これを私の手書きだと信じるのは間違っている

1989年11月7日 (ノート38)

私のイエス様?

私である。あなたに平和があるように。教えたようなやり方で私を受けなさい。花よ、私を愛し、私を吸い込み、私を受け入れ、私を反射しなさい、私の鳩よ。

私の主よ、どうしてスペルミスがあるのか、どうか理解させてくださいますか?

ヴァスーラ、それは私のものではなく、あなたのものだ。不完全で、多くの弱さがあるゆえにあなたを選んだ、神である私は、弱い道具を選ぶ、私の力は弱さのうちに最もよく現れるのだから。

ですが、ときどき私が知らない単語をお与えになります。

そうだ、必要であれば。私はあなたに筆記させているのであり、これを私の手書きだと信じるのは間違っている。

ではどうして筆跡が変わっているのですか、主よ?

このやり方が気に入っている。私の知識を書き留め、私の言葉を彼らと他の者たちにみことばで養うために、私の道具をありのまま、あらゆる不完全さやあらゆる弱さを持つ者として用いる。私の言葉はしばしば象徴的だが、彼らの多くが言葉通りに受け取ってしまうことを知っている。だがこれは彼らの弱さ、従順と、私に対する子どもの─ような─信仰、そして私を喜ばせたいという願いを反映している。試練を耐え忍ぶ者は幸い1

来なさい、私の子よ、望むように使わせてもらいたい。あなたのすべての犠牲は無駄にはならない。私と一つになりなさい、愛があなたを愛している

  1. ヤコブ1・12。