私の聖なる顔に微笑んでくれるだけで、私はゆるし、忘れよう

1989年8月29日 ノート35

主よ、みことばが聞けますように、心を整えてください。
愛の主よ、あわれみの主よ、あなたに向かって祈ります。
その大いなる愛によってお応えください、
神よ、輝いてください、そしてあなたの光によって私を生き返らせてください!
アーメン。

私は収穫の主、この豊かな収穫のために、あなたたちは働き手を願い求めたので、助け手を送ろう。さあ、もっとそばに寄って、近づきなさい。

1私は復活、そしていのち、再臨の日はそう遠くないと約束する。死者は再び生き返り、罪のために葬られ、地下に横たわる者たちも再び甦らせて、いのちを与える、私の王国をひろげ、今は不毛の地と化し、見るに忍びないあなたたちの国々を、私は回復させる。聖書のみことばをくり返そう:「女が胸元にいる乳飲み子を忘れようか、あるいは産んだ息子を大切にしないだろうか? だがたとえ彼女たちがそれを忘れたとしても、私は決してあなたたちを忘れない2

あなたたちには新しい天と新しい地を準備している、そのときは愛が戻り、あなたたちのうちで残っている者たちの間に、愛として生きよう。どの街角で出逢う死人もすべて甦らせる。

そして風のように、あなたたちの羊飼いたちを新しい牧場に送り返し、彼らは古えの時代のように羊飼いの杖を用いて、私の群れを牧するだろう。彼らの悪徳が私自身の家に入り込み、多くを欺き、その罪悪によって国全体に、神なき不信が広まったが、それでも、私はゆるして過去を忘れ、怒りを脇に置いて、全くなかったものとする用意がある、たとえ今日にも自らの過ちを認めるなら。

しかし、今日にいたるまで、あなたの時代の愛の欠如と無数の罪によって、私の聖心は打ち砕かれている、私の心を貫き、天を恥じらわせるほどの罪、私の聖所を汚し、私の聖なる名を冒瀆する罪によって。それでも、私に向けた一つの優しい眼差し、一瞬の後悔、ためらいの溜息、ちょっとした思い直しだけで、あなたの時代の罪業をゆるす用意があるのを、あなたたちが知ってさえいたなら。この聖なる顔に微笑んでくれるだけで、私はゆるし、忘れよう。私は自分の傷口に目を留めさえしないだろう。あなたに後悔の念がたった一瞬あるだけで、眼の前からその悪行と罪をすべて消し去る。その身ぶりは天全体が祝う、あなたの微笑みと優しい眼差しを私が香のように受け取り、その後悔の一瞬の思いは、新しい歌のように聞こえてくるがゆえ。

今日はあなたたちを私の愛ゆえにあがなおうと、慈しみに満ちて降って来た。私の恵みの聖霊は地上を霞のように、覆うだろう。はっきりと言うが、あなたたちへの恩寵を何倍にも増し加え、みことばは多くの人に明かされ、聞かれよう、そしてヴィジョンも、幾倍にも増やす、そう、私の恵みの聖霊を無視し、押えようとするすべての人は、無駄な抵抗をして傷つくだけである、その努力は一切、空しく終わろう、私、主が、あなたたちを甦らせ、今生きているこの砂漠を耕し、人を欺く蜃気楼をオアシスに変えるがゆえ。

私、あなたの神は、あなたたちの前に立って、いまだに私の聖霊を虐げる人たちに尋ねる。時のしるしがどうして見分けられないのか? 私のしるしや不思議を承認しないでおこうと、どうして決めたのか? 何度も私の声を黙らせ、私の預言者たちを迫害するのはどうしてか? 何を恐れて、あなたたちの闇を照らす小さな炎も、必死に消そうとするのか? 私の恩寵によってあなたたちの荒地と不毛の地に咲く花を、どうして、どれも急いで踏みつけようとするのか? あなたたちの神、私が、沈黙し、死んだままでいるのをどうして欲するのか? では、私が誰であるかを教え、思い出させよう。

私はみことば、生きている
そして行動する

地上にいた時は、パンと魚を増やし、群衆を養った、モーセが何千もの人びとと砂漠を渡り、食べるものがなかった時、天の倉を開いて皆をマンナで養った。

そして今日もそうする、地は荒廃し、あなたたちを養うに十分なパンを産み出せない、そこで私は、私の恵みの霊を通してパンを増やし、あなたたちを養う、愛する者たち、飢えて放っておかれた者たちよ。あなたたちの時代に、これは: 聖霊の溢れと呼ばれる。私が皆を直接養おう、パンを増やし続け、誰も飢えたままにはしておかない、この恵みの時代に子どもたちが私のもとに来るのを、妨げようとする者たちは災い! だから、まだ疑う者たちよ、心を開きなさい、頭でなく。

私の教えは健全で癒やす力がある、怖れることはない、単純な心で信じなさい、私の霊とともに送る天使たちを裁いたり、罵ってはならない、モーセの亡骸をめぐって悪魔と言い争った大天使ミカエルさえ、罵りの言葉を用いて非難しようとはせず、こう言っただけだった:「主が正して下さるように3

私を希望しなさい、私を信じ 愛しなさい。私は聖であるから、聖なる生活を送るように。断食し、償いなさい、悔い改め、私に自らを日々明け渡しなさい。私の手のうちに自らを明け渡すなら、あなたたちを生ける光の柱としよう。絶え間なく、心から祈りなさい。清い心で私を受けるなら4。私の恵みが降り注がれよう、礼拝の時間に来て、私を礼拝しなさい、たまってしまった罪を告白し、あなたの神、私を喜ばせるように、そしてともに歩みなさい。右や左に脇見をせず私の教えに従いなさい、完全でありなさい! 私の天国となりなさい! 

ああ、被造物よ、あなたの神、私がどれほど愛しているかを知ったなら、躊躇しないで私の足跡をたどるだろうに! 慰めをどうしてほかに探すか? 私の聖心はあなたの傷に塗る香油、私の聖心はあなたの住まい。私の目はあなたたち皆に注がれている。

あなたたち一人ひとりを、そして家族を祝福する、このメッセージを読むすべての人びとを祝福し、その額に愛の接吻を残す、愛はあなたたち皆を愛している。

一つとなるように。

イクトゥス

ありがとうございます、わが主よ。祝福されますように。

みことばは光を与える燭台の明かりのようなもの

1989年8月28日 ノート35

パリにて

わが主よ、この問題に対して聖書からの返答を下さい。あなたのメッセージをどう伝えるのを願っておられますか、すでにあなたの僕をこの仕事に選ばれていますので。分割するのをお望みですか、それとも書き取られた通り全体として? ――― (お答えは、マルコ福音書4・21-25)

私のヴァスーラ、みことばは光を与える燭台の明かりのようなもの。どの魂にも私が見え、感じられ、私のもとに戻って来れるようにと輝いている。よいか? この世界に重く垂れ込めるこの闇を取り除きたいと願っている。灯火を与えるのだから、寝台の下ではなく燭台に置きなさい。

ありがとうございます、わが主イエス。

来なさい、花よ。あなたを迎え入れた家と私の子どもたちを祝福する。彼らを無限に愛している。決して何があろうと見放さない。あなたたちも私の十字架を担ってほしい、私の十字架も分かち合ってくれるように。私のためにそうしてくれるか? 愛があなたたちを愛している。

私の名は愛

1989年8月24日 ノート35

イエス様?

私です。小さな者よ、たった一つの優しい眼差し、あなたの小さな微笑みで心が歓び、跳ね上がる!

(しばらくして)

ヴァスーラ、私を祝福し称えなさい。花よ、ともにいるのが嬉しいか? 再び私の名に栄誉がもたらされると知りなさい。

はい、わが主よ、行われたすべてを喜んでいます、主の偉大な業績は私たち皆にとって祝福です。

では、私の子よ、私の名が、であると皆が知るように、地球全体に私の名を宣言しなさい。

主よ、詩編145の「ヤハウェ、ダビデの讃歌」(任意に開いた箇所)を主に向かって読ませてください。

声を出して読むよう、私がこの詩編を選んだ。私を見ながら、私のヴァスーラ、読みなさい、聞いている。

(詩編を主に向かって読みました)

来て、祈り、断食し、みことばを読み、聖体拝領のうちに私を受けなさい。ロザリオを祈り、私を礼拝しなさい。「私たち共に」?

永久に。

(後ほど夜更けに)休みにまいりましょうか、わが主よ?

そう、お休み。しかし条件が一つある。私があなたの心に憩い、あなたが私の聖心のうちに憩うように。

(思わず微笑み、歓びで心が跳ね上がりました)

はい、わが主よ! 祝福されますように、イエス。

あなたを祝福する。花よ、来なさい。

 

あなたを私の霊性をもって養っている

1989年8月23日 ノート35

ヴァスーラ、静まって、心安らかに私を迎えなさい。私は沈黙のうちにあなたに働きかける。みことばを左にも右にも宣言し、決して躊躇しないように。私の無限の愛によって、全人類への贈物をあなたに与えた。私を称え、愛しなさい、私の名を聖としなさい、あなたには私の恵みがある。

聞くように、ぶどうの刈り入れ時が来たなら、私のもとに来させよう、私の体の中にすっかりあなたを埋没させる。私、至高者は、あなたが無に等しい者と知りながらも、決して見捨てない。どれほどあなたを求めているかが分かっただろう? 無のままでいなさい、そうするなら私のうちに留まる、安心してあなたの神、私に従うように、私は各階位の、何千何百万の天使たちに囲まれている。私の聖さを感じなさい、神性を感じなさい、私に、私の聖心に、目を据えていなさい、私の花となってほしい。来なさい、私が祝福を与える時は目を伏せるように、今そうしてくれるか? あなたのために選んだこうしたやり方を受け入れ、単純な心でいなさい、それが私を喜ばせるのだから。

知恵を求めなさい、何倍にもして与えよう、識別を求めなさい、それを降り注ごう、私を礼拝しつつこれらを求めるように。さあ、学んだすべてを評価してみなさい。私はあなたの師、教育係り、あなたは英知の口より教わっている、分かるか? 私はあなたを養っている、ヴァスーラ、だが何を養っているか分かるか? 霊性私の果実いのちの木に成る私の果実分かるだろう

私のヤハウェは善くしてくださいます。
その愛は永遠。
代々にいたるまで誠実であられます。
私を罠の穴から引き上げ、癒やされました。
足を岩の上に据え、足取りを確固としてくださいました。
どれほど多くの不思議を行われましたでしょう、わが主よ!

私は果実を何倍にも増やしている

1989年8月22日 ノート35

み名が賛美されますように。生きとし生ける全てのものがあなたを称えますように、わが主よ!

愛があなたを愛している。すべてを越える私の愛と慈しみがあなたの上にある。倚りかかっていなさい、私は道を案内する者、疑わないように、まこと愛する者よ、いつでもあなたを満たそう。私の平和と愛の流れを、川のように送っているだろう? では歓びなさい、私、主が – あなたと – ともに – いるのだから。みことばを読むように。

(そこで任意にイザヤ書49・6を開きました)

(しばらくして)

今や私自身の手でぶどう畑を世話している。貧しい者や、義人たちの悲嘆の叫びを聞いたがゆえ、果実を求める声が聞こえてきた、そこで私、慈しみの主は、果実を何倍にも増やしている、パンと魚を増やし、群衆を養ったように。この果実は地球にとっては美と栄光となろう、敵に踏みにじられないように、ぶどう畑を囲んで塀を立てる。愛する者たちよ、私、ぶどう畑の主があなたたちの間にいる。勇気を、まこと愛する者たち。あなたたちがいかに光を遮られ、闇の中に封じ込められていたかを知っている、しかしこの暗やみと、私の燃え盛る愛の火を対比させようとして、私は降った。地球全体がまばゆい光で輝き、愛なる私が、あなたたちの間に生きるだろう。

私はあなたにこの使命を任命した

1989年8月16日 ノート35

平和を、私の子よ、私があなたを愛しているように、私を愛しなさい。私を感じ、識別し、私が見えたなら触れてほしい、そう頼んだだろう、私の子よ?

はい、そうです、主よ。

そうしてくれるか? 今? そう、私の手を取るように。与えているこの平和によって私だと悟りなさい……与えている愛によって、私だと悟りなさい。

どうしてこの追放の中を、まださ迷っていなければならないのでしょう? 果てしなく感じます、わが主よ。

分かっている、しかしあなたに任命したこの使命を、あなたは間もなく達成するだろう。見放しはしない。私の誉れとなるように面倒を見る。ヴァスーラ、私のそばを離れないように、そうしてくれるか?

仰しゃる通りにしたいと思います、主よ、いつでも。

決してがっかりはさせない、しっかりとつかまっていなさい、私はあなたの教育係りだと忘れないように。「私たち共に」?

はい、主よ、永久に。

被昇天の祝日の前日に

1989年8月14日 ノート35

私は主、私の子よ、この追放の地を通り過ぎようとしてほどなく、あなたを見いだし、そして私の心はあなたを愛した。私はしっかりとあなたを抱きしめて、真っ直ぐの道に連れ戻した。そして母の家の、私を身ごもった部屋に、連れて行くまでは、あなたを放さないだろう。明日は一日を献げ、周囲に私の芳しい香りを放ちなさい。私の霊があなたの上に留まっている。勇気を! あなたを見捨てることはない、祝福を降り注いでいる。私の子よ。

あなたが不幸に見舞われたなら、脇に立ち止まってはいない

1989年8月13日 ノート35

私の子よ、私の霊はあなたの上にあり、私の手はあなたの手の上に、みことばは、あなたの唇にある。私の譬えは足取りを導く燈火、常に私への愛に留まり、教えに従い、掟を守るなら、愛と忠誠は決してあなたを離れない。私はあなたの希望となり続け、あなたは私の嗣子として留まろう。あなたを取り囲むすべての悪に、私の子よ、私は打ち勝とう、あなたが不幸に見舞われたなら、脇に立ち止まってはいない、そしてあなたは、私の子よ、腐敗しかけた死人さえ救う私の正義と力を、宣言しよう、私は(I Am)復活であり、どの民も私の栄光をほめ称え、私を賛美しよう。最後までともにいる。「私たち共に」? 私の子よ? 「私たち*」? あなたの母、私が、どのような時でもそばにいるのを、いつも覚えていてください。絶え間なく祈るように。

* 2回目の「私たち」は聖母からでした。

忠実と熱意によって私まで届こう

1989年8月12日 ノート35

イエス様?

私です。花よ、私と一致し、私に繋がれた者よ、あなたは忠実と熱意で、私まで届こう、礼拝しなさい、私はあなたの神、憩わせなさい、私はあなたの聖なる仲間、慰めてほしい、私はあなたの伴侶、私をそして私だけを希望しなさい。私は(I Am)救う者、イエスです。

あなたの誇りとする群れは今どこか

1989年8月9日 ノート35

(コークスのカトリック教会で1989年8月18日に行われる祈りの集いのためのメッセージ)

主よ?

私です、聞いてほしい。愛する者たちよ、私は聖なる者、聖性の道を歩かせようと、あなたたちを準備している。私の小さな子たちよ、地上の持ち物に執着しないように覚えておきなさい、上からのもの、天来の聖なるもの全てに寄り頼むように。私は聖、そしてあなたたちは私に由来する者たちゆえ、聖なる生き方をしてほしい。私の名を聖としなさい。 

私の名を尊ぶように。私自身の者たちよ、私のもとに来て、沈黙のうちに私を見いだし、私を感じるがよい。私にすっかり心開くのを自らに許しなさい、その時、大いなる歓びのうちにあなたを教育し始めよう。知識を降り注いで、私のもとに魂を引き上げ、美しく飾ろう。私は私の聖なるみことばを絶え間なく思い出させる者、私は規律、そして英知。私に自らを明け渡すその全ての人を教育する、比類ない唯一の者。私の光の中で生き、翼の陰に隠れていなさい。私に養わせ、へその緒を早まって切り落とそうとはしないように、あなたが生きられるように十分整えさせ、大人として成熟し完徳に達するまで魂を養わせなさい。私から離れて行かないで、ともに歩みなさい。 

私はこの荒野で探し求めながら、今だに誤った道を歩むすべての人に、私は昼夜となく、繰り返し呼びかけている、来なさい! この荒野で誤って: 「あがない主を探し求めたが、見いだせない」と言う者たちよ。清い心で、私を見いだしなさい、まこと愛する者たちよ、私欲を持たずに私を愛することによって。聖さのうちに、私を見いだしなさい、あなたに望む明け渡しのうちに。私の掟を守り、私を見いだしなさい。悪を愛に置き換えて、私を見いだしなさい、単純な心で、私を見いだしなさい。もう罪を犯さないように。悪を行うのをやめなさい。善い行いを心掛け、義を追及するように。虐げられた者たちを助け、この荒野も不毛の地も歓喜させなさい。生温かったあなたが、熱烈な炎となって燃え上がるように。無関心を捨て去り、熱意に置き換えなさい。こうした全てを行うなら: 「私はあがない主を探し求めていたが、見いだした、ずっと傍らにおられたのに、闇の中にいて見えなかった。ああ、神に栄光! 主に賛美! これほど盲だったとは?」と言えよう。そのときは私の原理を守り、心に銘記するようにと促す、あなたが生きるように。ああ、私のもとに来なさい、真理からさ迷い出た、すべての羊飼いたちよ、試していない無法と破壊の小道はもうないなどと、どうして言えるか? 足跡を残さずに砂漠を渡ったなどと、どうして誇れるか? その自慢気な横柄さで私の群れに、何を与えて来たのか? そう、あなたの誇りとする群れは今どこか? 正しく統治したと、それでも言えるか? 私、牧者が、あなたに望む態度を自分で取ってきたかどうか、真剣に問うたことがあろうか? では私の言葉に耳を澄ましなさい、そして理解し、これらの言葉を警告として受け取るように、羊飼いの杖を偽りの笏に持ち替えながら、何千もの人びとを治める者たちよ。あなたたちの肩から重荷を取り除いたのは私だっただろう? あがなったのは私ではなかったか? 涙してパンを食べるあなたたちを、私は見るに忍びなかったではないか? 私のしたことはあなたたちを解放し、救い出しただけ、そしてそっと優しく命名した。

私の羊飼いと。

今や時は足りない、私は不思議と、印を与え、空を前兆で満たしている、次々と警告を送り、私の愛と慈しみの大いなる印を与えている、しかしこれらにあなたたちは気づかない。今日は、私を心に迎え入れる用意があろうか? 今の時代に降り注ぐ私の恵みの霊について、口を用いて語り、感謝のうちに認める用意は? 目で見る用意があるか? 耳で私の愛の叫びを聞き分ける用意は? 心を開き、今日の私の恵みを感謝をもって受ける用意はあろうか? 足を用いて私のもとに歩み来て、礼拝の時間に打ち伏す用意があろうか、まさに私の降誕の時、称えながら、拝みに訪れた最初の羊飼いたちのように? 今度こそは心から私をほめ称え、私への愛と誠実な思いを私の群れに示せるだろうか?

あなたたちは自らを生きていて死んではいないとする、では私にあなたの声が聞こえないのはどうしてか? 祝福の言葉が聞かれないのはどうしてか? 愛するすべての人を戒め、訓練するのは私、来て悔い改めなさい、今日は私の聖心を歓びで満たし、私、あなたたちの牧者に目を据え、もうこれ以上この砂漠でさ迷わないように。私は現存し、平和と愛と一致の道へ足を向けるように案内する。そこで私の王国の鍵を受け取り、それを用いるようにと切に願う。私の王国への鍵とは、栄光に満ちた愛、一致に必要な、もう一つの鍵とは愛と謙遜、これらの鍵を取って用いなさい、用いなさい、まこと愛する者たち、こうして一つとなるように一つの聖なる民となるように、一人ひとりを祝福する、額に愛の接吻を残して。

私のメッセージにこれを付け加えさせてほしい: 

自分は光の中にいると言いながら、兄弟を憎む者は暗やみの中にまだ留まっている。ゆるしなさい、ゆるしなさい、私、主が、快くゆるしているように。私が聖であると同じように聖い者となるように、私のメッセージを黙想しなさい、黙想しなさい、私のメッセージを吸収するように。愛が皆を愛している。

今度は聖母がご自分のメッセージをくださいます:

一人ひとりを祝福します。あなたたちには、主のメッセージに感謝し、絶え間なく主を賛美してほしいのです。これを信じて従う人びとの間で、このメッセージは今なお生きた力となっています。ですから安心して恵みの玉座に近づいてください、あなたたちは主の愛と慈しみを受けており、主は本当に思いやりのあるお方ですから、その指示に従い、主のメッセージを生きてください、読んで脇に置き、次のを待つだけでなく、実践するように、そうするなら主の聖心をお喜ばせします。お声に耳を澄ませてください。私の子どもたちよ、かかえている問題や苦しみをお献げしなさい、祝福をいただくでしょう。御名を聖となさい。愛があなたたちの間におられます、さあ、一人ひとりを祝福しましょう。