聖霊の頌歌 続き (ⅱ)
1998年6月7日 in ノート93
(日曜日、聖霊降臨の祭日1)
(聖霊は1998年4月22日の聖なるメッセージを続けられます)
ああ……私のヴァスーラ……私はあなたを選んだ、あなたも死に絶えていたが、私は拒まなかった。こうして同じように、そう、望む者は誰にでも、私の言葉にできない情愛と神聖な力を現そう2。私はあなたを拒まない、むしろあなたへの愛が私をいかに寛容にさせているかを見たであろう? この日々に御父と御子と私は、三位の証し人として降ってきた。真理の霊3なる、私を送られて、永久にあなた方と共にとどまり、全き真理へと導くようにされた神なる父は、霊である4。
神のみことば、光、そして救い主であり、初めから存在し、御父のみ心に最も近いお方は、御父を証しし、あなた方に御父を知らしめた。あなた方はこの方自身の血で買い取られた。みことばは生きて活動し、私と御父が証しすると同じように、地上で証ししておられるとは読まなかったか? 自らの血5で教会を買い取られた聖なる方は、その血によって証しし、全き真理6へとあなた方を導く、真理の霊なる、私は、水によって証しする7。
それゆえ、私たちは三位の証し人であって、唯一の神8であるため三位とも、同じ意志、一つの権威と同じ主権をもって同意している。
私について、被造物よ、どんなイメージをつくり上げ、いまだ私を知らずにいるのか? ……ところが私は証しをやめたことはない。顔を隠したこともない9……
「ああ、えも言われぬ美しい光よ、
あなたの神聖な眼差しは、優しくほほ笑んでいました。
ほほ笑まれたので、私は思わずほほ笑みをお返ししました。
み顔は、ああ、聖なるお方よ、天使のような魅力をたたえています。
愛と清さを放つ聖なるみ顔は、私の顔のすぐおそばにあって。
ご出現に驚き入った私はそのとき、深い瞑想もしていませんでした」
み顔全体も崇むべきものでしたが、特に注意をひいたのはその眼差しで、私はすっかり畏敬と賛美の念に満たされました。
「言いようもないいたわりをもって、私の目を見入るその愛の眼差しは
二つの輝く星のよう、静けさを湛える空色の、透明な海。
私のような卑しい虫けらが、何をか言えましょう?
神なるあなたの眼差しは、私の主よ、聖餐式のよう、
愛の大海原、楽園
そしてふさわしくないまま、眺めるのを許された者にとっては
焼き尽くす火……」
私に耳開かれた、あなたは、なんと祝福された者、私たちの神聖な意志が行えるよう、その行く手が私たちの知恵のうちにまっすぐなように。私に頼るがよい、愛する者よ、できる限り多くの者たちを、一つなる私たちと一致するように集めて光で満たし、こうして私たち三位一体なる神の全き充満で満たす。
──来て学ぶように、苦難の時は必ず共にいる。私はあなたの慰め主、そして望み絶たれたところで慰め癒す。私はいのちの与え主、そして洗礼の接吻をもって息吹を送り、あなたを新しくする。その自然な心の傾きは神の心と相反し、あまりに人間的、この世的で、死にいたらしめるが、私は、あなたを新たにし変容させて、私の天使や諸聖人と同じように、私の神性と高貴をおびた神となれるようにする。
あなた方が私たちのうちに働いて、私たちもあなた方のうちに働くよう、御父と独り子と私との神聖な愛のうちなる子としての一致に、皆を引き入れようとしている。私は、あなた方の閉鎖的な思考を変容させて解放できる、こうしてその思いと言葉は霊的なものだけにとどまろう。そこで:「サタンの洗礼で死の接吻を受けた私は、もう駄目です」とは言わないように。そうではない! 私のもとに今、来るなら。私はサタンの死に至らせる死の接吻の解毒剤。私は、死そのものの毒を抜き取るもの……私を持たないなら体は実のところ死んでいる、しかし私と共に体は生き、私のうちに、私により神の子として数えられよう。それゆえその心を私が治めるのを許し、至高者の息子娘たちにさせてくれる必要があるのです。
聖書ではこう述べている10:「心の清い人は幸いである、その人は神を見るであろう。」
神を見て、父として認めるには、恵みによって、私、聖霊から生まれなければならない、そうでなければどうやって、神が見えてこよう? 生まれる前の、子どもは、父親を見たであろうか? 生まれるまでは父親を見ない。私から霊的に生まれる場合も同じよう。肉は肉であって、肉に見える範囲がある。しかし霊によって生まれた者は神を見る視力を与えられ神を捕らえて、認め、その深遠に入っていける。そこで来て、前に歩み出し、前進しなさい、そうするならあなたを翼に乗せて空高く昇り、三たび聖なる私たちに聖別された、聖人たちが皆で集う、養子縁組の場所に連れていこう。おや、彼らの間にあなたも、定められた場所があるのを知らなかったか? 安心して私のもとに来なさい、そうしたら反逆者から正しい人へとあなたを変容させ、魂を聖性へと導く、そして罪はもはや力を失おう。
罪はあなたのうちなる悪い主人のよう、どのような時もその主人に意を振るう隙を与えてはならない。すべて善いものの源なる私は、悪い主人である罪を圧倒することができる、私の掟は善意といういのちの掟であって、あなたのあらゆる悪い傾きを打ち負かせるがゆえ。来て、単純な心で私を見い出ししっかりと私に心をつなぎ留めなさい。不信や、この世的な雄弁をもっては私のもとに来ないように。うぬぼれ、悪徳や不実をもって近づいてはこないように、そのようにして来る人は、決して私を捕らえも見もしない、だが悔い改めと善意に照らされて歩む魂は、私の現存を奪われない。私は癒し与えようと無数の天使たちを従わせ、輝かしい光の中を、栄光の座から飛んできては、私の王国を受け継ぐために、私と一つの霊となるよう皆を新たにする。
血肉は私の王国を受け継ぐことができない、滅ぶべきものは、永遠に永らえるものを受け継ぐを得ないからだ。では唯一、三位一体の神、しかも本質は一致して一つなる者とは誰かを理解させるために、私はあなたの後ろめたさを癒やし、川のように中を流れて、その荒廃と不毛に生気をもたらそう。誰も神を見るにふさわしくはない、実に、あなた方の間で完全な人がいるとして、私より出でる知恵と光を持たないなら、無にひとしいままでいる。神の深遠にはこの世に由来しない富があり、それを私なしに保つのは不可能なこと。神の動機に分け入り、その手はずを理解するには、私なしには、可能でないが、あなたの意識の中に私を認め、その知性に分け入らせてもらえるなら、私のうちであなたを形造り、私たちにとってまこと好ましい者としよう。キリストの思いとなるように、あなたの思いを変容し、私たちの意志を見いだして何がよいかを知り、何を私たちが望み、どうしたら一番完璧かを知るには、あなた自身を私に明け渡すしか道はない。そこで肉11の抗議を許してはならない……目には届きがたく到達できないように見え、総じて知覚されてはいないが、私は、自らをはっきりと現している。知恵の言葉を語って、友に自分をうち明ける友のように、秘密をあなたにはうち明け、何も隠さない。私があなたに顔を向けると、形を持たない、私は、その霊のうちに、姿を現す12。
ああ、ヴァスーラ、私は完全な永遠の光の反射である、そして曇りない鏡のように、私の荘厳はあまねく被造界に輝きわたっている。今ここで、私はこうした仕方によって、あなたにも自らを分からせている13、だが私の超越性を失ってはいない。私の知識であなたを満たし、注いでいるこの卓越した光の流れはあなたが含み得る限界14を越えるが、それでも、あなたの魂だけでなく、他のすべての魂を飾るためにも私の王国のこうした宝をあまねく与えている。私を愛する者にとって私は、実に太陽よりもまばゆく輝き、すべての星座を合わせたよりも光を放っている、そして超越ゆえに、あらゆるものを私の輝きで満たせる一方、その限界には捕らわれない。こうして魂のうちに私の光を送って、うちなる一切が善となるように整える。そこであなたも、代わりに私の全善を反射し、徳を増し加えよう。