1987年8月のメッセージ

苦しみの恵み

1987年8月4日 in ノート14

(スイスに戻りました。)

(自分が思ったことが現実に起きているので、恐ろしいほどです。これが先週、神がおっしゃっていた洞察というものなのでしょうか?)

私の神よ?

私だ、愛する者よ。

私はあなたを正しく理解しているでしょうか?

理解している! 愛があなたを作り変えようとしている、すべての苦しむ人々の苦悩を正確に映し出し、反射する鏡へと。あなたは、彼らの苦悩や苦しみを自分のことのように感じられるようになるだろう。
 どんな苦しみについても、それを耳にしたり、目にしたりするとき、あるいは誰かが大変な痛みを経験しているとき、その苦しんでいる人と同じだけの痛みを感じることができる恵みを、主である私が与えよう。こうしてあなたは人々の傷の中にすっかり入り込み、彼らの気持ちをはっきりと理解できるようになる。
 ヴァスーラ、愛する者よ、私が与えているこの洞察によって、あなたは彼らを大いに助けることになるだろう。彼らが苦しむとき、あなたも苦しみなさい。もしもあなたが彼らを拒むなら、いつでも私が思い出させてあげよう、彼らの苦しみを分かち合いなさい。

ああ、私の神よ、私の体はその一切を受け止めることができるでしょうか? 私の霊が恐れているということではありませんが、私の肉体は弱いのです……

覚えておきなさい、最後の時まで、私はあなたの魂と肉体に十分な力を与える。私を信じなさい、これは恵みである、小さな子よ。私が愛するほどに、私の子どもたちを愛しなさい。私の反射となり、私と彼らに一致するように。あなたを愛している、崇高な神の愛によって、あなたにこの恵みを与えている。疲れないように、さあ、あなたに私の釘を与え、私の愛を注ぎ込もう。あらゆる苦しみを感じなさい。娘よ、私のためにこのすべてを行ってくれるか?

はい、私の神よ、それがあなたのお望みでしたら。

来なさい、愛があなたを教え導く。

(そうではないかと思っていました。その理由はこうです。
 三日前ですが、テレビのニュースで、地下に閉じ込められて亡くなった二人の子どものことが報道されていました。子どもたちとその両親をかわいそうに思いました。両親のために祈りました。その翌日には、カナダの竜巻のことが報道され、おびえた人々がまだ恐怖から抜け出せないまま、竜巻のことを話していました。その晩、彼らのためにも祈りました。気の毒には思うのですが、自分のことのようには感じませんでした。すると突然、神が、刺し貫くような光を私に投げかけられました。光線が私の胸を刺し通し、背中から抜け出ていくのを感じたのです。それは私を焼き、水を飲みに駆け出したくなるほどの苦しみを与えました。まるで炎に包まれたようでした! そして、しばらくして眠りに就くと、私がどう感じるべきだったかが分かるような鮮明な映像を、神がお見せになったのです。夢の中で、私自身の息子が亡くなっていました。苦しくて目が覚め、そのひどい苦しさがまだ残っている間に、すぐに子どもたちを亡くしたあの両親のために祈るよう、神は命じられました。私はあの子どもたちが自分の子であるかのように、熱烈な祈りを献げました。そして眠りましたが、神はすぐにまた、私自身が竜巻に飲み込まれる映像をお見せになったのです。死ぬほどの恐怖を味わいました。神にまた起こされ、これを経験した人々のために祈りなさいとおっしゃいました。悲惨な状況のイメージが鮮明に残っていた中で、私は熱心に祈りました。)

サタンの力に牛耳られている魂たち

1987年8月5日 in ノート14

イエス様?

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このお恵みに感謝します。他の人々を養うためでもあると分かっていますが、私にもいただけるのですから。

永遠に至るまで、あなたと私は共にいる。ヴァスーラ、知恵ある者は聖霊から来るものを理解しない、と言わなかったか? 哲学は霊性とは比べものにならない、決して。これが、権力ある者や自分自身を知恵者と呼ぶ者が皆、あなたをあざ笑ったり、ばかにしたり、意気消沈させたり、詮索したりする主な理由の一つである。だから心の準備をしていなさい、愛する者よ、おおかみたちがあなたをしつこく追いかけようとするだろうから。恐れなくてよい、私があなたのそばにいよう。

(ため息をつきました。)

ヴァスーラ、すべては過ぎ行く影でしかない。気を落とさないように。あなたのそばにいてあげよう。

(そして、捕囚の地に出されるには自分がどれほど向いていないと感じていたかを思い出しました。そしてそれがどんなに嫌なのかも。以前の生活では楽しいと思っていたことが、今では苦痛でしかありません。そういったことがもう好きになれないのです。耐えられません……私ははみ出し者です。)

分かっている、私にり頼みなさい。

(自暴自棄な気持ちになりました。)

ヴァスーラ、ヴァスーラ、違う、これらの地上の事柄を以前ほど楽しめなくなったのは、それが私の意志だからだ。それらの地上の事柄にとらわれないでほしい。

イエス様?

私だ。私の両手をよく見なさい。ほら、ヴァスーラ、血を流している。ヴァスーラ、私の教会を生き返らせなさい。私に耳を傾けなさい、血がこんなにも私の両腕に流れ落ちるのを見たか? 私は苦しんでいる。

主よ、なぜこのすべてをお見せになって、私に苦痛をお与えになるのですか?

(この光景はあまりに鮮明で、書いているこのノートの上に主のおんが落ちて来るのではないかと思ったほどです。)

あまりにも多くの魂がサタンの力に牛耳られているのを見て、私がどれほど苦しんでいるかをあなたに理解させるためだ、愛する者よ。最後まであなたを使わせてほしい。

あなたを愛しています。

私と共にいなさい。「私たち」、いつもあなたに思い出させよう。「共に2」。私を愛しなさい。

観想

1987年8月7日 in ノート14

イエス様?

私だ。

(イエスは、再び御自身のむち打ちの映像をお見せになりました。御顔の右側が腫れ上がっています。私はまたもや心を引き裂かれる思いがしました。)

ヴァスーラ、あなたたち皆を心から愛している!

急いで、急いでください1……

私の力によって、死者をもよみがえらせよう。ヴァスーラ、先週のメッセージの内容を明らかにしたい。私の光をほんの少しだけ取り上げたのを知っているか? これを感じるか?

感じます。

よろしい。ほんの少しだが、私の光を取り上げることによって、あなたの知性を養う、つまり、あなたが私をさらに追い求めるようにさせ、観想の高みにまで上らせて、知性を生き生きとさせ、開花させて、その結果、豊かな実を結ぶことができるようにするという意味だ。

この段階に導かれるまでは、どうやって私を養っておられたのですか?

あなたの知性の外側の部分を使って導いた。あなたをより高い黙想の段階に進ませたい。ヴァスーラ、進歩しなければいけない。このわずかな変化によって、あなたの食べ物を豊かにしているだけだ。このことをあなたに明らかにしておきたい。あらゆる点であなたを離脱させると言ったが、覚えているか?

ええ、おっしゃいました、主よ。

離脱した今、あなたのいろいろな能力を生き生きとさせよう。

以前おっしゃっていた洞察のことでしょうか?

そうだ、あなたの洞察、この霊的な恵みを与えることによって、他の人々を助けるようになるだろう。

どうやって他の人たちを助けるのですか、主よ?

私の子どもたちのことが分かるようになり、その結果、彼らを助けられるようになる。こうして私の光をわずかに取り上げたからといって、見捨てられたとは受け取らないように。そうではない、ヴァスーラ、あなたの魂を聖性へと進ませているだけだ。

主よ、あなたに教えていただいたことを何もかも失って、オールもないまま後ろ向きに流されているボートのようになって、恐ろしかったです! パニックになりました!

ヴァスーラ、あなたを清めなければならない。魂が清められるとき、その魂はひどい恐れと苦悩の中を通る。だが、こう言っておこう、私に思い焦がれることによって、あなたの心は、この祝福にまで引き上げられたいと望むようになると。

どの祝福ですか?

観想だ。自分自身をすっかり私に与えて、あなたの愛が完全さに達することを望んでいる。

イエス様、私の魂はあなたに思い焦がれています。

小さな子よ、私もあなたに思い焦がれているではないか?

私たちで、共に2。さあ、共に行こう。

(イエスが二つのことを同時に教えておられるのがようやく分かりました。観想することと、洞察を持つことです。
 7月26日、神はまるで、この変化を待っておられたかのようでした。なぜなら、その翌日には既に、主の御光がわずかに取り上げられたように感じたからです。私はパニックになりました。私は欠点も多く、罪でいっぱいなので、私の魂はすぐにその理由を探し始めました。主の光を少しばかり取り上げられるほど、主を怒らせてしまった罪はどれなのか、探し始めたのです。主のお気持ちを害してしまったのでしょうか? それとも、ひょっとしてこんなことを私にしているのはサタンなのでしょうか? どちらにせよ、こういう状況だからこそ、より一層私の救い主にすがり付き、いつもよりもっと祈り、もっと黙想し、与えられたすべての恵みを全部使って、主の現存を感じ、今まで以上に主に話しかけ、主の現存を決して忘れず、これまでにないほど一生懸命働くべきだと思いました。そうすれば、もしサタンの仕業であれば、サタンは腹を立てて逃げていくでしょう。ですから、サタンが憤り、私を放って逃げるようにしましょう。また、もし神からであれば、信仰のテストですから、私は優秀な生徒として合格したいです。主にほほ笑んでいただきたい。
 ところが数日経ったのに、何の変化もありません。私は力尽きてきて、またパニックを起こし始めました。それで、もっと熱意と信仰心を込めて主にお仕えしようと試みました。けれど、それもどういうわけか、何の助けにもなりません。少なくとも私自身はそう思いました。すると、私の救い主であり師であられるお方が、何が起こっているのかを説明してくださいました。主が私をお見捨てになったと思った時、主は私を清めておられたのでした。黙想のより高い段階へと引き上げ、私の知性を発達させ、かすかな3光を注いで、洞察を養ってくださっていたのです。)

8月

1987年8月10日 in ノート14

(昨晩、主に起こされたのですが、主は私に、もう一度最初から自分を献げ直すようにお頼みになりました。私はこう祈りました。

「御父よ、感謝します、
この世の罪を絵に描いたような私に、
御目をかけてくださったことを。
あなたを拒絶した時も
あわれんでくださったことを感謝します。
私への愛に感謝します。
私の罪深さにもかかわらず、
みこころの中へと引き上げてくださいました。
あなたのおそばに、
御足のもとに置いてください。
既にこれをお許しくださいましたが、
それは私にとって過分なお恵みです。
あなたに話しかけることをお許しいただいたのも
過分なお恵みです。
私には何の功徳もありません。
御父よ、私自身を完全に明け渡します。
無に等しい者だと分かっていますが、
この無なる者はあなたのものです。
私を隅に放り投げたくなられたら、
そうなさってください。
踏みつけたいと思われたときは、どうぞそのように。
私に苦しむことだけをお望みなら、苦しめてください。
みこころの中に置きたいと思ってくださるなら、
それはまさに過分なお恵みです。
何をお望みになられようと、主よ、
あなたに感謝し、あなたを愛することしかありません。
人々を助けるために、
私の力が尽きるまで用いたいとお望みならば、
どうぞ用いてください。
十分に用いられるよう、私をふさわしい者にしてください、
私はあなたのもの、あなただけのものです。
みじめな者ですが、あなたを愛しています」。)

(しばらくして)

イエス様?

私だ。ヴァスーラ、八月はあなたに教え始めた月だ。私たち二人の記念すべき月とも言える。喜びなさい! 愛する者よ、私たちの祝いの月だ。あなたに愛の花輪を載せさせてほしい。さあ、私と共に祝おう。今は行ってよい1、だが私の八月を共に祝うために、また戻って来なさい。

(主がこうおっしゃられたので、私は急いで古いノートの写しを探し、八月の日付のところを見つけようとしました。すると、私の天使ダン(私の守護の天使)が私にこう話しかけているところがあったので、喜びで飛び上がりました。「私、ダンは、私たちの父である神と、その愛する御子イエス・キリストと、聖霊の名によって、あなたを祝福します。心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る」。その後、私の天使は私を神に引き渡され、それからはヤハウェが私に教え始められたのです。ダンは次のように言って締めくくりました。「神に栄光、神が私に望まれたすべてのことをやり遂げました」。)
 急いでいとこのところに行き、このことを伝えました。うれしくて空中を飛んでいるかのようでした! 神とお祝いするのです! いとこも喜んでくれましたが、こういうことを理解できない人たちは、私が神と恋に落ちているかのように勘違いするかもしれないから、気をつけるようにと言われました。間違った愛し方をしていると思われるかもしれないと。それを聞いてとても悲しくなり、怖くなりました。果たして、いとこの言っていたことは正しいのでしょうか?

イエス様?

娘よ。

このことで怖くなりました。

分かっている。ヴァスーラ、私の母を迎えなさい。あなたの考えがどんなに間違っているかを分かってもらいたい。
 あなたの神である私を愛するようにと教えた、他の人たち皆にも私を愛してもらいたいのと同じように。私は一年の終わりを祝っている。愛する者よ、平和と愛の娘になってくれるか? 多くの命が憎しみによって奪われていくのを見てきた。私は私の王国を永遠の平和で満たしたが、被造物が平和のために労苦する姿を見ることはないのだろうか?
 小さな子よ、あなたのみじめさ、拒絶、失敗にもかかわらず、私はあなたに近づいた。私は愛の神である。私の子どもたちを愛のまなざしで見守っている。私が救い出しに来るまで、すべての者に私を見分けることができるように学ばせなさい。すべての魂が、恐れることなく私に近づくようにさせなさい。私は愛の父であって、両手を広げて皆を受け止めるということを、すべての魂に知らせなさい。私がどのようにして、石ころをも真実の信仰者に変えることができるかを知らせなさい。私がどのようにして人の魂を解放し、本当の自由を与えるかを知らせなさい。
 ヴァスーラ、あなたを見捨てることはない、それでも恐れるのだから、あなたがどんなに間違っているかを私の母に教えていただきなさい、私はいつもあなたのそばにいよう。私たちで、共に?

はい、主よ。

(理解しました。聖マリアは、これからしばらくの間私に教えてくださり、私の恐れが間違いであることを示してくださるでしょう。
 十日から十四日まで、聖マリアがそばにおられて、私に話しかけてくださるのを感じました。そして私は自分の感情がイエスの感情と同じくらい強くなっていることに気付き始めたのです。私たちの感情は同じでした。)

私を探し求める者は誰であっても私を見つけるであろう

1987年8月14日 in ノート14

私の神よ?

私だ。今日の私の言葉を受けなさい。「誰でも、私を尋ね求めるなら見いだす2」。
 愛する者よ、いつも情熱を持って私を愛し、私の栄光をたたえなさい。私のことをオルヤンにこう言って説明してあげなさい、「信じなさい……信じなさい……信じなさい。さあ、愛する者よ、あなたのことを本当に兄弟だと言った! どんなに愛しているか! あなたの救い主である私が、あなたに私の愛を差し出す、私は平和である。来なさい。私のもとに来なさい、そして私の傷の中に深く入って来るように、私の心を感じなさい、私を感じなさい……私の傷の中に住みなさい、兄弟よ」。
 花よ、愛する者よ、そこにいなさい3。さあ、私の母だ。

ああ、ヴァスーラ、何が起ころうとしているかを話させてください。あなたは私の息子の栄光をほめたたえるでしょう。娘よ、イエスから食べなさい。

ああ、聖マリア、あなたはいつも私を励ましてくださいました! 最初から、あなたは私の支えでいらっしゃいました。

(私は自分のうちに、神に対する愛と同じほど、聖母に対する愛があるのを感じました。聖マリアは、それは母親らしい慈しみに満ちたお方です!)

私のメダイをいつも身に付けていらっしゃい、それはあなたが付けている時に私が祝福したものです。私たちの平和をお受けなさい。

(そこで私はひれ伏し、祈りの中で尊敬を込めて聖母をたたえました。)

カインとアベル

1987年8月16日 in ノート14

私の神よ、あなたを愛しています!

ヴァスーラ、あなたはだんだん私の目にかなってきている。聞いて書きなさい。今日のアベルは必ずや生きるだろう! あなたの神にただ頼っているように。アベルは今度は生きる! 愛する者よ、この世は、その弱さの点でカインに満ちている。私のアベルたちがカインたちにとがめられ、殺されていくのをいつまでも私が黙って見ているだろうか? 一体あと何人のアベルが私の目の前で殺されていくのか? いいや、ヴァスーラ、私の傷口は再び開けられた。これはカインの血筋を引く者たち。愛する者よ、一人のアベルが立ち上がる度に、一人のカインが罪を繰り返した、少しのためらいもなく。分かるか、小さな子よ?

(神はこのことを悲しそうに話されました。私も悲しくなりました。)

それはどうしてですか?

なぜなら、アベルたちは私の子孫だからだ。彼らは私に由来する。

そしてカインたちは?

カインたち? 彼らはこの世に属している。人から来た者たちである。今回、私はカインと私のアベルとの間に踏み入る。そしてカインから来ているものを何もかも根こそぎにする。カインの手から武器を取り去り、彼を裸のまま放置する。カインは武器を持たずにアベルに立ち向かわなければならなくなる。ヴァスーラ、これらのことをすべて明らかにしてあげよう、私に顔を向けなさい、私の唇を見つめるなら分かるだろう。私のためにまだ働いてくれるか?

はい、私の神よ、そうさせてくださるなら? イエス様?

私はイエス・キリスト、神の愛する子、救い主である。

イクトゥス

私たちで共に?

はい、主よ。

(うれしいです。それに、主がほほ笑んでおられます!)

アベルは私の種子

1987年8月20日 in ノート14

私の神よ?

私だ。

この前のあなたのメッセージが理解できたように思うのですが。

あなたはまだその一部を理解しただけだ、子よ。

私が理解した部分ですが、カインという言葉は、人に由来するもの、世俗的な物事のことですね?

そうだ、カインはこの世に属するものすべてを表している、書きなさい。カインは私の目が嫌悪するものすべてを表す。この時代においてカインとは、不法、物質主義、革命、憎しみ、偶像崇拝1、私が祝福している人々を迫害する者たち、不品行などを表す。カインは私の似姿として造ったアベルを全く理解しなかった。アベルとは私に由来する者、私の子孫である。

彼は霊的であり、あなたを愛しているということですか?

そのとおり、その違いのために、彼はカインに嫌われた。知恵ある者は聖霊から来るものを理解しないであろう、と私は言った。

主よ、心配なことがあります。

(そのことを書きたくありません。)

分かっている、私はただ彼の知恵を呼び覚ましたいだけだ。あなたにとってどちらがより大切か、彼を重いいしうすの下に置き去りにするか、それとも、たとえ彼のために苦しむことになるとしても、彼を心配するか? どちらを選ぶのか?

ためらうことなく、彼のために苦しむことを選びます。

私はあなたを眠りから呼び覚ました。他の人たちにも同じことをしてはいけないだろうか?

いいえ、私の神よ。

そうか、ならば、あなたを通して自由に行わせてほしい、私の手によって聖化されるように。私の魂の愛する者、婚約者よ、私の霊はあなたの上にある。あなたに無償で与えたのだから、あなたも無償で与えなさい。さあ、私のうちで消滅し、私と一体となるように! 愛している、私のヴァスーラ。

イエス様、お望みのことを何でもいたします。

(言葉が見つかりません。何を言っても十分ではないからです。)

では来なさい、私の被造物たちを生き返らせよう。私たちで? 共に?

はい!

花はもろさの象徴

1987年8月23日 in ノート14

(昨日、とても特別なことが起きました! いつもと変わらない忙しい日のことでした。その日は洗濯の日で、私は洗濯機を動かし、乾燥機で乾かしていました。よく晴れた暑い日だったので、夫は息子をプールに連れ行ってくれました。三時に戻るからと言って、十一時に家を出ました。ですから、お昼の食事は三時に用意しておけばいいのです。そういうわけで、私は家に一人残って働いていました。そろそろお昼の用意をしようと思ったのが二時十分前でした。バターを溶かそうとオーブンのスイッチを入れると、突然、家中の明かりが消えてしまいました。主電源のヒューズが飛んだのです。機械類は全部止まってしまいました。家のどこかで電気がつかないか隅々まで調べましたが、どこもだめでした。主電源のヒューズを別のヒューズに変えようとしましたが、夫がそれをどこか別の場所に移してしまっていました。日曜日なので店は閉まっています。車は故障中。私はイライラしました……イライラして、ベッドに行って横になりました。五分経つと、台所で物音がしました。何の音かと思い、起きて見に行ってみると、とても驚いたことに、オーブンのライトがついていて、プレートの上でバターが温められていたのです。それなのに、他の機械類は動いていません。ここ以外、家の中は電気無しの状態です。主電源のヒューズがだめになって、何もかも動かなくなってしまったというのに、どうして……? 食材を準備し、焼くためにオーブンの中に置きました。三時に夫が帰って来たので、この出来事を話しました。夫はすべての電気をチェックし直してくれて、オーブン以外は何も動いていないことを確認しました。オーブンは動いていました。夫は主電源をチェックし、ヒューズが飛んでいるのを見ました。そうこうしている間に食事ができ上がりました。主電源のヒューズをチェックしている間、私たちは電気のメーターが動いているのを見ました。そして「食事ができたわよ」と私が言った途端、そのメーターが止まったのです。オーブンはまだ点いていたのに。それからキッチンに入り、オーブンを止めました。夫が主電源のヒューズを新しいものに取り替えると、すべての電気が通常どおり動き始めました。彼もこのことを説明できませんでした。)

八月は私たちの祝祭の月! 私たちの祝いが損なわれてほしくない。

それはつまり……1

それは、私たちの祝祭の間、あなたの嘆く姿を見たくないという意味だ。ヴァスーラ、あなたは私の花である。花とは何のことか分かるか? 花はもろさの象徴だ。だからそのもろさゆえに傷つけられないよう、あなたの面倒をしっかりと見ている。

ありがとうございます、私の神よ。あなたがとても近くにいらっしゃるのが分かります。そしてあなたを愛しています。

(気恥ずかしくなりました、なぜって、私にはそんな値打ちはないからです。昨晩、息子の部屋にいた時、私は香に包まれました。香りがしたのは特定の場所だけでした。とてもうれしかったです!)

私の神よ?

私だ。あなたを愛している、疑ってはならない! あなたは一人ではない。私、イエス、私、イエスが、あなたと共にいる、花よ。あなたをいつも狂おしいほど愛してきた。教えられたとおり、あなたの香りを放ちなさい。私の園を飾り、私を喜ばせなさい、さあ。分かるか、ヴァスーラ、あなたは私を理解し始めている。今や私は、正当な理由があってあなたをあらゆる人々から引き離した。愛する者よ、私があなたにしていたことに、あなたはあまり気付いていなかった。あなたの耳元に私の心の望みをささやいている間、私の腕があなたの両肩を引っ張り、あらゆる人々から引き離していたのを感じなかったか? 今やあなたが頭を上げると、自分の周りには私以外、誰もいないことに突然気付く。あなたをどんなに愛しているか! 本当にうれしい! 自分を私だけに合わせるように。そう、私たち二人だけ、私とあなた、あなたと私。
 ああ、ヴァスーラ! さあ、顔を私に向けなさい。あなたの神である私に顔を向けるように。今からずっと、私に、だけに。私はあなたの神、あなたの聖なる道連れ、あなたの救い主、あなたの花婿である。あなたに必要なものはすべて備えよう。愛する者よ、助けが必要か? では走って助けに行こう。勇気か? では私の力を与えよう。慰めか? ならば私の胸に飛び込んで来なさい、私の心の中に住むように。私をほめたたえなさい、ヴァスーラ! ほめたたえるように、娘よ! 来て、私の栄光をたたえなさい! 私の栄光をたたえ、私の足元にひれ伏しなさい! 私を礼拝するように! 私のものとなりなさい、ああ、ヴァスーラ、私があなたを愛するように、私を愛しなさい! 私があなたを祝福するように、私を祝福しなさい、私があなたを私の香りで包むように、あなたの香りで私を包みなさい。目の前に立っている、あなたの救い主である私が! 私を礼拝しなさい、今この時、この時間に、私の心を感じなさい。間もなく夜がやって来る、あなたのともし火を私の油で満たしたくはないか? 日が暮れるまで決して待たないように。あなたのともし火の油を私に満たさせなさい。
 さあ、私から吸収しなさい。あなたと二人きりにさせてほしい。私のために生きるように、こうして二人だけでいることを喜んでいる! あなたをねたむほどに愛している! 私の愛は、あなたをすべての人から引き離してしまうほどの愛。私を理解しようと努めてくれるか? あなたと二人だけになることを切望していた。愛に火がついて燃え上がるとき、私は自分の好きなように振る舞うことにしている。あなたはもう私のものなのだから、私を愛の花輪で飾ってほしい、あなたの子どものような言葉で私を夢中にさせなさい。今は私の気に入るように、あなたを自由に愛させてほしい。私の望み通りにあなたを用いる自由を、私にくれたのではなかったか?

はい、主よ、そのとおりです。

ならば、その自由を用いよう。私の指があなたの心に少し触れるが、その時、私に何も惜しんではならない。何と言っても、私たちの八月だ、私たちが祝っていることをいつも思い出させてあげよう。

私のメッセージを普及させなさい

1987年8月24日 in ノート14

ヴァスーラ、悔い改めなさい1
 あなたの罪をゆるす。今度は私をほめたたえてほしい2! ヴァスーラ、こう言いなさい、「全能の神に栄光がありますように」。私が誰か知っているか?

あなたはアルファでありオメガ、あらゆるものの造り主でいらっしゃいます。

よく言った、私の子よ。さて、あなたに言おう。私が書いているところを見ることなく、私のメッセージを読むだけで、私が書いたと信じる者は幸い。私のメッセージを聞き、従う者は幸い。一致し、平和と愛を提唱する者は幸い。私のメッセージを普及させ、私の平和を広め、すべての人々の心に行き渡るようにしなさい、私の愛を決して疑ってはならない。

私にどうやって広めてほしいとおっしゃるのですか? 一体私に何ができるでしょう? 自分ではどうすることもできません。

待ちなさい、ヴァスーラ、そうすれば分かるようになる。あなたを助けよう。行こう、私たちで共に?

はい、私の神よ。私たちで共に。

私の天からの業を信じなさい

1987年8月25日 in ノート15

あなたに対する私の愛を、私の子よ、覚えておきなさい。ヴァスーラ、小さな子よ、あなたが首に掛けている赤い十字架を祝福した。信じるように! 私の天からのわざを信じなさい、ヴァスーラ。

私の神よ! 感謝いたします。与えてくださればくださるほど、ますます私がそれにふさわしくないことを感じます。

愛している。来なさい、私のそばに居続けるように。私の現存について、そして他のことについても、私が教えたことをあなたが話すのを聞くのが好きだ。イスミニに教え、私のために生き、私の栄光をたたえなさい。

時々、主よ、あなたの現存があまり感じられないときがあります。「神はもう、以前のようには近くにおられない」と思ってしまうのです。どうしてこうなのでしょう、主よ?

あなたは誤って、私が十分近くにいないと思っているが、そのようなときにこそ、この上なくあなたの近くにいる。あなたは独りぼっちではない、決して!

(突然、主をとてもはっきりと認識しました。主が特有のある仕草をされ、御自身であることを証明されたのです。あまりにもはっきりとした現存! その状態が数分続きました。すばらしかったです!)

すべては霊的なものだ。

(これを聞いて、すべてが超自然的なものであることを理解しました。こういった出来事を物理的な状態に当てはめようとしても、決して理解することはできません。物理的なことではないので、物理的に説明することはできないのです。これらのことは超自然的な領域のことであり、私たちの現実的な領域でのことではありません。)

あなたたちの多くが、私が霊4であることを、そしてあなたたちもまた霊であることを忘れがちである。