1987年12月のメッセージ

被造物に私の警告を伝えなさい 私を遠ざけてしまわないように

1987年12月1日 in ノート19

私がどれほどあわれみ深いかを世に示すために、あなたを選んだ。あなたを見つけた場所には、まだ私の子どもたちのほとんどがいる、私が連れ出しに来ていなかったら、あなたはまだ今日も、他の者たちの所にいただろう。無限のあわれみによって、あなたたちに警告するために、そして私のもとに引き寄せて、あなたたちの土台を思い出させるために私は来ている。

(神の被造物に対する平和と愛、そして教会を一致させるというこのメッセージは、私たちの上に神の義が燃え上がる前の、神の最後の試みの一つであることを理解し始めました。)

今やあなたは私を本当によく理解してくれている、娘よ。私を恐れているのか?

(もし私たちが変わらなければ、神がなさるかもしれないことへの、私の恐れを神は感じ取られたに違いありません。)

恐れています、私の神よ。お見せになったあの幻(ビジョン)の後では。

まだほんの一部しか見せていない1。ヴァスーラ、私の被造物は警告されねばならない。同じ間違いを繰り返させないために。

主よ、いつと同じ間違いを?

ファティマで大きな奇跡を行った時とだ、あの時、私は被造物に警告した、ところが人々は私の警告にほとんど注意を向けなかった。代わりに疑いや議論に時間を費やし、決して私の母の言葉を正しく広めなかった、そのため、ほんのわずかな者たちしかメッセージの緊急性を知ることがなかった。彼らは自らの犯罪によって手を血に染め、非常に多くの魂を道連れにしてしまった。
 彼らに過去の罪を思い出させよう2ガラバンダルのメッセージの緊急性を彼らに思い出させよう
 なぜ私のわざを疑うのか? 被造物たちに警告を伝えなさい。途方もなく多くの償いがなされなければならない。被造物たちは私の警告を受け入れ、私を信じなければならない。私の愛を思い出させなさい3、私の言葉を提起し、私を告げ知らせなさい……私を告げ知らせなさい、遠ざけるのではなく! 今やあなたたちは、私を遠ざけている、擁護してはいない! 過去の、そして現在の私のわざをはばかることなく宣言しなさい、私は全能者である。
 私の頭に突き刺さるいばらとは、知識の鍵を握っていながら、自分が入らないばかりか、入りたいと望む他の者たちをも入らせない、あの聖職にある魂全員のことだ! この者たちこそ私のいばら! そのいばらたちは今こそ私を見いだし、悔い改めねばならない。彼らの手は、今も生々しく過去の血に染まり、すべての犯罪と残虐行為の責任を負っている。この者たちに悔い改めてもらいたい、彼らは私の母のガラバンダルのメッセージに反抗し、広めるべきであったのに決してそうはせず、その緊急性を無視した。ああ4、私が抱えているものは何か、ヴァスーラ! 石だ、石のように硬くなった彼らの心だ。真理を受け入れなさい! 心を開きなさい! ガラバンダルはファティマの続きである! あなたたちの間違いを繰り返してはならない! ……ペトロ5
 ペトロよ、私のこだまとなりなさい! 私の小羊たちを養いなさい、ペトロよ、二度と私を知らないと言ってはならない、愛する者よ。

(主が「ペトロよ、私のこだまとなりなさい! 私の小羊たちを養いなさい、二度と私を知らないと言ってはならない、愛する者よ」とおっしゃった時、そのおっしゃり方のあまり、私はその場で死んでしまいそうになりました。)

来なさい、助けてあげよう。私のうちで休みなさい。

(私は感動のあまり、我を失っていました。それでイエスは私を支えようとされたのです。我に返るとこう言いました。)

イエス様、今説明します。神が懇願しておられたのです。懇願する声でそうおっしゃっていたのです。

そう、そうだ、ヴァスーラ、愛ゆえに。

愛しています、私の神よ。こんなにも悲しそうなあなたの声を聞き、悲しそうなあなたを見て、何百万回も死にたいと思わずにいられるでしょうか? もしも私に千の命があったなら、あなたの栄光のために、どの命も次から次へと差し上げて、御傷を癒やしたでしょう。

私の傷は、被造物たちが愛に立ち帰る時に初めて癒やされる、私を全能者として受け入れ、一つになりなさい。さあ、私の悲しみを共に分かち合おう。

イエス様、あなたのために償い、あなたの栄光をたたえるために、もっとたくさんのことができればいいのですが。

私のそばにいるなら、私の持つすべてを分かち合うようになるだろう。来なさい。

あなたたちの過ちが繰り返されている

1987年12月2日 in ノート19

ガラバンダルのメッセージは本物である。それは広められ、尊ばれなければならない。ガラバンダルを聖としなさい。あなたたちの過ちが繰り返されているのが見えず、理解できないのか? ファティマの時に犯した過ちを、あなたたちはまたも繰り返している。ああ、被造物よ、いつになったら私を信じるのか? 「ie emphanises itan1

私の神よ、そんなにも悲しんでおられるあなたを感じ、その声を聞くのは、あまりにつらいことです。

ヴァスーラ、私を慰めてほしい。

ああ、主よ、おいでください。あなたをお慰めしたいです。すべての魂がこれを知り、主であるあなたをお慰めして、あなたが多くの人々から慰めを受けられたらよいのに。

私を愛するなら、慰めてくれるだろう。
 さあ、私、イエスが、カインと私のアベルの間に立つことを思い出させよう。カインは、今度は弟の代わりにと対峙することになる。カインが打とうと手を挙げるなら、私を打つことになる。カインは衣服をがされ、自分が裸のまま、彼の神である私に対面していることに気付くであろう。
 私のアベル、私に深く愛されたアベルよ2なんじ、この度は生く。あなたの血が流されることはない。私の園、私のアベルの血が流されたまさにこの園が、私の香りで美しく飾られる。さあ、花よ、私の現存を思い出させよう、目を覚ましていなさい。

途方もないほどに多くの償いがなされなければならない ガラバンダルの出現を確証します

1987年12月4日 in ノート19

イエス様?

私だ。娘よ、私の言葉についてはっきりさせておきたい。出現に迫害を加えた者たちを私は責めない。ただ彼らが自分たちの過ちに気付いて、それを認め、悔い改めるために私のもとに来ることを願っているだけだ。私は彼らの罪を問わず、彼らをゆるす。娘よ、多くの者たちがまたも私のメッセージを迫害し、私がイエスであることを否定するだろう、自分の過ちを認めることへの恐れのため、これがまたも彼らの知恵を超えているために、子よ1

おそらく彼らには、あなたであることを否定する意図はないのでしょう。多分、彼らの潜在意識においては。故意にそうするつもりはないでしょう、彼らも気付いたら、きっと進んであなたをほめたたえるでしょう! 理解できていないだけなのです。

あなたの推察がどれほどうれしいか──どうして彼らをかばうのか?

彼らが分かっていないからです。もし分かっておらず、理解していないだけなら……。

聞いている。

それでは、あえてお願いします。彼らをおゆるしくださり、あなたのあわれみを注いでください。

しかし子よ、彼らはあなたの迫害者となり、あなたの魂に苦痛を与えるだろう──彼らはあなたをむち打つ者となる。

そうだとしても、理解できていなかったとしたら、彼らに悪い意図はないということです。何をしているのか分かっていないのです。弱さのために。あなたは、その神聖な愛をもって、あなたであることを理解するように助けることがおできになります。私の神よ、あなたの神聖な御手で、彼らを打たないでください。彼らを打つことによって、多くの罪のない魂までが罰せられることになるかも知れません。

ヴァスーラ、被造物たちはらくしてしまった。途方もないほどに多くの償いがなされなければならない、自分たちがどこへ向かっているのか気付いてほしい。私の聖職にある魂には、私から引き出して、小羊たちを愛と知識で満たしてもらいたい。今のところ、彼ら2は完全な暗闇の中にいる。

はい、イエス様、それでも教会の権威者たちを照らしてください。この「伝統からはみ出した」方法であなたと共にいることが、たとえ彼らの理解を超えていたとしても。彼らの目と耳を開いてください、主よ!

私は知者にではなく、ほんの子どもに過ぎない者たちだけに知恵を与える。

それでは主よ、彼らのチャンスはほんのわずかです。いや、もうありません!

子どもとして私のもとに来なければ、チャンスはなくなるであろう……
 ヴァスーラ、あなたの苦しみに耐える力を大きくしてあげよう、むち打たれる3であろうから。私を自由に働かせ、私のわざを妨げないように。

主よ、彼らをおゆるしくださり、その弱さを見過ごしてあげてくださいますか?

(あえて妨げるようなことを言い続けました。)

あなたが彼らに傷つけられるのを見るのは耐え難い、子よ。

どう言えばいいのか分からないのですが、彼らの弱さを見過ごしてくださるようにお願いできないでしょうか?

花よ、あなたが彼らに踏みつけられるのは見たくない。あなたが踏みつぶされるのを我慢しようとは思わない。

でもどうか彼らを打たないでください。教えてあげてください、主よ。

では、彼らは耳を澄まさなければならない。
 ヴァスーラ、あなたを待ち受けているものがどんなものか分かるか? あなたは私の十字架を見た。覚えておきなさい、試練は厳しくとも、私があなたのそばを離れることは決してないということを。私の近くにはあなたの聖母がおられる。母のお言葉を聞きなさい。

「愛する娘よ、ガラバンダルを聖としてください。私はガラバンダルで現れ、メッセージを与えました。私のメッセージは正しく広められていません。多くの聖職者たちが私の出現を否定し、こうして、彼らの心の中に私たちの居場所を与えるのを拒みました。けれども、私は愛する子どもたちのことを忘れたことがありません。彼女たち自身4が疑い、混乱に陥って、私の出現を否定したこともありました。これは一つの例えとなるものです。それは、今日の教会に混乱がどのようにして、またどれほど広がっているかを私の子どもたち5に示しています。私はガラバンダルでの出現を確証すると約束しました。時は過ぎて行きます。そして私のメッセージが正しく広められることはありませんでした。私の聖性も尊ばれてはいません。」

私の神よ、きょう、今すぐにでも広めなくてはならないほど緊急のように聞こえます。道を開いてくださるよう、主にお頼りします。喜んであなたのメッセージを広めますが、あなたのお望みを果たすための力と勇気、そして可能性を与えてください。アーメン。

今になってあなたを見捨てるだろうか、私のヴァスーラ?

いいえ、主よ、続けていくためにあなたの力が必要なのです。

やり遂げるようにと指示したことを達成するのに十分な力を、あなたは受けるであろう。

これが私のゆるし方

1987年12月6日 in ノート19

書きなさい、ヴァスーラ。
 主である私は、あなたに十字架のみちきを尊んでもらいたい。明かりを採り入れるように、まず私の母を尊び、母にろうそくを献げなさい、そしてみちきのそれぞれのりゅうで明かりを持って私を尊び、すべてのりゅうでひざをかがめるあなたの姿が見たい。

主よ、あなたは既にご計画を立てておられます。どうか主よ、あなたを尊ぶための道を開いてくださるよう乞い願います。

そうする。私にり頼みなさい、そうすればあなたをかついで行こう。
 ヴァスーラ、これが達成されたら、すぐに次の出来事がやって来ることをあなたに思い出させよう、もう自分の安楽を追い求めないように、必ず思い起こさせる。

私の神よ、それは私たち皆におっしゃっているのですか?

いいや、ヴァスーラ、あなたに話している。私の顔をのぞき込みなさい。この出来事は、あなたが自分の上に置かれた私の力ある手を感じる始まりとなる。私の神聖な指示があなたの中に流れ込む。あなたは柔軟になり、喜んで私に仕え、忠誠を尽くし、私を尊ぶだろう。あなたを用いよう、十分に用いられるだろう、私の標的となるに至るまで。あなたは私の石板である、小さな子よ。私はペトロのもとに私の羊たちを連れ戻すつもりだ。

主よ、私の神よ、もう一年以上も、「石板」として共におります。毎日使ってくださいました。この方法でより一層近づかせていただいたゆえに、あなたを愛しています。私をお使いください。あなたに忠誠を尽くし、奴隷ともなりましょう。

ヴァスーラ、あなたをどんなに愛しているか。十字架のみちきをした後で、私の足に口づけしてくれるか?

はい、主よ、そういたします。

来なさい、私の現存を忘れてはならない。ここ最近は、私をおろそかにしているようだ。

私の神よ、何とかすべてをやり遂げる力をお与えください。ご存じのとおり、あなたをお喜ばせしたいのですが、私の力には限界があります。私をゆるしてくださいますか?

ああ、ヴァスーラ、あなたをどんなに愛しているか。あなたをゆるす。見たことを書きなさい。

(イエスは、私が主をおろそかにしているとおっしゃった時、悲しくて深刻な表情をしておられました。ゆるしてくださいとお願いすると、主の神聖な御顔がぱっと明るくなり、輝くような笑顔をなさり、えくぼをお見せになりました。私が主の抱擁の中に身を投じることができるよう、主は両腕を大きく広げられました。)

ゆるしは常に、一瞬のためらいもなく与えられる。そしてこの私のゆるし方を私の子どもたちに教えられるよう、あなたに十分に識別させた。
 さあ、私たちで共に。

(イエスはこうおっしゃっている間、私に注意を与える教師のようなしぐさで、人差し指を動かされました。)

私の望むとおりにあなたを導こう

1987年12月7日 in ノート19

あなたを「伝統からはみ出した方法」で導いている、だが私は神であり、あらゆる方法を用いる。時間が過ぎ去っていく、時は近い。私の望むとおりにあなたを導こう、ヴァスーラ。

私の五つの傷は開かれている

1987年12月8日 in ノート19

(どんなことが待ち受けているのかと思案した後、私はパニックになり始めました。弱さが極度にまで達した瞬間です。とても動揺していました。)

私の神よ、普通の人のように、普通のやり方で、あなたを愛することはできないのでしょうか? 愛する神よ、このような方法ではなく、普通のやり方で、私を導いてくださることはできないでしょうか? ああ、神よ、このすべてにとても大きな責任を感じています。あなたが授けてくださるすべてのお恵みにもかかわらず、私はみじめで、罪深く、邪悪なままだということを知るのは拷問です。どうして、主よ、どうしてこんな私をそばに置いておかれるのですか? これ以上、あなたに顔向けできません。私はあなたにふさわしくありません。私の行くべき片隅に引きこもらせてください。こんなに近くに置かないでください。

どうして? なぜ?

私の神よ、いいえ、他の人たちと同じように、普通のやり方であなたに従い、あなたをお愛しします!

愛する者よ、あなたを大切に思っている1

ああ、イエス様、私はあなたを傷つけているだけです。行かせてください。私は自分のみじめさの中で安んじます。でもあなたを尊び、愛するのをやめたりはしません2

待ちなさい!

主よ、このすべて3が私の理解を超えているのです。私自身を超えています!

いいや、あなたの理解を超えてはいない、今はもうそうではない。愛する者よ4、私の五つの傷は大きく開いている。私は大量に血を流している。私は苦しんでいる。あなたの神が苦しんでいる。私の体に栄光を帰してくれないのか? 私の五つの傷は、被造物たちがどれほど私を悲しませているかをあなたが理解するために開いている。
 あなたたちが邪悪であろうと、失敗しようと、疑おうと、非道であろうと、私を拒絶しようと、懐疑的であろうと、私の体に対する誠実さに欠けようと、私はあなたたち皆を愛している。まだ理解していないのか? なぜ、私に対していつまでも心を閉ざしているのか? なぜ、あなたたちのほとんどが私を見捨ててしまったのか? なぜ、私に従っていた者たちは進路を変えてしまったのか? どうして私の園をおろそかにしているのか? なぜ私の花々に水をやらないのか? なぜ?
 ペトロよ、私の小羊たちはどこか? 小羊たちを探し出し、一致させるのを助けてくれないだろうか? 来なさい。探し出すのを手伝おう、小羊たちに食べ物を持って来て養おう。違う、ペトロ、この不毛の地では何も見つけられない。何も残っていない。わずかに残っていたものも、今や干からび、荒れ果てててしまった。目の届く限り、荒れ地しか見えない。だが、主である私が、私の倉から私のパンを取って来て、あなたたちの倉を私の作物で満たそう。私が小羊たちを養う。この荒れ地に水を引こう。信頼しなさい、愛する者たち。私に信頼しなさい、そうすればあなたたち皆を再び一致させよう。あなたと一緒に、私のヴァスーラ。花よ、もうあなたが彼らに踏みつけられる姿を見ることはない。私の体の栄光のためにあなたを用いようと思っている。神である私が、あなたを愛している。

(主がこのメッセージの中で「私の体に対する誠実さに欠けようと……」とおっしゃった時、主は一致のために働いている人々のことを話しておられました。教会の権威者たちが、解決を見いだそうとして集まっても、大抵こうなってしまいます。話し合いをする相手に、こちらの要求する「何か」が受け入れられるのを期待しながら対面するのです。結局、だれも大して譲ることなく、話し合いは終了してしまいます。これは昨夜、主が私に教えてくださったことです。)

私の子どもたちは飢えている

1987年12月11日 in ノート19

イエス様?

私だ。

イエス様、どうして司祭や神学者のような方たちよりも、メディアの方たちの方がたやすく信じてくれるのでしょう。この質問を私になさった時のことを覚えておられますか、主よ?

覚えている。

第一巻を読むと、残りが読みたくなり、彼らのほとんどが、第一巻を読んだ後には、ひざまずき、祈るようになります。人生でこれまで祈ったことのなかった人でさえ。すばらしいです!

ヴァスーラ、私の子どもたちは飢えている。私のパンを見ると、彼らは飢えを癒やすために、それをつかみ取る。もっとほしくなり、さらに求めて私のもとにやって来る1と、私は持っているものをすべて与える。

けれど主よ、一度か二度あったことなのですが、それを読んだ人たちが喜びのあまり、司祭も喜んでくれると考えて、分かち合いたいと思ったのですが、司祭に全く関心を持っていただけなかったのです。実際、司祭たちはこの人々を失望させてしまいます。

ヴァスーラ、その者たちこそ私を傷つけ、繰り返し繰り返し私を刺し貫く者たちである。私の弟子たちが私を拒絶するのを見て、私は耐え難いほど苦しんでいる。彼らには私の小羊たちに与えるものが何もない。

それでも主よ、司祭たちの否定的な態度や、熱意の欠落にもかかわらず、彼らは落胆しません。あなたと再び出会い、そこに平和を見いだすからです。けれど、このようになってしまうことに心を痛めています。司祭たちがご出現のことを何もご存じないのが分かるとなおさらで、どうして教会はこのことについてもっと語らないのかと不思議に思うのです。彼らの一人の意見では、そういうことは小さな声で、しかも内輪の話だけにしておくものだと言うのです。

そうだ、ヴァスーラ、私の聖職者たちは、今日の私のわざを押さえ込んでいる。娘よ、既に言ったが、もう一度言おう、彼らは知識の鍵を握っていながら、自分が入らないばかりか、入りたいと思う者のだれをも入らせない! 懐疑やさい心、頑迷さによって、道をふさいでいる。子どもとしての彼らを、私は失ってしまった。自分たちの知恵によって目が見えなくなり、私への道を見失ってしまっている。
 ──愛する者よ、今あなたがしなければならないことをすべて2犠牲として献げ、私と共に祈りなさい。

はい、イエス様。

「御父よ、
彼らが平和について話し合うようになりますように、
彼らの不誠実さをおゆるしください、
御父よ、もし彼らが私を迫害したら、
傍観していないでください、
来てください、私を守りに来てください3
私の味方でいてください、
彼らを照らし、彼らに教え、
間違いに気付かせてあげてください、
あなたは正しいお方、
むしろ彼らの上に輝いてください、
彼らがこう言ってあなたをたたえますように、
『御自分の子どもたちが平和であるのを見たいと望まれる
いと高き私たちの神は偉大、
私たちを一致させるためにくだってこられた主に賛美、
今日のわざを告げ知らせるために来られた主に賛美』。
アーメン。」

さあ、愛する者よ、後でまた会いに来なさい。今は私の現存を覚えておきなさい。愛している、娘よ。

はい、主よ、覚えておきます。

あなたを惨めさの中に見いだした

1987年12月11日 in ノート19

花よ、私があなたの救い主、イエスであることを決して疑わないように。私があなたを見つけた場所を、振り返って見てみなさい1。今なお私の子どもたちが多くいる、そのみじめさの中であなたを見いだした! さあ、ヴァスーラ、この十字架が見えるか?

(イエスはエルサレム産のオリーブの木の十字架のことをおっしゃっていました。それは今、私のすぐ近く、ノートの上にありました。夜の間、手から離さずに持っている十字架です。)

そうだ、私のヴァスーラ、今それを手に取りなさい。私の唇のところまで持ち上げなさい。そう、持ち上げて。

(私がイエスの聖なる御唇までそれを持ち上げると、イエスはそれに大変優しく口づけされました。)

あなたも口づけしたいか?

(そうしました。)

今度は持ち上げなさい。それを祝福した…… あなたたち皆を大切に思っている、愛する者たちよ。

私の教会は混乱のうちに治めている 裁いてはならない

1987年12月12日 in ノート19

私の神よ! 今私が非難されていることは、もう御耳に届いているに違いありません、主よ。エホバの証人たちが私を非難するのは、これで三度目です。前の二回は、これは悪魔のわざだと言われました(メッセージを読みもせずに)。そして今度は、私をかつて堕落した悪魔の子孫だと言うのです! 主よ、なぜなのでしょう? どうしてキリスト者たちは、互いにこうも違っているのでしょうか? 何がおかしいのでしょう?

私の教会がこれほど混乱していたことはない。あなたの聖なる母の言葉を思い出しなさい。

「ガラバンダルの混乱は、今日の教会がどれほど混乱しているかを示す一つの例えとなるものです。混乱が広がっています」。

私の神よ、とても悲しいです、本当に悲しい、主よ。

あなたは私を感じるがゆえに嘆き悲しんでいる、だんだん私のことが分かってきている。私が何によって苦しむかにあなたが気付くとき、どんなにうれしいか。ヴァスーラ、私は彼らも愛している、だが彼らはサタンによってすっかり間違った方向にれてしまった。サタンが目をくらませたのだ。目の見えなくなった彼らを別の道へと連れて行き、彼らはだまされたまま、天の元后である私の母を軽んじるだけでなく、私のペトロも、そしてすべての小羊たちのためにペトロに授けた権威をも軽んじた。彼らは私の花々をも迫害し、私が今日行っているあらゆる天のわざを非難する。サタンは、どんなものでもあなどるように彼らを仕向けてしまった。彼らは分かっていない。サタンは彼らが真理を把握するのを妨げ、彼らの教義があなたたちの間に侵入している、愛する者たちよ、そして彼らこそ、私が警戒するようにと言っていた者たちだ1。この者たちは、子どもたちに与えた私の恵みを「サタンのわざ」と呼ぶのを好み、あなたたちの聖なる御母を否定する。
 ヴァスーラ、あなたに任されているのは、決して彼らを責めることではない、代わりにこう言うことを覚えなさい。「主が裁き手となられ、その誤りを正してくださいますように」と。
 愛する者よ、時の終わりが間近に迫っている。あなたたちにしるしと警告を与えると言っておいた。私の土台2をあざ笑い、自分たちの教義にしか従わない彼ら3を見て、私は苦しんでいる。彼らはあのカイン、私のアベルにとって危険な者たち。私の家で成長したいと願う者にとっての障害。私の民を誤った方向に導く惑わしのたいまつ、硬くなった岩である。彼らは私の土台に反逆している。心の中にカインに由来する教義を受け入れてしまった彼らに、どうして私が地上の王国を与えるだろうか?
 あなたたちをよみがえらせよう、そしてあなたたちの魂は私のもとに来るであろう。私の腕の中に! あなたたちは地上では過ぎ行く影でしかなく、最初の雨粒で洗い流されてしまう小さなちりに過ぎない。私自身がこう言わなかっただろうか? 「私の父の家には住む所がたくさんある。私はあなたたちのために場所を用意し、私のいる所にあなたたちもいることになる」と? 魂たちが来るのは、私のもと、私の家に来るということ4! ヴァスーラ、彼らは私の土台に対して策略を練っている。私の領土を根こそぎにしようとしている。あなたを愛している。泣いてはいけない、花よ。

(イエスが悲しんでおられるのを感じると、私も悲しくなるのです。)

あなたに私のいばらの冠をかぶせよう……そして、やりは彼らの間にある。私の家に対して陰謀をたくらみ、会合に会合を重ねて、ペトロを葬り去ろうとしている!

ああ、神よ、まさか! だめです、主よ!

共に集まりなさい、愛する者たち。私の教会をもう一度強めるように。一致しなさい、愛する者たち、もう一度一緒に集まるように、一つになりなさい。花よ、目を覚ましていなさい、
 愛があなたたちをあがなう、私の愛する者たちよ。さあ、花よ、開きなさい。開いて、私にいのちのしずくを注がせなさい、それはあなたを立ち上がらせ、私の敵を踏みつぶすほどの力を与えるであろう。覚えておきなさい、私、主イエス・キリストがあなたの前にいることを。

(このメッセージで、とても心配になりました。)

彼らが聞いてくださることを切に願います。事は差し迫っています!

愛はサタンの化けの皮をがす

1987年12月19日 in ノート19

私は愛である。
 彼らに伝えなさい、彼らに伝えなさい、ヴァスーラ、誠実さが悪に勝利すると、謙遜は悪魔を弱体化させ、愛はサタンの化けの皮をがすということを。

(しばらくして)

ファティマの聖地は償いを求めて叫んでいる! 私のもとに戻って来なさい、被造物よ! 来て私を受け入れなさい、被造物よ! 来て私に祈りなさい。もう罪を犯してはならない。私を信じなさい、疑うのではなく。来て悔い改めなさい。来て私を受けなさい。聖なる者となりなさい、ヴァスーラ。ああ、ヴァスーラ、被造物を私のもとに連れ戻すように! 祭壇よ! 私の炎をあなたに注ぎ、愛で燃え上がらせよう。私の栄光をたたえ、私の利益を追い求めなさい。他の者たちのように、自分自身の名誉や栄光を求めてはならない。

主よ、前にも言いましたが、もう一度言います。私はあなたの利益だけを追い求めます、主よ、そして、あなたの栄光がもっとたたえられることだけを。私の意志をお取りください。私をあなたに明け渡しました。

そう、ヴァスーラ、私の渇きを満たしなさい。私を王として扱いなさい。あなたの神である私を尊びなさい。私に逆らってはならない。あなたの中にいる私の現存を尊ぶために、あなたの体を聖化しなさい。愛する者よ、来なさい、隠されたものはすべて、間もなくあらわにされるであろう。私の神聖な手が覆いを持ち上げ、隠されていたものをすべてあなたたちに現そう。ガラバンダルはファティマの続きである、そして「私はある」ゆえに、私の統治は永遠に及ぶ。私はアルファであり、オメガである。
 あなたたちをどんなに愛しているか、被造物よ! 私自身の者たち、私の子どもたち、愛する者たちよ、来なさい、私の広げた両手の中に入って来なさい。あなたたちの父のもとに戻って来なさい!

(神の声は愛に満ちあふれていました。まるで懇願しておられるかのようでした。)

あなたを愛している。
 聞きなさい、ヴァスーラ、あなたが私のアベルたちの中にいるとき、私もそこにいる。あなたの耳元に教えをささやこう。与えるべきパンがある。私のパンは聖なるもの。私の倉から取り出したほんのわずかなパン種だけで、練り粉全体を膨らませるのに十分であった。今やこの練り粉は私の新しいパンである、だからあなたたちの古いパン種を取り除きなさい。それはもはや効き目を失っている、愛する者たちよ、来て私の新しいパン種を使い、いつも新しい練り粉のままでいなさい。それは口に甘く、私の小羊たちを引き寄せて養うであろう。私が聖化したパンを尊びなさい。誠実さと真理と愛のパンを。私を喜ばせてほしい、愛する者よ。小羊たちに私の新しいパンを味わわせてほしい。彼らの間で配り、大勢の飢えた者たちに食べさせなさい。満腹するまで食べさせてあげなさい。知者の議論に私が納得することはない。感銘を覚えることもない、だからあなたも感銘を受けないように、娘よ。私の意図は、ちりぢりになった私の小羊たちを連れ戻すことである。彼らを愛のもとに連れ戻しなさい。
 私の名を印すように。

イクトゥス