さな仲良しグループができあがることで、リスクももちろんあります。でも、私はこのようなリスクよりも、得られる利益のほうがより大きいと信じています。

スウェーデンで共同体を始めたとき、まずは一年やってみようと決めました。そしてその後、結果を検討して次を決めようということになりました。そして一年が経過したあと、全員一致で、続けようということになりました。本当によい経験を得られたのです。「互いへの神的な愛は、私たちを皆、神における一致へと結びつける」のです。