1989年10月のメッセージ

神を欲すること

1989年10月2日 in ノート37

イエス様?

私です。来なさい、私の子よ、手を取りなさい、ともに働こう。私は英知、あなたの師、だから私だけに頼っていなさい、誰も主である私以上の知識は与えられないと知りなさい。聴いて書くように。

被造物よ! 魂よ! 私を読む者よ、私の声を聞く者よ。私を賛美しなさい、私の栄光を称えなさい、朝から晩まで賛美しなさい、絶え間なく賛美し賞揚しなさい。決して私を賛美せず、栄光を称えもしない者たちの償いをしてほしい。私を祝福し、崇め、私を熱望しなさい。三人の若者たちの歌について誰からも教わらなかったか1? ではそれを学び、国々の間に知らせなさい。真理の霊はあなたたち皆と共におられる。私の小さな子どもたちよ、私はあなたたちが会いに来て祈りを献げている神であると思い出させよう。私は生ける神であり、口先だけで祈るならそれを感じる。あなたに私を望んでほしい …… 私を望みなさい、私を望みなさい、私を渇望し、熱心に探し求め、私以外は望まないように。たえず繋っていたいと望みなさい。私を喜ばせ、私を感じ、声を聞きたいと願いなさい、私の現存を望みなさい、この世の何ものにも欺かれないように。たとえ世があなたを憎むとしても、あなた以前に私を憎んだことを思い出しなさい。

私を第一に置き、私を無視して私の聖心を傷つけてはならない。そばにとどまっているなら、私の愛、私の平和を感じとれるだろう、そしてもっと近づくなら、私が天使たちと共有している天国の調和もあなたのものとなり得る。皆を永遠の愛をもって、地上では理解し得ない愛をもって愛している。来なさい、もし望むなら、神のうちのまことのいのちが何を意味するかを示そう、はっきり言っておく、愛のうちに生きる人は、あなたの神である私のうちに生きており、私もその人のうちに生きる。

眠りから目覚めなさい、無気力から目覚めなさい、そして自分を欺いてこう言わないように、「しかし私は主を愛している、主もそれをご存じだ、いつも愛してきたから良心にやましいことはない」と、今日私は言っている、私に立ち帰りなさいと、「どうやって立ち帰るのですか?」と聞くなら、回心してと答えよう、そして、「しかしすでに回心しています、どうやって回心すればよいのですか?」と言うなら、その時は、私を求め、渇望することによってと答えよう。聖なる者である私を探し求めなさい。来て私を礼拝しなさい、あなたの相続分が、私、あなたの聖なる者となるように。私の現存のうちにあってあなたの目を愛の涙で溢れさせなさい。

警戒していなさい、警戒していなさい、罪の原因を知らず、罪を感じず、善と悪の感党を失っていることがどれほど憂慮すべきかがあなたに分かったなら! 悪魔の策略に抵抗しなさい。祈りのうちに目覚めていなさい、私に向かって絶え間なく祈り、祈りを絶やさないように。私を絶え間なく望んでいると感じさせなさい。絶え間ない祈り、心から発せられた祈りとは、神を欲することである、愛する者たちよ。私の愛のうちに成長したいなら、無気力も口先の祈りも捨て去りなさい、絶え間なく祈るとは、あなたの主、私を欲すること。私のメッセージを理解しようと努めなさい。歓びのうちに私を求めなさい、口先だけではなく、心をもって私を望みなさい。アッバ!と叫ぶのを聞かせてほしい。だから今一度、幼子として私のもとに来なさい、私のもとに立ち帰り、心から願い、心から探し求めなさい、来て心を献げなさい。献身は魂を美しくする。真理から迷い出ないように、真理は愛であるゆえ、そこで愛あふれる私のもとを訪れ、私の心から愛を引き出すよう。真理にとどまり、絶え間なく私を望むことによって、真理のうちに住まうがよい、あなたが生きるために、このすべてを行いなさい。

この最後の日々、私の恵みの霊を全人類に注いでいる、最も小さな者にも与えると気づいただろう? 私を愛することを教えようと、私の恵みの霊があなたたちの世代に注がれている。私はみことばを思い出させる者として訪れた。この暗やみを私の光で照らすために訪れた。あなたたちに警告し、深い眠りから目覚めさせるために訪れた。怒りをもってではなく、あなたの国々をくるんでいる屍衣を取り外すために、愛と平和と慈しみをもって訪れた。私が聖なる者であり、あなたたちも聖なる生活を送ることを思い出させに訪れた。どのように祈るかを思い出させ、教えるために訪れた。あなたたちの魂を私のもとに引き上げ、私の王国を分かち合おうと全てを与えた。

あなたたちに懇願する乞食として訪れている。聖性の知識をすっかり初めから教え直すために英知として訪れている。燃えるような思いで私の心を与えている、一日も欠かさず限りなく身を低くして私自身を日々の糧として与えている。満腹し、心満たされるまで食べるようにと聖なる食物を与えている。だから私のもとに来なさい、──戻って来て、あなたの神、私を称えなさい。

額に私の愛の吐息を残してあなたたち皆を祝福する、愛が皆を愛している、一つとなるように。

イクトゥス

私は良い羊飼い

1989年10月5日 in ノート37

わがイエス様?

私です、平和を、私の子よ、ともに働こう、みことばを受けなさ1、そしてそれを書きなさい。

(私はヨハネ10・14-16を開きました)

書きなさい、「私は良い羊飼いである、私は自分の羊を知っており、私の羊もまた私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私も父を知っているのと同じである。そして、私は羊のためにいのちを捨てる。私には、この囲いに入っていないほかの羊もいる。私は、その羊たちをも導かなければならない。彼らも私の声を聞き分ける。こうして、一つの群れ、一人の羊飼いとなる」。こうなった時、地上は輝くだろう、私は誠実と平和をひろめ、地上には以前と同じように、みずみずしい物が育つだろう。

(立ち上がってイエスの右頬に口づけしました。私の前にある聖心の御像にそうしたのです。イエスがそばに座っておられるのが心の眼で見えましたが、キスをした直ぐあとに、手を持ち上げ、私のキスした場所に触れて、喜ぶ子どものような顔をなさいました。──イエスはこの出来事を書きとめるように頼まれました)

まこと愛する者よ、私がすべてを感じているのを示すためです。来なさい、私の子よ、共にいよう。分かつことができないように。

トリノ ─ ロザリオの聖母

1989年10月7日 in ノート37

(トリノ ─ ロザリオの聖母)

あなたに平和。私の後に続いてこう言いなさい。

「イエスよ、愛しています、イエスよ、罪をおゆるし下さい。イエスよ、疑いから解放してください。イエスよ、悪霊が近づくのを許さないで下さい」

(聖母)

花よ、イエスを愛するなら、御傷の痛みは和らぎます。愛があなたを愛しておられます。

トリノ ─ 日曜日

1989年10月8日 in ノート37

(トリノ ─ 日曜日)

(聖骸布のバジリカを訪問しました。イエスに祈って対話した後、外に出ましたが、途方もない歓びを胸のうちに感じました。主の大いなる愛、これまでずっと知らずにいた主の愛を示してくださったことを賛美しました。ちょうどその時、強い香の香りに包まれ、主からのしるしに私の歓びは倍加したのです。

聖ドミニコ教会まで歩いて行きました。そこは二年前に従妹が脇扉の上に、中へ入るようにと招く聖母のご出現を見た教会で、私たちは当時知りませんでしたが、その日はロザリオの聖母の祝日だつたのです。――御ミサにはまだ時間があり、椅子に座ってイエスを礼拝していました。フランス語で話しかけていましたので、気がついて英語で申し上げました。「どうしてフランス語でお話ししていたのでしょう? 英語でお話ししましょう」そうしたら間髪入れずにイエスは仰しゃいます、

「心から話してくれるほうがいい」

と。そして香の香りを降り注がれました)

私は犠牲の魂を必要としている

1989年10月9日 in ノート37

あなたに平和。夜の間に私のぶどう畑を破壊しようと、いまだに試みる者たちのために祈りなさい、この魂たちに対する私の怒りが軽減するように、私のヴァスーラ、祈りなさい。この世代のあらゆる罪悪のために私が負った傷は、御父の義を燃え立たせる。私のあがないがどのように扱われ、私の体がいかに傷つき、鞭打たれ、引き裂かれているかをご覧になると、民を散らし、塵の山に変えてしまいたいという御父の思いは強まり、天使たちさえも地上全体に起こり得る事態に打ち震えている。私のアッパは自ら犠牲となり、私を愛するあのわずかな魂たちゆえに、心を和らげておられる。

ああ ヴァスーラ! 私の痛みは大きい。小さな魂よ、情熱的に愛している。私は他の者たちのために喜んで償い、あがなう魂たち、寛大な魂たちを高め、清める。私はあがないの魂を必要とする、愛という犠牲、私の受難を担うという犠牲、自分自身に死ぬという犠牲、十字架を喜んで分かちあう犠牲が必要だ、生ける十字架となるように、私自身の手によって造り上げられるのを歓迎する寛大な魂たちが必要だ、ほかにどうやって、御父のみ手が下され、あなたたちを撃つのを食い止められるだろうか?

世界は回心して変わり、聖なる生き方をする必要がある、私の聖なる名が汚されるのをもはや許さない。私の神秘体のうちに私の受難はくり返され、私は受難を受けた時と同じほど苦しんでいる、カルワリオに至る道を、娘よ、私はくり返したどり、毎時間くり返し十字架に架けられている、愛である私、この私が、このすべてを受けなければならないのか?

愛の犠牲となって他の人びとのためにあがなえますように、私たちの上に息を吹きかけてください、主イエスよ。

いとしき者よ、あなたの愛で私を楽にさせることができる、私を愛し、償いなさい、断食して犠牲を献げなさい、このすべては御父の怒りを押しとどめよう。ヴァスーラ、あなたを満たし、用いさせてほしい。ああ娘よ …… その涙は私を慰めてくれる、私の花よ、あなたの涙が私の涙に溶け合い、一つとなるように、御父が私の涙の中にあなたの涙を見いだされるなら、その怒りもなだめられよう。

私、イエスはあなたを祝福し、家にある全ての聖具を祝福する1。今の言葉を繰り返しなさい2

ああ、どれほどお慰めしたいか!

ああ、ヴァスーラ、慰めたいという望みが私を慰めてくれる。私を慰める者としてあなたを創造した、私を憩わせ、愛し、私の苦しみを分かち合うようにあなたを創造した。思い出しなさい、間もなく一緒になる。

イクトゥス

観想的礼拝

1989年10月12日 in ノート37

主よ、み救いを感謝します。お愛します、そしてあなたを礼拝し、あなただけを礼拝します、私の神よ。

ああ、しばしばこのような言葉を聞かせてほしい、心で語りかけなさい。来て私を黙想しなさい、道、真理、いのちである私を黙想しなさい、観想的に礼拝するために来なさい、これは私を喜ばせる。完全な沈黙のうちに、私とあなた、あなたと私が顔と顔を合わせ、私は私の美しさを打ち明け、あなたは私を賛美する。私の心はどの魂に対しても思い焦がれていると知りなさい。あなたを連れ戻したが、あとどれほど多くの魂たちを連れ戻す必要があるだろうか! 来て私の心のうちに休みなさい、そしてあなたの心のうちに休ませてほしい、愛があなたを愛している。

主よ! どれほどお愛ししていますでしょう。どれほどあなたを望み、あなたに渇いているでしょう。どれほどあなたが必要でしょう!

やっと自由になった!1

(ここで私は嬉しさのあまり、思いっきり叫び声をあげました!)

ギリシャ – ロードス

1989年10月17日 in ノート37

(ギリシャ – ロードス)

私の主よ?

私です。あなたを導いているのが誰であるかを思い起こすように。私に心を合わせなさい。いつも心から願いなさい、そうするなら与えられよう。心から発せられる祈りは、私の耳に甘美な調べとして聞こえる。

イクトゥス

ギリシャ – ロードス 2

1989年10月22日 in ノート37

(どういうわけか、ロードス島に滞在した一週間の間に、この啓示に従っている人たちが、地域のカトリック司祭と正教会の司祭と話し合って二つの祈りの集会を企画しました。いわば、聖フランシスコとピオ神父が聖バジリウスとともに絶えざる御助けの聖母に導かれて、思いがけないこれらの集会を準備して下さったと言えます。一つは聖フランシスコ教会で、もう一つはアナリプシスのギリシャ正教の教会で開かれました)

お父さま? 9月30日のメッセージで仰しゃったように叫びました。真理を大声で叫んだのです。

よいか、私の子よ、あっけにとられることはない、私は至高者であり、みことばは天から降っている。私は教会を生き返らせに来た。常に覚えておきなさい、いかなる権威も高さも深さも、私の教会を破壊することはできない。教会は私によって再び回復させる。私のヴァスーラ、あなたは無です、全くの無でありながら、私はあなたを用いることができる。「あなた」なるものが消えてゆくなら、私の霊はあなたのうちで語り、行動できる。私の霊があなたのうちで敵に会うべきではない。怖れなくてよい、たとえ敵に私の霊が出会おうと、この競争相手を必ずいつでも撲滅する。

毎日自らを明け渡しなさい、私の意思を喜んで行うように、あとはあなたの神、私に任せておきなさい。

怒るに遅くありなさい

1989年10月23日 in ノート37

主よ?

私です、決して疑ってはいけない。どれほどあなたを愛するか! 私に与えてくれるこの小さな信仰は、あなたが毎日捧げる花束のよう、私はこうしたやり方1 でそれを受け取る、小さな者よ、何も私に拒んではならない。あなたの神、私のように、怒るに遅く、善を行う時にだけ素早くありなさい。私に忠実でありなさい。私の魂に愛された者よ、自分の意志、魂と心を喜んで献げた者よ、怖れることはない。あなたは御父のみ手の中にいるのだから、そして互いに結ばれている以上に素晴らしいことがあろうか? 何も拒んではいけない、人がどこから見ても私が見えるように、自分を全く打ち消しなさい。あなたの隅々まで私の力が占めるように、小さいままでいなさい。私がすべてとなるよう、日々「自我」に死んで無となりなさい。

このやり方によって私の誉れとなり、あなたを望む時に用いることができるよう、幼児の-ような-信仰をもって私を信じなさい。あなたに求めるのは愛、愛、愛だけです。愛を込めて私の名のもとに行うすべては私の栄光となり、あなたを清める。愛ゆえに愛をもって宣教しなさい。日々私の聖心の中に入って来なさい、そしてあなたの心のうちに憩うのを許してもらいたい。平和でいなさい、私は平和、糧を日々与えると約束しよう。私、イエスは、あなたをいとおしみ、その魂を私のもとに2 連れてくるまで、一分ごとに数えている。

主である私は、あなたを祝福する。

私もあなたを祝福します、私の主、あがない主よ。

神は日々の明け渡しを求めておられます

1989年10月25日 in ノート37

(私たちの聖母より、祈りの集いのために)

あなたたちに平和、教会は生き返ります。

いらっしゃい、主に選ばれる者となり、日々自分を主に捧げるのです。熱心な子ども、光の子たちへと変えられるようにしてください、世俗的なことから離脱し、生き方を変えるのです。小さな者たちよ、この世は通過しているに過ぎないのですから。魂は永遠に生きると私は絶え間なく思い出させ、生き方を変えなさいとくり返し注意を促しています。

あなたたちに神は何をお望みでしょう? どうすれば申し分ないでしょう? あなた方を完全な者として形造るために、神は日々の明け渡し、完全な明け渡しを望んでおられます。神に意志を捧げて、ご意思に従うことこそ申し分のない行為です。神を探し求め、神のすべてを追い求めなさい。どうか悪魔の囁きに耳を貸さないように、絶え間ない祈りのうちに魂を高めなさい。愛しています、子どもたちよ、私の眼はあなたたちから一瞬も離れません。

私たちのメッセージを通して善い行いを学びなさい、私たちのメッセージによってあなたたちの貧しい魂が養われ、知識へと連れ戻されて、聖書と真理、そしていのちのもとに導かれますように、私は悪魔の罠からあなた方を救いたいのです。より高い祈りへと魂を高めたいのです。

今夜は、わたしの子どもたちよ、大変特別な仕方で、皆のために御父に執り成しましょう。御父は善良であられ、多くの恵みをいただけるのですよ、どれほど無限に、恵み豊かであられるかを知るべきです。主を求め、たえず主に飢え渇いているように。あなた方の重荷をすべて下ろし、主にお捧げなさい、主に信頼してください。

主への愛、そして兄弟への愛を通して主の王国を広げなさい、悪を愛で返し、人生が愛に主導され、愛があなた方の根となりますように。自分の考え方に警戒しなさい、互いに裁かないように、あなた方のやり方は主のなさり方とは違うのです。他への批判を差し控え、謙虚さによって主をお喜ばせなさい、神の愛はあなた方の最も小さな者たちにさえ、明かされています。

愛する人びとよ、家に帰っても私たちを後ろにおいて行かないで下さい、一緒に連れて行ってください。私たちの聖なる現存を感じるようになり、「私」の代わりに「私たち」と言うようにしてください、皆を祝福します、主が望んでおられるように、一つとなりなさい、天国では一つなのですから、分かれていてはなりません。

平和のうちに、平和の中で暮らしてください。