幼な子のように神の国を受け入れなさい 種蒔きと鳥のたとえ話

1988年5月16日 (ノート24)

イエス様?

私です、さあ、教えを心にとどめておくように。私は聖なる師、あなたに書き取らせている。ヴァスーラ、2年足らずで私の多くの神聖なわざを教えた、人間には把握しようとしてもその能力を越える神秘を。分かるか、私の子よ、これらの神聖なわざは人間の理解を超えている。多くの魂は私のわざに反応しない、あまり変わりたくないからです。

主よ? 「変わる」とはどういうことですか?

この魂たちは世間に対し、物質に対して執着がある。自分たちを霊的だとは言っていても1、そうではない。肉体の目で見え、身体で感じるものに執着する。頑なに不毛な生き方をして、私の神聖さが注がれるようには心を開こうとしない2そう、私の光のうちに住むのを遮る要素は多くあるが、すでに述べてあるこの非常に重要な言葉を、再度重ねて言う、「神の国を幼子のように迎え入れないなら、誰も決してそこに入れない」。純心でありなさい、幼子の-ような-信仰をもって信じなさい、そうするなら私の神聖な光があなたを包み、あなたは、太陽に向かう花のように開き、私の光が注がれるのを許してくれよう。いつもともにいるのを、愛する子たちよ、理解するように3。尽きない思いであなたたちを愛している。

イエス、私たちを教え続けてくださいますか?

言うべきことはすべて書かれるだろう、いつもそばにいて、愛し、教え続ける、耳ある者は聞くように、私はあなたの主、イエスであり、この道具を通して自らを顕している、あなたを見放したことはない。

(イエスは私をご覧になりました)

ヴァスーラ、向上するように教えよう。

イエス様?

私です。聖書を未だ理解していないすべての魂のために祈りなさい、この人びとはあまりにも多くの部分の解釈を間違え、光を与える可能性のある箇所全体を切り落とし、照らされる可能性のある豊かな部分を剃り落としてしまう。聞いて理解するよう努力しなさい、「ある時、巨大な畑を整地している種蒔きがいた、この人は蒔くのに一番上質の種を選び、最良の麦を収穫するはずであった! さて、刈り入れ時になったとき、そしてそれは何と豊かな収穫だったか! 敵が一群の烏を畑に送り込んだ、この畑は、非常に大きな愛と犠牲によって、汗水流して準備されたもので、国全体を養い、誰も飢えることのないだろう、豊かな収穫が約束されていた、ところが、敵によって送り込まれた烏は収穫からほうぼうを摘んでは、少しでも多くを平らげ、荒らしていった。この種蒔きが一部始終を見ていて、烏を追い払うために召使いたちを送らなかったなら、収穫全体が食い尽くされていただろう」 

主よ、どうか説明してくださいますか?

さあ、種蒔く人は主なる私、収穫はみことば4、敵はサタン、烏はサタンの影響を受けた魂たちで、長年にわたって、とき折り、みことばの大事な要素を食いつまんでしまった。しかし、主なる、私、イエス・キリストは、それらの欠けた要素をあなたのために取り戻そうと、何度でも自らを顕す、私の教会を美しく飾り、修理して。被造物よ、愛している。教会全体が新たにされるだろう、取り戻されたこれらの要素によって教会は美しく飾られ、完成するだろう、しかしまず、私の-小羊たちの-ペトロ、という名を与え、その名を保つだろう、ペトロに、冠を授ける。地上にいた時と同じように、私の神殿に入るなら、完全無欠-という-ベルトで、あのペテン師たちをすべて打ち、力をもって入場し、金銭を崇拝する者を皆倒す。私は「エルサレム」に入り、新しいエルサレムが見えてくるよう、その到来を告げ、障害を払いのけて、道を切り開く、これは、私のヴァスーラ、私の教会の大艱難として知られるようになろう。その後、ペトロの手には私の羊たちを護る鉄の笏を置く、そして「どうして道案内など、必要か?」をまだ知らず、自問する人たちに対しては、このように言う: 羊飼いを持たない羊の群れを見たり聞いたりしたことがあるか? 私は天の羊飼い、そして戻るまで小羊たちを護るようにペトロを選び、その責任を与えた、ではなぜこのように議論するか、空しい論争を? 私の言葉を未だ知らないすべての人たちは、それについて聖書で読むように、私の弟子ヨハネの福音書の中にある5。それから教会を一致させ、一つの群れとなるよう、腕の中に包み込む、今日はこのように散らされ、あまりに多くの共同からだ、分裂したセクトを造りだしている、私の身体はあなたたちに引き裂かれてしまったが、こうであってはならない6! 皆を一致させる。

(イエスはローマ・カトリック、東方教会とプロテスタントを一致させるおつもりです、けれどそのほかに、他のグループ、セクトさえもとおっしゃっています。主はペトロのもとに私たちを呼び寄せられるか、ペトロが私たちのもとに来て下さるでしょう。(心の中の一致))

そうなったらペトロとともに働き、私の隠された領域を顕し、神秘の多くを彼に示して、私の子たちに教えられるようにする、この教えをもとにあなたたちは新しい天と、新しい地を見るだろう。主である私は、私の聖所の壁を新たにする、ああ、ヴァスーラ! 修復がなんと必要か! あなたを使わせてくれるように、

はい、主よ、どうぞ必要な力をお与えください、アーメン。

指をあなたの心に置かせなさい、私の祭壇が燃え立ったままであるように、全くの無に等しいながら、神である私は、あなたを愛している、あなたを遣わしたこの使命を、達成するに必要な力を与えよう、気を落とさないで、忍耐を持ちなさい、まもなくあなたは私の家に帰って来る、私のもとに、私たちのところに7、平和を受け、教会が経験するだろう刷新のために祈りなさい、主である私は、皆を愛している。「私たち共に」!

はい、主よ、永遠に。

来なさい。

  1. 自分は霊的だと言いながら、神様の超自然のわざを否定する人は誰も本当には霊的であり得ません。
  2. ガラバンダルやメジュゴリエの司教たちのように自分を霊的だと言っている聖職者であっても。
  3. 超自然の接近に驚くことはありません。おとぎ話ではないのです。
  4. 聖書のこと。
  5. ヨハネ福音書21・15—17。
  6. イエスはここでは断固としておられました。
  7. 聖マリアもご一緒で、10歳か11歳の頃に受けた私の霊的直観が思い出されました。