私の子どもたちを受け入れなさい 神の母
1988年12月3日 ノート29
(12月16日の集会に与えられたもの)
わが主よ?
愛しています。ともにいたいと願っています。
主とともにいて、こんなにおそばに主を感じるこの恵み、賜をありがとうございます。
私を教え、主のもとに引き上げて下さり、ありがとうございます。
神に栄光、主に賛美、私たちの主は祝されますように。
主よ?
私です。幼子の‐ような‐信仰をもって信じ、私の聖心を歓喜させなさい。どうしてあなたを選び、私のもとに引き上げたかを追及しないように …… どうして、誰がとあれこれ考えないで、ただ受け入れなさい、どんな疑問も持たず、私が与えたものをただ受け取りなさい。
ああ、私の子よ! 私は何年も戸口の外に立っていた!
おゆるし下さい、主よ。
ゆるしている。過ぎたことであり、非難してはいない、今は再び一緒であるゆえ、私の聖心が歓んでいるのを、ただ示したい。私を受ける器としてあなたを形造った。だから私の子どもたちを受け入れて、私の聖心を喜ばせなさい、この子たちを受け入れるなら、私を受け入れている、はるばるあなたの戸口にまで連れて来よう、時間を犠牲にしてほしい、この子たちには、私の平和と、励ましが必要です、私と親しく交わるように励ましてあげなさい、しかし、同時に、私が聖であることも決して忘れないようにと。
主よ? これらの集会をお望みですか?
それが私の意思です。しっかりとすがっていなさい、そして導かせてほしい、あなた自身を明け渡すように、私、イエスが先頭に立っている。
主よ、よろしいですよね? これらの集会でメッセージを読んで。
私の栄光を称えている、愛する者よ
ありがとうございます、わが主よ!
私が導いているのを決して忘れないように、信頼しなさい。私を愛する者は、私の愛のうちに成長していき、一方、彼らは私を愛するよう、他の者たちも連れて来るようになる。私の聖心は愛の炎で燃え立ち、その内奥に皆を引き入れようと熱望している。愛に渇く。あなたに求めるのは愛のみ、愛は有徳の木の根だからです。
来なさい、私と和解していないすべての者たち、来なさい、来て和解し、私自身の平和を受けなさい、来て、私の愛を共有しなさい、まだ私を理解していない者たちよ、来て、私と和解しなさい1、来て、愛と和解しなさい。私、主イエス・キリストは、あなたに私の光の子となってほしいと願っている、そう、私の平和と愛の弟子となって、私を尊ぶように。
ああ、主よ! ほかのどの時代もそうですが、迫害される者もいるでしょう!
分かっている、私の子よ、心がまだ閉じたまま、心でなく頭で判断する人びとによって、迫害を受ける者もあろう、しかし恩寵により、この人びとの多くも、私の聖心のうちに引き寄せる。小さな花たちよ、勇気を、傍らにいて、目をあなたたちに注いでいる、だから怖れないように、私の平和と愛のメッセージが北から南へ、東から西へと広まっていくのは、私の望み、私を信じなさい、あなたの時代のために、それを秘かに準備してきた。
私はメッセージによって、私の教会が一つになるのを求める、父と私が一つであるように、私の教会も一つとなり、皆が一致して一つの群れとなる必要があるゆえ。守護者として、私の再臨まで真理のうちにあなたたちを護るようにと、ペトロを選んだ、しかし人びとは私に背き、分裂し、自分勝手な決まりを布告した。真に言っておくが、私の‐小羊たちの‐ペトロ、今はヨハネ・パウロ二世である、ペトロに反対する人びとに耳を傾けてはならない……この教皇は私に選ばれ、私の霊に愛された者ゆえに、彼を貶める者たちの声を聞いてはならない、彼らは惑わされたのです。
愛する者たちよ、あなたたちが最近分裂した時は、私の一部が引き裂かれた、そう、彼らは私の体の一部を引き裂いたとは知らなかった、ああ、まこと愛する者たちよ……これは私にふさわしい仕打ちだろうか?……なぜ私の心を引き裂くのか?……神の心をかき乱すのか?……なぜ私の眼をさらに多くの血の涙で満たすのか2?……ちょうど、自らの友らによって不具となってしまった、乞食のように、懇願する、皆ペトロのもとに立ち帰り、一つとなりなさい、父と私が一つであるように。
母を拒むすべての人にも呼びかける3、耳を開いて聞くように、母は天の元后、その名が示す通り、神の母。
知らなかった人びとを非難してはいない、真理に連れ戻そうとしているだけです。この世の回心のためにも呼びかける、私の全能を忘れている人びとには、私を自分たちと比べないように4と、呼びかける、皆に思い出させているが、あなたたちは時の終わりに生きている、それゆえ、私の印は増え……聖書が成就されつつある……私は平和と愛、私、あなたの主イエスは、慈しみに満ち溢れ、そう、私の慈しみは本当に大きい。私の慈しみを信じなさい、なお、私が義の神であるのも、決して忘れずに。
私の送る清めは、愛によってなされる。これを誤解したり、解釈を誤って、神からの脅し、とは呼ばないように、脅しではなく、愛ゆえに警告している。まさに注意を子に与え、正気を取り戻すようにと、道理を説く父親のように、私も、道理を説き、あなたたちのある者たちが、いかに誤っており、道を逸れているか、罪によって私の光を妨げ得るかを、示そうとしている。多くが深い眠りに陥っているために、起こしに来た。私の限りない慈しみを通して、死者を甦らせに、皆のもとを訪れよう、あなたたち皆に抱く限りない愛ゆえに、悔い改め、生き方を変えて、聖となるようにと、頼みに来た、私は聖であるゆえ、聖なる生き方をしなさい。
私の平和を与える、あなたが平和のうちに留まり、兄弟にもこの平和を分け与えられるように。
さあ、来なさい、この一年の終わりに当たって、祈りのうちに気を集中させなさい、来て、主である私があなたたちを愛するように、互いに愛し合いなさい。あなたたち一人ひとりに、祝福を与える。