私の心の鼓動は魂にたいする呼びかけ
1988年2月4日 ノート21
(イエスが今朝は本当にはっきりと感じられます。ときどきこのすべてが錯覚ではないかとすごく不安になります、もしかして見えていないのに、見えていると思って。でも今のようですと、すべてがこのままでよいと、主はどういうわけか安心させて下さるのです)
本当に主ですか?
私です、教えたように、私が見えたのです、私の心を示そう。私を前にして、見て感じたことを書きなさい。
神のみ前にいるこういった瞬間は大変元気づけられます。この瞬間が決して離れていかないでほしい、もう何もいらない、周りのすべてが色褪せ、重要ではなくなるのです。神の臨在が隅々にまで及び、満ち溢れ、満たされた感じです: すっかり満足して。私たちの知っているお姿で主が見えます。お召し物のかすれる音、足音がほとんど肉の耳で聞きとれるようです: 今主は私の左に立たれていますが、私は小さなテーブルの前にひざまずき、正面には聖骸布の御絵があります。そしてそこには幼子イエスと聖マリアのイコンが。イエスは60センチ離れたところにおられ、み顔は美しさそのものです。主はご自分を見るように頼まれました。聖心を示されましたが、御胸は愛に溢れ、光り、輝き、全体に明るく映えています。
すべてその通り、その識別は正しい、ああ、ヴァスーラ、私のヴァスーラ、どんなに愛しているか、最愛の魂、望む時いつでも来なさい、私の聖心を見ただろう。
(始めの頃はしばらくこれらの祈りをしていましたが、あとでやめていました。聖マリアが続けるように思い出させて下さり、それ以来、毎日続けています。イエスはこの三つの祈りでその日を始めるようにと説明なさったのです。私は書き始めるたびにそれをしなければならないのか、確かでありませんでした、一日三、四回とか、一行だけのこともありますから、それとも一日の始めに一回なのでしょうか)
ヴァスーラ、私の子たちを集めて、少し前に1書き記させたメッセージを読みなさい。
それを読み上げてほしい、皆を愛し、私は皆のさ中にいる、被造物よ、あなたたちは私のもの、私の種子、愛する者よ、私はあなたの救い主、私のもとに戻って来てくれるか、腕に飛び込んでくれるか? 罪を赦そう、来て私のパンを食べなさい、葡萄酒を味わいなさい、悔い改めるならあなたをゆるす、私の心の鼓動に耳を澄ましなさい、一つの鼓動は一人の魂に対する呼びかけ。ヴァスーラ、以前与えたものとこれとを、彼らに読んで聞かせてくれるか?
はい、主よ、そうします。
(しばらくして)
友人からの手紙と、教会がなぜ「啓示」を非常に警戒するかが書かれてある新聞の切り抜きを読んで、この啓示を司祭が認めにくい理由が分かりました、偽物やまやかしがたくさんありますから。でもファティマの奇跡に対してさえ大変懐疑的だったのを思い出さずにいられません。今日ではガラバンダルに懐疑的ですが、明日受け入れても遅すぎるかも知れません。懐疑的過ぎます。
御父よ2。
言いなさい。
……教皇様が反対されるのではと恐れています。この方だろうと、どなただろうと信じていただけなくて当然です。この方がたに起こればよかったのに! そうすれば受け入れてもらえたでしょう……
ヴァスーラ、あなたにはパンを与え、私の園の果実で養った、私は手ずからあなたを養った、ああ、愛する子よ、あなたを改心させたのは私ではなかったか? 私を愛させたのは誰だったか、私ではなかったか? 探し求め、死者のさ中に見出し、かがんで引き上げ、甦らせたのは誰か、私ではなかったか? あなたを癒やし、健康を取り戻すまで世話しようと、深いあわれみをもって私の家に担いでいったのは誰か、私ではなかったか? 日々私の道を教えたのは、私ではなかったか? そして今私の子たちを改心させているのは誰か?私ではないか? 私はあなたの救い主、ヴァスーラ、あなたはもう私の一部となり、一人では生きていけない、あなたには私が要る。枝がそれだけでは実を結ばず、木に繋がっていなければならないように、あなたも同じです、あなたの実は私からのものであり、私の果実は多くを養う、私の果実とは証し人としてのあなたであり、疑う者はあなたの実によってあなたを見分け、こう言うだろう、「良い木は良い実をつける」と。飢えた私の子らがこの実を味わい、眼に涙して悔い改めながら、戻って来る時、私は幸せを感じる、どんなに幸せとなるか! 人びとを悪魔の支配からもぎ取りなさい、ヴァスーラ、忍耐を持つように、みことばは流れ出した小川のようだと言った、小川は走り始め、河となり、幅を広げ、みことばは溢れて大海となる、愛の大海はあなたたちの心を満たし、愛は愛としてあなたたちの間にとどまるだろう。多くの者にあなたは拒まれると、ヴァスーラ、私は予告した3、受諾を学びなさい、私は4多くの者に拒まれ、その頑なさに泣かされてきた! 来なさい、学ぶだろう。愛している、あなたを支える、
さらに多くを改心させよう。「私たち」? 私の現存を感じなさい、そうするなら私を悦ばせる。
はい、主よ。主の支えを感謝します。