2008年のメッセージ

愛の行いを通して私の栄光を映し出しなさい

2008年10月5日 ノート113

私のヴァスーラ、心配しないように、あなたは私の心をほとんど知らない。あなたの愛を私の中で増やしなさい。──私の選んだ娘よ、私の教会を美しく飾りなさい。永遠の平和に満たされ、すべての教会で私を現しなさい。彼らに私の業の素晴らしさを示しなさい。私には彼らをゆるす用意があることを伝えなさい。彼らにこの祈りを毎日祈らせ、私に呼びかけさせなさい。

「主イエス・キリストよ、
あなたの光を私に臨ませ、
すべての罪から私を解放してください。
あなたの
私が取るべき道を示してください。
母の腕の中に逃れ場を必要とする子どものように、
私はここにいます。
私の歩みを真理へと導いてください。
あなたは真理であられます。
回復するためにあなたの祝福をお与えください、
あなたの愛と優しさで私を癒やしてください、
ああ、主よ、私のため息をお聞きください、
そして私の魂をいのちの水へと導き、
再び満たしてください。
アーメン

──そして私はこう答えよう。

私に従いなさい! 私はであり、真理であり、いのちなのだから、私に従いなさい!

だが、御父と和解し、私の中に住みなさい。今日の日を始めるにあたり、あなたの愛の行為を通して、私の栄光を今日映し出しなさい、悪には愛で報い、あなたがまだ恨みを持っている人々と和解しなさい。和解し、あなたの平和を伝えなさい。もう罪を犯さないように、絶えず祈りなさい。聖書に書かれたすべての言葉を受け入れ、実践しなさい。目が見えない人々の案内人となり、彼らにとっての明かりとなりなさい。誰も裁かないように。私の律法に示された私の知識と真理の模範となりなさい、だが、固い心をもってではない。いつも助言を求めて私のもとに来ることを躊躇しないように。愛がいつもあなたのそばにいる。ic

私の尊い血にいつも留まっていなさい

2008年2月15日 ノート113

主よ?

私である。祝福を受けなさい。私の現存は絶え間なくあなたと共にあるということを思い出しなさい。恐れるものは何もない、私の子よ。私の尊い血にいつも留まっていなさい。私の現存を決して疑ってはならない。私はいつもあなたと共にいる。平和を! ic

聖母のメッセージ

2008年1月7日 ノート113

親愛なる「神のうちのまことのいのち」の友人の皆さん

昨夜午前3時10分、聖母は私を起こされ、それから4時までの間、私たち皆のためのメッセージをお与えになりました。聖母は、キリストが今、これまでにないほどに攻撃されていることを分からせてくださいました。祝された御母は3時半から4時までの間お話になりましたが、ただちに起き上がってそれを書き留めるようにとは求められませんでした。私は言われたことを忘れてしまうのではと心配しましたが、聖母は、私がそれを書いて皆に伝えようとする時には思い出させてくださると仰いました。これがそのメッセージです。

メッセージの第一の部分は個人的に私に関わることで、その他の部分は公のものです。聖母のメッセージの最初の私への部分は、励ましと慰めでした。特にサタンが私に、そして全世界に対して激しく襲いかかっているこの困難な時、聖母はいつも私のそばにいてくださると教えてくださいました。神は私のとても近くにおられ、愛してくださり、天はこの困難と、私が今経験している、この火に焼かれる痛みに対し無感覚ではないと。しかし神はこの犠牲と生けにえを必要とされていること、神はそのみ言葉に忠実であること、聖母は私がさらに絶え間なくロザリオを祈ることを望まれると……聖母はそこで言われました、

「祈りのうちに潜心していなさい」

二つ目の部分は次の通りです。

私たちは預言されていた出来事に大変近づいています。人類はこれらの出来事に直面しており、それは戸口の外に迫っています。世界の邪悪さと身勝手さ、愛の欠如によって引き起こされる出来事、神のみ言葉に対する世界の拒絶と悪意、偽善、邪悪さの結果として起こる出来事です。地球は危機に瀕しており、火によって苦しむことになるでしょう。神のご怒りはこれ以上持ちこたえることができず、それは人類の上に降るでしょう。なぜなら、人類が罪を捨て去ることを拒否するからです。神の慈しみはこの日々にずっと、出来るだけ多くの人を神に導こうとされており、神はその御手を伸ばして彼らを救おうとされていましたが、わずかしか理解せず、耳を傾けませんでした。神の慈悲の時はもう長くは続かず、誰もが試みを受ける時が近づいています。地球はその内側から炎の川を吐き出し、世界の人々は彼らの無価値さと、心に神を持っていなかったための無力さを理解するでしょう。神は揺るぎなく、そのみ言葉に忠実です。神の家の者たちが試みを受ける時が来ました。そのあわれみを拒んだ者は神の火を味わうでしょう。(私はここで、神のあわれみの御業に対して盲目で、私たちを迫害する教会の人々について訊ねました)聖母はこれらの人々も、彼らが値するものを受けるでしょうと言われました。

聖母は続いて私たちの犠牲について語られました。聖母は皆に思い出すよう求められます。私たちの創造主なる神は、私たちがもっと神に自分自身を献げること、 回心のためには犠牲と絶え間ない祈りがなければ不足であるということを。もしも自分が回心し、「神のうちのまことのいのち」を通して神を見いだしたと言うなら、犠牲の行為としてさらなる生け贄を献げなくてはなりません。神への愛を、また物惜しみしないことを示すには、いろいろな方法があります。犠牲的な愛を献げずには誰も「私たちは「神のうちのまことのいのち」の人々です」と言うことはできません。本当に神を愛し祝された人々はこの日々、怖れてはなりません。私たちの祝された母は、この苦難を耐え抜く人々は祝福されている、と言われます。聖母は、これらの神の御業を分かち合い推進する聖職者たちを喜んでおり(「神のうちのまことのいのち」の人々として、聖霊に心を開く人々として)、彼らに確信を持ち続けるように言われます。彼らは神の霊からの特別な恵みを受けており、この霊を通して主のうちに、神の救いのご計画のうちに力強く成長したからです。キリストは彼らに神の平和をお与えになります。

もし誰かが神に仕え、自身を犠牲として献げるなら、火による裁きは彼らの上に厳しいものとはならず、彼らをいのちへと導いた神の呼びかけを霊のうちに喜んでいることでしょう。

多くの人々が脱落し、しかし多くが立ち上げられました。多くが神のみことばを心のうちにしっかりと保つことに失敗し、「神のうちのまことのいのち」のメッセージを通して与えられたみことばだけでなく、聖書を通して与えられたみことばからも逸脱しました。

そこで聖母は言われました:

「ヴァスーラ、あなたを裁くものは誰であっても、神によって厳しい裁きを受けるでしょう。その耳に神のみことばを受けることを心待ちにし続けなさい、そして満ち足りていなさい、私の子よ、あなたの母は決してあなたを見捨てません」

(ここで聖母は、私がまだとても若かったころに見た、キリストとの霊的な結婚のヴィジョンを思い出させました。聖母は嬉しそうに微笑みながら私をお迎えになり、婚礼衣装を準備し、私の髪のあちらこちらを引っ張っては、その御子イエス・キリストにふさわしい完全な形と見栄えになるよう整えられたのです)

「怖れずに語りなさい、反対する者を怖れてはなりません。主と私があなたを祝福し、あなたに平和と愛を与えます」

これで全てです。どうぞこれを注意深く読み、黙想してください。

キリストのうちに
ヴァスーラ
2008年1月7日