2019年ギリシャ巡礼・シャイフ・リヤド・アブダラ師

2019年ギリシャ巡礼・シャイフ・リヤド・アブダラ師

レバノンの霊的グループの会員
イマーム、演説家、教師
イスラム教スンニ派──レバノン

恵み深くあわれみ深い神(アッラー)の名において。

愛は人間の感情の中で最も崇高なものであり、神は愛によって、人間に他のものとは異なる存在となる特権を与えてくださいました。

キリスト教は、他のどの宗教も使わなかった名前で神を呼ぶという栄誉を神に与えました、それは「愛」です。キリストの弟子ヨハネは、その最初の手紙でこう言いました。「神は愛である。」

そして預言者ムハンマド、彼に平安あれ、を通して人々のところに来た導きであるイスラム教は、神についてこう言っています。

「最も恵み深く、最も憐れみ深く、寛大な……」。イスラム教の概念では、神は信徒の「頸動脈よりも」信徒に近い存在です。

私たちが話しているこの愛は、私たちが提案する単なる一つの宗教的概念ではなく、私たちの文化、私たちの意識に根付いた精神的な確信であり、愛無くしては、私たちはどうやってこの人生を渡っていけばよいのか分からないのです。

イスラム教の教義と法の専門家として私は、生命は愛に対して平等であり、愛は生命に対して平等であることを見ます。

今日の私のお話では、私たちが受け継いだ霊的遺産の中から二つのモデルについて話したいと思います。

一つ目は、信心深い女性、隠遁者です。この方はラービア・アル・アダウィーヤといい、信徒や神秘家の記録の中にも見られないほどの崇高な段階にまで、神への愛を高めた方です。彼女の言葉のいくつかが、この方が持っていた愛を明らかにします。

私はあなたを愛する二つの方法を持っています。
利己的なやり方、
そしてあなたに相応しいもう一つのやり方です。
私の利己的な愛の中では、あなたを、あなただけを思い出します。
もう一つの愛の中では、あなたはベールを上げられ、
私の目があなたの生ける御顔を楽しむのを許してくださいます。
どちらのやり方にしろ、私への称賛などありません
どちらにおいても、すべての賛美はあなたのものです

二つ目のモデルは、ジャラール・ウッディーン・ルーミーで、キリスト教における聖フランシスコと比較することができる方です。ジャラール・ウッディーンはイスラム教の修行僧の父です。彼はその四行詩の一つでこう言いました。

私の胸が愛の炎に捕らえられた時
その炎は私の心の中にあったものを全て焼き尽くした
私は繊細な心や、学校や、本を拒絶し
詩の技術を身につけ、詩を詠むことを学ぶために取り組んだ

そして、愛についての彼の言葉です。

もしあなたの中に私を見いださないのなら……あなたは決して私を見つけることはない。
なぜなら私は、時の初めからあなたと共にいるのだから。
神を探し求めているのなら、それが問題だ
神はあなたの中にいるのに、あなたにはそれが分からない。
あなたが自分であると考える、あなたの外見は限られたものである
しかしあなたの真の自己には限りがない
矛盾しているように見えるもの……それは理解しがたい調和
あなたは恍惚への変化をもって宇宙となる……

私たちが生きているこの第三の千年記は、愛の不在による千もの異なったやり方で動揺しています。私たちはこれらの愛に生きる人々の、愛と情熱と憐れみの精神から霊感を受けます。愛における最も高いレベルの完成に向けて努力するために、心の平和をもって、平穏に神へと歩いていくために。私たちの目にはもはや他者を見ず、兄弟姉妹と愛する者だけを見ることができるように。私のお話を終える前に、皆さんに地球と自然のことを思い出していただきたいことがあります。地球と自然の愛、これらは、私たちの最初の、そして最後の家だということを……