ゆりの花のようでありなさい
1996年11月1日 ノート86
私の救い主よ、あなたの愛と不思議ゆえ、
聖なるみ名に感謝を献げます。
けれどごらんください、時々勇気がくじけてしまいます、
そしてみじめさの中、私自身の罪深さでみじめなゆえ、
ものごとが吹きすさび、大嵐となって、
高波のように押し寄せてくるのを感じます。
そして「ああ、どうしよう?」と叫ぶのです。
こうして、波がふたたび静まるまで、魂は平和を味わえません……
恐れないでよい、私を喜ばせようと努力しなさい。こうした方法でも共にいるのを止めないでほしい、ただあなたと私だけで……
私の巡礼者、私の心の巡礼者となり、いつまでも私の心のうちにとどまっていなさい。私の聖心の悦びを魂は味わうと、私が保障する。これからも私の唇をもって養い、私の心は愛し慰めつづける。あなたのたどる一歩一歩は、救い主である私と一緒にたどるのだ。
この仕方でともにいるのが、今や嬉しいか、私の心の娘よ?
主よ、今日までも、この長年あなたと会話をしてきたあとも、いまだに私を選ばれたことが不可解で、目もくらむようです! 私はこうして、不名誉な死骸でしたが、どなたがこの私を訪ねてこられたでしょう? 無敵なるお方、至高者でした! あなたは今、私がともにいて嬉しいかとお尋ねなのですか?
そうです、娘よ1……
この一切に 私はふさわしくありません。
そしていただいた賜物にふさわしい思いは、何も言い表せません、
あなたご自身が、その賜。
あなたは私の歓び、平安、芳香、ほほえみ、笑い、
私の悦びと、いのち、
呼吸と、目の光、
あなたは私のお父さま、お母さま、子ども、友達、
あなたは私の主、そして私の神!
魂の輝きよ、
こうしてあなたと比べ得る者は誰もいません、そこで
はい、と申し上げます、ご一緒だと、死ぬほど嬉しいのです!
そう! 私を愛し、何よりも誰よりも私を望みなさい。私が一緒なら、あらゆる善いものがやって来よう。私の友、そして姉妹2 よ、もう一つ聞いてもよいか?
はい、私の主よ。
ヴァスーラ、私の掟は、あなたの喜びとなっているか?
ああ、そうです!
あなたの掟は、あなたご自身、
あなたの全存在、そしてすべてです。
あなたの掟は、私の救い主よ、私にとっては、いのちです。
私の霊が、その口を通して語るのを聞いた、それゆえに、あなたも私の喜びである、私の愛によって、どうやって私のもとに魂を引き上げるかを人々に知らせなさい……
さあ、ヴァスーラ、聞きなさい、この最後の質問に心から答えなさい。やがて私は勝利する、だがそれまでの間、私はサタンの勝利の全てを忍び、耐えなければならない。サタンが一人の魂を破滅に追いやるたびに、それを私は「勝利」と呼んでいる。あなたへの質問とは、「あなたの神、私を喜ばせ、ゆりのようであってくれるか?」
ただのゆりの花に、何ができるでしょう?3
ゆりの花は明日を思い煩わない。それぞれの日が十分な心配をかかえている。どんなに心配したところで、あなたが自分で何かを変えられるだろうか? 私があなたのためにそなえた計画に従って歩み、全く私に信頼しなさい! では、ゆりのようでありたいか?
主が喜ばれるのでしたら、はい。
私の腕の中で、あなた自身を忘れてほしい。一緒に私の十字架を取り上げることができるよう、自らに死んで、自分自身を放棄しなさい。私の十字架にあなた自身をつけ、こうしてともに、私とあなたで、救霊のために十字架を分かち合う。私は私の十字架を通して勝利した、そしてこのたびもサタンの企てには勝利する。私と一つになって、あなた自身を私が運ぶのを許しなさい。
私、イエスが、祝福を与える。ic