1989年10月のメッセージ

私の富を示すために貧しさを選ぶ あなたの聖なる名に奉献された国は復活する

1989年10月31日 ノート38

愛する者よ、あなたに平和。聞きなさい。

私は愛をもって教える。知恵をもってあなたを教えてきた、あなたを高め、形造った。私の好意、私の指針のうちに留まっていなさい。すべては私から与えられる、私の教えにしっかりと立ち、揺るがないように。

私のヴァスーラ、御父をお喜ばせし、悪に愛で報いて御父の怒りをなだめなさい。愛をもってこの邪悪な世代に対する御父の怒りをなだめなさい。愛のために愛をもって宣教できるよう、あなたのうちに私を現しなさい。神が-あなたと-ともに-いる、私の子よ。あなたは宣教のために任命された。私は私の力を現すために弱さを選び、私の富と英知を現すために貧しさを選ぶ。一切自分のものだと主張しないように、無でありなさい、今さらに自分を小さくしなさい、わたしのわざを達成できるように。

わが主、わが救い主よ?

私です。平和を、私の子よ、恐れてはいけない、私の現存を決して恐れないように、私に反抗する時にだけ怖れなさい。私と一緒でない者は散らす。これをよく考えなさい、与えている啓示は散らすものではない、集めるもの。私の啓示はあなた方を一つの体に一致させている。平和があるように、私の子よ。無としてとどまり、私のうちにいなさい、私、主があなたを祝福する。

(こう仰しゃったのは、誤りを犯しているのではと恐れて、時々疑いの思いが湧いたからです …… )

(今書いている小さなテーブルの上の、ファティマの聖母像のほうに身を傾けます。右の耳に顔を寄せて、こう囁いたのです。「ね、イエスはとても尊いものを護らせておいでです。お体の栄光に関わるもので、魂の救いのためでもあるものを! そこでおそばに来てお願いします、お母さま、私に代わってそれを大切にして、見張り、護ってくださいますように。そうです、主の啓示のことです、お母さまの手のうちにすっかりゆだねます。……その間私は、この使命のために私を甦らせ、形造ってくださいましたお方、イエスの聖心のみわざを続けてゆかなければなりません。」……もうすぐ死者は声を聴いてその墓から出て来るでしょう、すべて主の栄光のために。間もなく、一つのくに民が、お母さまの聖なる御名のうちに奉献された民が、甦るでしょう、昔から告げ知らされていたように

私の子よ、人類にたいする神の愛を邪魔できるものはないでしょう、あなたが迫害され、不安に苛まれ、攻撃されたとしても、賢明に振舞い、神に従いなさい。神に選ばれた者たちを非難する権利は誰にもありません。神による他のすべての啓示を護っているように、この啓示も護ります。聖なるお方に信頼なさい、ご自身のみわざを見張っておられます。恐れずに、神の愛を明かしなさい、私のヴァスーラ、いらっしゃい、御父に絶え間ない祈りをお捧げしているように。 

ありがとうございます、祝福されますように、お母さま。

私の十字架を抱きしめなさい 永遠につながれていよう

1989年10月30日 ノート37

花よ、私の愛が賜物をあなたに与える。私の受難を私の受難。これを味わって御父を喜ばせなさい、私が喜ばせたように。あなたを情熱込めて愛している、これが私の魂たちに対する愛の表し方。私をあなたの道案内として、私の受難の道を案内させてくれるように。

不平を言わないで耐え忍ぶように魂たちに教えている。そして一人ひとりその能力に応じて与える。ヴァスーラ、学びなさい、完徳に達する道は一つ、私の受難の道であり、それは私の十字架である。愛を込めてそれに耐えなさい、根気強く耐えなさい、私の十字架を抱きしめなさい。私の子よ、すべては間もなく終わろう、そしてあなたはそばに来る。私を礼拝しなさい、礼拝しなさい、あなたを祝福する。

(しばらくして)

主よ、あなたの愛をもって私たちを救ってください。
愛する者たちに聖なる御顔の微笑みをお示し下さい。
私たちを護るお方、アベルのもとに来てください、あなたが必要なのです。

来なさい、私の子よ、近くにとどまっていなさい、許嫁(いいなずけ)よ、与えたものが何であるかを理解しなさい、私の心と、愛を与えた。許嫁よ、持っているすべてを与えよう、ときには私の杯も与える、いのちを保つように、

私のパンを与えよう、そして私の絶え間ない現存を思い起こさせるために、私の香りを与える。娘よ、私とあなたは永遠につながれていよう。来なさい。

あなたが捧げない限り、あなたの意思を用いることはない 三本の鉄の棒

1989年10月26日 ノート37

主よ? ボートにオールがないように感じます……

私です。花よ、私の道はまっすぐだが狭い、そしてわずかな人しかそれを見いださない。私の子よ、あなたを刈り込む度に大騒ぎしないように。あなたが強く成長してもっと多くの実をつけるために刈り込んでいる。あなたの実を倍に増やしたい。「頻繁に刈り込み過ぎです」と言いたいのは分かっている1。あなたにとって何が最善かを知っている。私の子よ、あなた自身があなたの自由を差しだしたではないか?

そうです、私の自由を永久にお捧げしました。

捧げたものを用いているのだ、魂よ。あなたが捧げない限り、あなたの意思を用いることはない。信頼しなさい。私はとても柔和な者なのだから、常に信じていなさい。辛抱しなさい、私の子よ、正しい目的のために熱心に仕えなさい、他の魂たちを回心させる情熱に燃えていなさい。小さいままでいなさい、どんな決断をする前にもいつも私の助言を求めなさい、天からいつも助けが与えられる。

(しばらくして)

私のヴァスーラ、てっぺんに頭のついた鉄の棒を三本書きなさい。

bend3

これらはローマ・カトリック、正教会とプロテスタントを現す。私はこれらが屈んで一致するのを望んでいる、しかしこれらの鉄の棒はまだ硬直しており、自分では屈むことができない、そこで私の火を携えて彼らのもとに行かねばならない、そして私の炎の威力によって彼らは柔らかくなり、曲げられて、一本の固い鉄の棒に形作られる、こうして私の栄光は全地を満たすであろう

イクトゥス

聖霊にしばしばこの祈りを唱えなさい。

聖霊、来てください、
あなたの愛する花嫁、聖マリアの汚れなき御心の
力強い執り成しによって、来てください。
アーメン。2

この祈りによって、私の聖霊は急いであなたの上に来てくださる。あなたの上に降って来られるように、私の聖霊が注がれるように祈りなさい。

神は日々の明け渡しを求めておられます

1989年10月25日 ノート37

(私たちの聖母より、祈りの集いのために)

あなたたちに平和、教会は生き返ります。

いらっしゃい、主に選ばれる者となり、日々自分を主に捧げるのです。熱心な子ども、光の子たちへと変えられるようにしてください、世俗的なことから離脱し、生き方を変えるのです。小さな者たちよ、この世は通過しているに過ぎないのですから。魂は永遠に生きると私は絶え間なく思い出させ、生き方を変えなさいとくり返し注意を促しています。

あなたたちに神は何をお望みでしょう? どうすれば申し分ないでしょう? あなた方を完全な者として形造るために、神は日々の明け渡し、完全な明け渡しを望んでおられます。神に意志を捧げて、ご意思に従うことこそ申し分のない行為です。神を探し求め、神のすべてを追い求めなさい。どうか悪魔の囁きに耳を貸さないように、絶え間ない祈りのうちに魂を高めなさい。愛しています、子どもたちよ、私の眼はあなたたちから一瞬も離れません。

私たちのメッセージを通して善い行いを学びなさい、私たちのメッセージによってあなたたちの貧しい魂が養われ、知識へと連れ戻されて、聖書と真理、そしていのちのもとに導かれますように、私は悪魔の罠からあなた方を救いたいのです。より高い祈りへと魂を高めたいのです。

今夜は、わたしの子どもたちよ、大変特別な仕方で、皆のために御父に執り成しましょう。御父は善良であられ、多くの恵みをいただけるのですよ、どれほど無限に、恵み豊かであられるかを知るべきです。主を求め、たえず主に飢え渇いているように。あなた方の重荷をすべて下ろし、主にお捧げなさい、主に信頼してください。

主への愛、そして兄弟への愛を通して主の王国を広げなさい、悪を愛で返し、人生が愛に主導され、愛があなた方の根となりますように。自分の考え方に警戒しなさい、互いに裁かないように、あなた方のやり方は主のなさり方とは違うのです。他への批判を差し控え、謙虚さによって主をお喜ばせなさい、神の愛はあなた方の最も小さな者たちにさえ、明かされています。

愛する人びとよ、家に帰っても私たちを後ろにおいて行かないで下さい、一緒に連れて行ってください。私たちの聖なる現存を感じるようになり、「私」の代わりに「私たち」と言うようにしてください、皆を祝福します、主が望んでおられるように、一つとなりなさい、天国では一つなのですから、分かれていてはなりません。

平和のうちに、平和の中で暮らしてください。

怒るに遅くありなさい

1989年10月23日 ノート37

主よ?

私です、決して疑ってはいけない。どれほどあなたを愛するか! 私に与えてくれるこの小さな信仰は、あなたが毎日捧げる花束のよう、私はこうしたやり方1 でそれを受け取る、小さな者よ、何も私に拒んではならない。あなたの神、私のように、怒るに遅く、善を行う時にだけ素早くありなさい。私に忠実でありなさい。私の魂に愛された者よ、自分の意志、魂と心を喜んで献げた者よ、怖れることはない。あなたは御父のみ手の中にいるのだから、そして互いに結ばれている以上に素晴らしいことがあろうか? 何も拒んではいけない、人がどこから見ても私が見えるように、自分を全く打ち消しなさい。あなたの隅々まで私の力が占めるように、小さいままでいなさい。私がすべてとなるよう、日々「自我」に死んで無となりなさい。

このやり方によって私の誉れとなり、あなたを望む時に用いることができるよう、幼児の-ような-信仰をもって私を信じなさい。あなたに求めるのは愛、愛、愛だけです。愛を込めて私の名のもとに行うすべては私の栄光となり、あなたを清める。愛ゆえに愛をもって宣教しなさい。日々私の聖心の中に入って来なさい、そしてあなたの心のうちに憩うのを許してもらいたい。平和でいなさい、私は平和、糧を日々与えると約束しよう。私、イエスは、あなたをいとおしみ、その魂を私のもとに2 連れてくるまで、一分ごとに数えている。

主である私は、あなたを祝福する。

私もあなたを祝福します、私の主、あがない主よ。

ギリシャ – ロードス 2

1989年10月22日 ノート37

(どういうわけか、ロードス島に滞在した一週間の間に、この啓示に従っている人たちが、地域のカトリック司祭と正教会の司祭と話し合って二つの祈りの集会を企画しました。いわば、聖フランシスコとピオ神父が聖バジリウスとともに絶えざる御助けの聖母に導かれて、思いがけないこれらの集会を準備して下さったと言えます。一つは聖フランシスコ教会で、もう一つはアナリプシスのギリシャ正教の教会で開かれました)

お父さま? 9月30日のメッセージで仰しゃったように叫びました。真理を大声で叫んだのです。

よいか、私の子よ、あっけにとられることはない、私は至高者であり、みことばは天から降っている。私は教会を生き返らせに来た。常に覚えておきなさい、いかなる権威も高さも深さも、私の教会を破壊することはできない。教会は私によって再び回復させる。私のヴァスーラ、あなたは無です、全くの無でありながら、私はあなたを用いることができる。「あなた」なるものが消えてゆくなら、私の霊はあなたのうちで語り、行動できる。私の霊があなたのうちで敵に会うべきではない。怖れなくてよい、たとえ敵に私の霊が出会おうと、この競争相手を必ずいつでも撲滅する。

毎日自らを明け渡しなさい、私の意思を喜んで行うように、あとはあなたの神、私に任せておきなさい。

ギリシャ – ロードス

1989年10月17日 ノート37

(ギリシャ – ロードス)

私の主よ?

私です。あなたを導いているのが誰であるかを思い起こすように。私に心を合わせなさい。いつも心から願いなさい、そうするなら与えられよう。心から発せられる祈りは、私の耳に甘美な調べとして聞こえる。

イクトゥス

観想的礼拝

1989年10月12日 ノート37

主よ、み救いを感謝します。お愛します、そしてあなたを礼拝し、あなただけを礼拝します、私の神よ。

ああ、しばしばこのような言葉を聞かせてほしい、心で語りかけなさい。来て私を黙想しなさい、道、真理、いのちである私を黙想しなさい、観想的に礼拝するために来なさい、これは私を喜ばせる。完全な沈黙のうちに、私とあなた、あなたと私が顔と顔を合わせ、私は私の美しさを打ち明け、あなたは私を賛美する。私の心はどの魂に対しても思い焦がれていると知りなさい。あなたを連れ戻したが、あとどれほど多くの魂たちを連れ戻す必要があるだろうか! 来て私の心のうちに休みなさい、そしてあなたの心のうちに休ませてほしい、愛があなたを愛している。

主よ! どれほどお愛ししていますでしょう。どれほどあなたを望み、あなたに渇いているでしょう。どれほどあなたが必要でしょう!

やっと自由になった!1

(ここで私は嬉しさのあまり、思いっきり叫び声をあげました!)

私は犠牲の魂を必要としている

1989年10月9日 ノート37

あなたに平和。夜の間に私のぶどう畑を破壊しようと、いまだに試みる者たちのために祈りなさい、この魂たちに対する私の怒りが軽減するように、私のヴァスーラ、祈りなさい。この世代のあらゆる罪悪のために私が負った傷は、御父の義を燃え立たせる。私のあがないがどのように扱われ、私の体がいかに傷つき、鞭打たれ、引き裂かれているかをご覧になると、民を散らし、塵の山に変えてしまいたいという御父の思いは強まり、天使たちさえも地上全体に起こり得る事態に打ち震えている。私のアッパは自ら犠牲となり、私を愛するあのわずかな魂たちゆえに、心を和らげておられる。

ああ ヴァスーラ! 私の痛みは大きい。小さな魂よ、情熱的に愛している。私は他の者たちのために喜んで償い、あがなう魂たち、寛大な魂たちを高め、清める。私はあがないの魂を必要とする、愛という犠牲、私の受難を担うという犠牲、自分自身に死ぬという犠牲、十字架を喜んで分かちあう犠牲が必要である、生ける十字架となるように、私自身の手によって造り上げられるのを歓迎する寛大な魂たちを必要とする、ほかにどうやって、御父のみ手が下され、あなたたちを撃つのを食い止められるだろうか?

世界は回心して変わり、聖なる生き方をする必要がある、私の聖なる名が汚されるのをもはや許さない。私の神秘体のうちに私の受難はくり返され、私は受難を受けた時と同じほど苦しんでいる、カルワリオに至る道を、娘よ、私はくり返したどり、毎時間くり返し十字架に架けられている、愛である私、この私が、このすべてを受けなければならないのか?

愛の犠牲となって他の人びとのためにあがなえますように、私たちの上に息を吹きかけてください、主イエスよ。

いとしき者よ、あなたの愛で私を楽にさせることができる、私を愛し、償いなさい、断食して犠牲を献げなさい、このすべては御父の怒りを押しとどめよう。ヴァスーラ、あなたを満たし、用いさせてほしい。ああ娘よ …… その涙は私を慰めてくれる、私の花よ、あなたの涙が私の涙に溶け合い、一つとなるように、御父が私の涙の中にあなたの涙を見いだされるなら、その怒りもなだめられよう。

私、イエスはあなたを祝福し、家にある全ての聖具を祝福する1。今の言葉を繰り返しなさい2

ああ、どれほどお慰めしたいか!

ああ、ヴァスーラ、慰めたいという望みが私を慰めてくれる。私を慰める者としてあなたを創造した、私を憩わせ、愛し、私の苦しみを分かち合うようにあなたを創造した。思い出しなさい、間もなく一緒になる。

イクトゥス

トリノ ─ 日曜日

1989年10月8日 ノート37

(トリノ ─ 日曜日)

(聖骸布のバジリカを訪問しました。イエスに祈って対話した後、外に出ましたが、途方もない歓びを胸のうちに感じました。主の大いなる愛、これまでずっと知らずにいた主の愛を示してくださったことを賛美しました。ちょうどその時、強い香の香りに包まれ、主からのしるしに私の歓びは倍加したのです。

聖ドミニコ教会まで歩いて行きました。そこは二年前に従妹が脇扉の上に、中へ入るようにと招く聖母のご出現を見た教会で、私たちは当時知りませんでしたが、その日はロザリオの聖母の祝日だつたのです。――御ミサにはまだ時間があり、椅子に座ってイエスを礼拝していました。フランス語で話しかけていましたので、気がついて英語で申し上げました。「どうしてフランス語でお話ししていたのでしょう? 英語でお話ししましょう」そうしたら間髪入れずにイエスは仰しゃいます、

「心から話してくれるほうがいい」

と。そして香の香りを降り注がれました)