1991年12月のメッセージ

私たちの二つの心

1991年12月24日 ノート56

わが主よ?

 私である、子よ、私に寄りかかりなさい。

(心の目でイエスの聖なる御顔を見ました。大きく無邪気な目をした子どものようでいらっしゃいます)

 

地上の傷が癒えるには途方もないあがないを必要とする。邪悪さや罪による負傷や切り傷のために。──救い主の目を悦ばせ、大きく成長しなさい。私のメッセージが豊かさと、広大さを持ち、それ自体を証し、それによって邪悪さ、無関心と無神論が力を奪われ、悔い改めるように

なるように。

 子よ! 私の衣の端につかまり、これからはさらに、伸びなさい1、地球の端から端まで、もしも私の聖所であなたを迎え入れるなら、そこに入って行きなさい。たとえそれが禁じられても、打撃を受けたと感じたり、悲しんだりしないように、希望を失ってはならない。あなたを虐げた者たちは清めの日に、その光景を振り返って泣くだろう、あなたではなく、預言を与えてきた私たち二つの心、私たちの神的な心をいかに拒んできたかに気づいて。娘よ、血塗られた私の足跡をたどり、どの集会でも私の聖なる名を宣言するように。もはや躊躇してはならない時が来た。すべての場所に、つくれるところはどこだろうとぶどう畑をつくり、砂漠を園に変えなさい。私のメッセージが栄え、根づくように祝福を与えた、だから、娘よ、勇気を。

( 突然「火の剣」が貫くのを感じ、叫びました:主よ! あなたが恋しい!)

 私の栄光を見たので私が恋しいのです。書きなさい:要塞が次々と敵に包囲されている。私は全人類に平和を与えに今日やって来たが、ほとんどの人は耳を貸さない。今日は平和の条件と愛のメッセージを携えてやって来た、しかし指し示す平和を地球は冒漬し、与えようとしている愛はこの私の誕生の夜に嘲られ、冷やかされている。近頃は、私の聖なる名を抜きにして人類は祝っている。聖なる私の名は廃止され、誕生の日は娯楽の大休日となり、偶像が崇拝されている。サタンは私の子たちの心に入ると、弱く眠っているのを見つけた。私は世に警告してきた。ファティマのメッセージの預言は語る、私の日に太陽は真昼に沈み、白昼に地上は暗くなると。龍がこの罪深い時代に噛み付き、世界がかつて見たこともなく、これからも見ることがないだろう火を投げつけ、その数えきれない罪悪を焼き尽くすことを私は許す。あなたたちは尋ねるだろう:「すべての住人は滅ぶだろうか、善人も悪人とともに?」

あなたたちに言う、生きている者は死んだ者を羨む。二人のうち一人は取り去られる。ある者は尋ねるだろう、「来るべきエリアとモーセはどこか?」私は言う、邪悪な世代よ、この二つの心2はもう長い年月、ことわざで語ってはこなかった。エリアとモーセはすでに来たが、あなたたちはそれに気づかず、好きなようにあしらった。私たちの二つの心、私の母の汚れなき御心と私の聖心に、耳を傾けようとしない、不信仰の時代よ …… この二つの心は諺や謎によって話しかけてきてはいない。その言葉はすべて光であって、その心は、二つの灯火のように非常に明るく、互いに近く、皆に見えるように輝いている。

しかし、あなたたちは理解していない。この心は、二本のオリーブの木のように3、一本は右に もう一本は左に立ち、あなたたちを生き返らせようと何年も努力してきた。油を抽出する二本のオリーブの枝のように4、あなたたち病んだ世代を癒やし、傷口が癒えるようにしてきた、しかしあなたたちの世代はこの二つの心を好きなようにあしらった。この二つの心は油注がれ5生きている。

それらは鋭い刃のように、諸刃を持ち6、預言している。しかしこの時代にひそむ反抗の霊は、諸刃の剣であるみことばを再び十字架に架け7、あなたたちに今日語りかけるこの二つの心を拒んでいる。私の使者を拒んだソドムやエジブトのように。

この時代の頑なさはファラオの時代にまさる、かれらの知識に対する主張は私の知識に対して挑戦場となっているからだ8

実にこの二つの心は世の人びとにとっては災いとなった9、しかし間もなく、もう非常に間もなく、私の声は再び聞かれるだろう、雷と火によって訪れるだろうから。義は目の前に迫っている。そしてあなたたちが戦いを挑んだこの二つの心は、最後には勝利するだろう10。そしてこの世の王国は私の王国となる11。すべては非常に差し迫っている。目を開けて見回しなさい。皆に時のしるしを与えている。そして結ばれた二つの心の信心を表に現そうと、労苦しているあなたたちは皆、勇気を失わないように。

黙示録もゼカリヤの書と同様、この真理について語る。恐れることはない、信頼と勇気をもってこの信心をひろめなさい。

スイスの教会

1991年12月12日 ノート56

(私の思いはスイスへと向かいました)

主よ、スイスの教会はどうなっているのでしょうか?

… 瓦礫と化している …

二つの御心への信心

1991年12月8日 ノート56

主よ?

私です。私のうちに休む前に、祈りなさい。一緒にこう唱えるように。

イエス、私のうちにお休みください、

私もあなたのうちに休ませてください、

一致して、ともに結ばれて。

アーメン。

(もう一度唱えました)

愛のうちに一致する、二つの御心をゆるがずに信じてほしい。すでにこの真理について、多くの心に語ってきた。まだ多くがこの真理を受け入れないであろうが、いずれ私たち二つの御心は、勝利しよう。世とはそういうものだ。今日は拒むが、明日はこの真理を尊ぶ。

私、イエスは皆を愛している。心には私だけをおきなさい。私を第一におきなさい。私の平和を与える。

イクトゥス

あなたの食卓は一杯だ 私なしにはあなたの食卓は空であろう

1991年12月5日 ノート56

(フィリピンの祈りの集いのために)

皆を祝福する。私の心は彼らを焼き尽くそうと炎のように燃えている。私の聖心に足を踏み入れさえすればよい、そうするなら彼らの神、私にたいして夢中にさせよう。

(次に、ある特定の方に向かって)

──私は今日、私の聖心を差し出している。受け取りなさい。私の名はイエス、そしてイエスとは

──救い主──

を意味する。

愛があなたを愛している。

そして私の子よ1、あなたは与えたすべてを紡ぎつづけなさい。あなたが空になることはない。見よ、あなたの食卓は一杯だ、私なしにはそこは空であろう。私が魂の必要を満たしている。そこで私にすがっていなさい、そうするなら生きる。私の聖なる口づけを額におく。愛している、私を愛しなさい。

イクトゥス