2019年ギリシャ巡礼・ルイス・エル・オウラチアルミ神父

コプト正教会

レバノン

父と子と聖霊の御名、(唯一の神) 、によって。アーメン
(注:「唯一の神」という言葉は唱えなくてもかまいません。ただ、アラブ社会においてキリスト者は皆「父と子と聖霊」と聖三位を唱えた後に「唯一の神」という言葉を付け加えます。イスラム教の人々に対して私たちが唯一の神を礼拝していることを証しするためであることを覚えておいてください。)
「神のうちの真のいのち」の読者の会に対して感謝いたします。
ヴァスーラ・リデンさんとこの祝された巡礼旅行のお世話をしてくださっている皆様に感謝いたします。
テーマは「互いへの神聖な愛は神と共に私たちを一つに結ぶ」です。
神聖な愛は三つの形で明示されます。

1. 造り主であられる神の愛
永遠の永遠から神は唯一であって、ご自身だけで十分であられますが、孤独なままでおられることをお望みではありませんでした。なぜなら神は私たちを愛しておられ、私たちが存在する前からでさえ私たちを愛してくださっていたからです。私たちを創造することを選ばれ、私たちの存在は、神の愛の実りであり、神の寛大さの実りです。

神の愛のしるしの一つは、神が創造の歴史において人を第六日目に造られたというものです。神は全てのものをご自身のために造られて満足なさいました。

ご自身の寛大さのみ業によって、昼を照らす太陽と夜を明るくする月や星を造られました。天体の法則を定められ、海や河川を画定されました。あらゆる動物や食物の特質を意のままに定められ、そして最後に人間を造られたわけですが、あらかじめあらゆるものを人間のために用意してくださったのです。

しかも神は、私たちをご自身の似姿に、つまりご自身に似たものとして創造されました。それは人が精神と霊を持つ存在として、また清さや純真さ、そして慈しみに満ちた愛で表された永遠の霊魂を持つ存在としてお造りになったという意味を持っています。同時に統率力と権威を持った存在としてお造りになった意味も含まれます。

そして神は人を愛しておられるゆえに、創世記に書かれているとおり、私たちをパラダイスに置いてくださいました。『主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた』(創2・8)。

同じように神は人への愛ゆえに、「人に合う助ける者」を創造されました。アダムはこう言いました。『ついに、これこそ、私の骨の骨、私の肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう、まさに、男(イシュ)から取られたものだから』(創2・23)。神は、産み、増え、地を満たすようにと、男と女を創造されたのです。(創1・27‐28)

私たちは皆、神の被造物であり、兄弟姉妹として造られているのです。

2. 羊飼いであられる神の愛
最初の人が罪に陥った後ですら、神は人を愛するのをおやめにはなりませんでした。アダムとエバに罰を下される間も、罰だけではなく、「女の子孫が蛇の頭を砕く」という救いの約束を与えてくださったのです。神は、蛇に対するようには、アダムとエバを呪いませんでした。神が人を愛し続けてくださった証拠は、神が律法と預言者によって人を養護なさろうとしたことに表されています。

人が堕落し、愚かにも「神はいない」と心の中でつぶやいた時、主は人のもとに預言者たちを送り、神の御声と神の掟を思い起こさせてくださいました。神の啓示と書かれた律法もお与えになり、預言者たちを送り続けて人々を導かれたのです。

神は人への愛ゆえに、良い羊飼いであられます。それはダビデが賛歌の中で言っているとおりです。『主は羊飼い。私には何も欠けることがない』(詩23・1)。

新約聖書において主は言われました。『私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる』(ヨハネ10・11)。

神はご自身の民が必要とする全てを詳細にまでお世話してくださいます。物質的にも霊的にもお世話してくださり、敵の手から守ってくださるのです。

モーセは言いました。『落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。……主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい』(出エジ14・13-14)。そして荒れ野において、主は、マナとうずらで彼らを養われました。

ダニエルは言いました。『神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいました』(ダニエル6・23)。また詩編34編8節を読むと『主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人を守り助けてくださった』とあります。

私たちのお互いへの愛は、私たちの人生を、またこの大会、この巡礼の旅、そして全ての参加者を、神の庇護の中に置くものです。

3. 父であられる神の愛
神は私たちへの愛ゆえに、私たちを息子、娘と呼んでくださいます。使徒ヨハネは言いました。『御父がどれほど私たちを愛してくださるか、考えなさい。それは、私たちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです』(一ヨハネ3・1)。

私たちは『天におられる私たちの父よ』と言って祈ります。箴言には『わが子よ、あなたの心を私にゆだねよ。喜んで私の道に目を向けよ』(箴23・26)と書かれています。

預言者イザヤは言いました。『しかし、主よ、あなたは我らの父。私たちは粘土、あなたは陶工、私たちは皆、あなたの御手の業(わざ)』(イザヤ64・7)。

ダビデが詩編103編で言っているように、「父」という言葉には、愛、優しさ、保護、思いやり、あわれみの意味が含まれています。『父がその子をあわれむように、主は主を畏れる人をあわれんでくださる。主は私たちをどのように造るべきか知っておられた。私たちが塵(ちり)にすぎないことを御心に留めておられる』(詩103・13-14)。

ですから、主が私たちの父であるなら、私たちは皆兄弟姉妹であり、この愛を神からいただいているなら、私たちは互いに愛し合わなければなりません。

皆さんの愛に感謝いたします。良き巡礼の旅でありますようお祈りします。
‐以上‐