私はいのちの妙薬──復活である

1987年4月30日 ノート10

イエス様、今日は、もしみこころならば、死にひんしているある人のために、何か特別なメッセージをいただきたいのですが。

死にひんしている1? 彼女は死なない、彼女の魂は自由になる、解放され、生きるだろう! 彼女は私のもとに来る。魂が自由になるのだ。
 書いて伝えなさい、私が一人ひとりの魂をどれほど探し求めているかを。私が飢えた魂をどのように養っているかを。私のパンがどのように永遠のいのちを与えるかを。私が病人をどのように回復させているのかを。私はいのちの妙薬であり、復活であることを彼女に知らせてあげなさい。

(イエスは、この人へのメッセージを別の紙に下さいました。)

十字架からの最後の叫び

1987年4月29日 ノート10

(翌朝)

私は主イエスである。あなたは私の叫びを聞いた、それは私だった。それはあなたを目覚めさせた1、私は十字架から叫んだ、それは肉体のうちにいた時の私の最後の大きな叫びだった。苦しみと、痛みと、苦渋に満ち、私の魂の底から響き渡り、天の高みまで貫く叫びだった。地のもといを揺り動かし、神殿の垂れ幕を引き裂いたように、私を愛した人々の心を真っ二つに引き裂く叫びだった。その叫びは、死者を墓から目覚めさせたように、敬虔に私を慕う信仰者たちを目覚めさせた。悪を打ち破ったように、彼らを覆っていた土を覆した。
 巨大な雷が天上そのものを揺り動かし、天使は皆震えながらひれ伏し、完全な沈黙のうちに私を礼拝した。かたわらに立っていた私の母は、私の叫びを聞くや、ひざまずいて地に伏し、顔は涙で覆われた。母はこの最後の叫びを、御自身が眠りに就く日まで抱いていかれた。母は苦しまれた……
 私の心は痛む。この世の多くの罪によって、今も苦しんでいる。邪悪、無法、利己主義。私の叫びは日々大きくなっている。私は十字架に独り取り残され、世の罪をただ独りで両肩に背負った、ただ独りで苦しみ、ただ独りで死に、流した血はこの世全体を覆った。あなたたち、私の愛する人々をあがなうために。
 この同じ叫びが、過去のこだまのように今も地上に響いている。私は過去の幻影の中に生きているのか? 私の犠牲は無駄だったのか? どうして私の十字架からの叫びがあなたたちには聞こえないのか? なぜあなたたちは耳をふさいで、私の叫びを打ち消してしまうのか?

主よ、このメッセージは誰のためですか?

私の叫びを聞く耳を持つ、すべての人々のためのものだ。

(主がたったお独りでどれほど苦しまれたか、そして今もどれほど苦しんでおられるかを知り、私はとても心を打たれました。)

私の神よ、4月23日のあなたのメッセージにあるとおり、お望みのような者になることを受け入れます。あなたのいけにえ、あなたの標的となることを。あなたのためにその十字架を私に担わせてください、そしてあなたに休んでいただけるようにさせてください。あなたを慰めさせてください。私は独りではありません。以前にも言いましたように、あなたとご一緒です2

愛している、小さな鳩よ、あなたにあらゆる恵みを与えた。私自身の利益と栄光のために、あなたを用いさせてもらいたい。あなたは自分自身のためには何も取っておかず、私自身の利益だけに目を留めるように。私の栄光をたたえ、私のために働き、あなたの苦しみに私の苦しみも加えなさい。

全世界があなたのをほめたたえ、その声があなたにまで届きますように。

一致が私の教会を力づけるであろう。一致が私の栄光をたたえるであろう。ヴァスーラ、私を愛しなさい。

主よ、あなたが望まれるような愛し方を教えてください。

教えよう。あなたを見捨てることはない。私の十字架を担うことに疲れないように。あなたのそばにいて一緒に分かち合っている、愛する者よ。

(パリにて、復活大祭の間に。

 ギリシャ正教の大修道院長がメッセージを見て「これは奇跡です」と私におっしゃった時、私も、神が私たちにメッセージを下さるとは、何とすばらしく美しいことかと思いました。でも一方で、悲しむ神、苦しむ神を伝えるということは、なんて残酷で、むごいことだろうとも思いました。神はもんのうちにメッセージを与えておられるのです、多くの人々に見捨てられて、悲しまれながら。これは悲しみのメッセージなのです。)

イエス様、果たして私はきちんと学べているのでしょうか? 自分を満足させるためにお尋ねしているのではありません。ただ、自分がどれくらいの所にいるのかを知りたいのです。果たして自分が成長しているのかどうかを!

ヴァスーラ、私、イエスは、あなたの前にいる。そしてあなたは本当に成長している。私はあなたを死からよみがえらせ、あなたを養った。あなたは私のパンを食べている。私の光があなたの上に注がれている、私はあなたの師、あなたは知恵から学んでいる。

イエス様、あなたは私に小さいままでいるように、無であり続けるようにと何度も思い出させてくださいます。それなのに、今、私が成長しているとおっしゃるのですか?

そうだ、あなたは霊において、愛において、謙遜において、忠実さにおいて、成長しなければならない。あらゆる美徳があなたのうちに成長するようにしなさい。けれども、虚栄において、邪悪さにおいて、また私の目に忌むべき、嫌悪すべき行いにおいては、無になるのだ。完全な者になってほしい。

いつも私のもとに戻ってきなさい

1987年4月27日 ノート10

ヴァスーラ、私は主、あなたの前に立っている。

(イエスがほほ笑んでおられ、御自身のお姿を感じさせてくださいました。両手で御自分の上着をつかんで開き、みこころを示しておられました。主の胸部は光っていました。)

私の心の中に入って来なさい、奥深く入り込み、包み込まれるように。私の心によって、あなたの心が魅了され、燃え上がり、燃え立ったまま、私の平和と愛を輝かせるようにさせなさい。さあ、私たちで共にいよう。あなたの聖なる道連れにならせてもらいたい。あなたもそう望むか、娘よ?

(主に近づくことなどできないと感じました。主に近づこうとする私とは、一体何者なのでしょう? 自分がどれほどふさわしくないかを悟りました。あえて神に向かって話しかけるなどという大それたことが、どうしてできるでしょう? 恩知らずの罪人の群れに過ぎない私たちが、神に願うだけならいざ知らず、神と「対話」しようとするとは! 私たちがあまりに卑しく、ふさわしくないので、私自身、気分が悪くなるほどです。自分の口にテープを貼りたいくらいです。それで、主の現存の中にいるときは、その現存に対して畏敬の気持ちを表すために、心の中で主と私の間にベールを置きました。)

娘よ、何をしたのか1? なぜだ? 娘よ、どうして?

あなたに敬意を表すためです、主よ。

あなたに食べてもらいたい。

(主の御手の中にあるパンを見ました。)

私のパンを取りなさい、小さな子よ、私のパンを取るためには、このベールを取り除かなくてはならない、さあ。
 この仕切りを私が取り除こう……ほら、私のパンを取りなさい、近づいて。

(そうしました。そして主の御手からパンを取りました。)

あなたに食べ物を与えて、私がどれほど喜んでいるか分かるか?

(イエスは愛に満ちあふれて、喜んでおられました。)

私の喜びが感じられるか、ヴァスーラ? あなたの弱さとみじめさを差し出しなさい、私の力と、私のあわれみの中で、それらを消滅させることができるように。小さな鳩よ、自由に飛びなさい、だがいつも私のもとに帰って来て、私のパンを食べなさい、あなたを愛している。

私も愛しています、主よ。

(このあと一日中、私への主の愛を感じました。それを何と呼べばよいでしょう? 「こうこつ状態」でしょうか? そのような状態にあって、普段より一層強く、主の現存を感じました。)

(しばらくして)

あなたは私の聖なる至聖所を見た、そこに私たちは入った、そして、その至聖所が私のセラフィムたちに守られている様子をあなたの目に見せた。今日は私の至聖所の中を見せよう。私の聖なる書物に注がれているこの強い光が見えるか?

はい、主よ!

それらはあなたを創造する前に書いた、私の最も聖なる書物である。その聖なる書物には、私の天と、私が創造したすべての被造物に関する秘密と鍵が収めてある。聖なる書物のそばには二人の大天使を置き、彼らは情熱を込めて、私の書いた聖なる書物を守っている。来なさい、私の栄光をもっと見せよう、小さな子よ。

(神は私を居心地の悪い所に連れて行かれました。)

この火の山が見えるか?

(美しく見えましたが、恐ろしくもありました。)

その横から二本の川が流れ出ており、それらはすべて火でできている。

(溶岩が流れているように見えましたが、色はもっと鮮やかな赤色をしていました。)

主である私は、裁きの日に、邪悪な魂を善良な魂から必ずより分ける。そしてサタンに従った者たちは、それら二本の火の川に投げ入れられ、正しい者たちのまさに目の前で罰せられる。ヴァスーラ、私の天をもっとあなたの目に見せてあげよう、なぜなら、私の聖なる至聖所の後ろにはまだ幾つかの天があるからだ。被造物よ、私の意志は成し遂げられる、なぜなら私は万軍の主である神なのだから、あなたの中で私に自由に行動させてほしい。私のわざが果たされるまで、私たちは愛をもって共に働く、そしてそれが成し遂げられたとき、私の聖なる書物を携えて再び来て、その中の一節を読ませる。あなたはそれを書くだろう、そのようにして、私の平和と愛のメッセージを封印する。

(その日の真夜中、十字架上からのイエスの大きな叫び声で目が覚めました。その声はもん、苦しみ、痛み、悲しみ、苦渋に満ちていました。非常に激しいうめき声に聞こえました。苦痛にさいなまれているような。)

無でありなさい、私があなたのすべてとなるようにしなさい

1987年4月26日 ノート10

言わせてほしい、愛する者よ、あなたが生まれる前から、私は計画を描いていた。これから私たちはいつも共に働くだろう。そうしたいか?

そうしたいです。あなたが無力なままの私を受け入れてくださるなら、私の神よ。

愛している。ヴァスーラ、あなたを助けよう。
 先週の初め、あなたは悪魔に痛めつけられ、攻撃された。それにもかかわらず、私はあなたと共に、書きたかった言葉をすべて書いた。私があなたを援護した。

それは悪魔が私を呪ったときのことでしょうか?

そうだ、悪魔があなたをひどい言葉でののしっている間、私はあなたを祝福していた。あなたを守っていた。

(しばらくして)

言わせてほしい、ヴァスーラ、あなたが小さければ小さいほど、私が大きくなる。あなたのうちで私が働き、あなたのうちで私の意志を行うことができるようにさせてほしい。無でありなさい。何も感じず、私があなたのすべてとなるようにしなさい、私の言葉が世界の果てにまで届き、私の平和と愛のわざがどの心も引きつけることができるように。
 あなたが自分のみじめさを思い出すようにさせてもらいたい、それを思い出させることで、私が与えたすべての恵みのために有頂天になってしまうのを防ごう。私の清い祭壇となりなさい……人間をとる漁師よ、私の平和と愛の網を世界中に張り巡らせなさい。その網を引き、とれた魚で私を喜ばせてほしい! 私が地上で肉の姿をとっていた時、人々の小さな群れに、人をすなどる漁師になるように教えた。全人類に私の言葉を広めるように、彼らをこの世に残した。私、主イエスが、これからあなたを導き、どのようにしてこの働きがなされたかを教えよう。

(なんと言えばいいのでしょう? 一体この私に何ができるでしょう、ましてそのような使命など果たせるはずもありません。日に日にメッセージの重みが増していくのを感じています。神を本当にお喜ばせしたいですが、どうしたらいいのでしょう。目の前にはそびえ立つ山だけが見え、啓示は私に重くのしかかります。)

私はあなたと一緒に私の十字架を背負っている。そう、確かに重いだろう、だが疲れてしまわないように。私、主が助けている。私のそばにとどまりなさい、あなたを見捨てはしない。

それでも、まだ重過ぎます。

(イエスは続けるように励ましてくださいます。)

ヴァスーラ、今までずっと助けてきたではないか? それなのに、どうしてあなたを見捨てるだろう? 私に完全にり頼みなさい。私に信頼しなさい。私は自分が始め、祝福したことは完成させる。

あなたを自由にした

1987年4月23日 ノート10

(自由とは何だろうと思うときがあります。神が私を呼ばれる以前も、私は自由でした。家庭生活は調和が取れていて、何の責任も、何の心配も実際ありませんでした。私を押しつぶし、重くのしかかってくるこのメッセージのようなものは。でもその時、私は神から遠く離れていました。突然、神は私をつかまえられたのです……。最初の頃は嫌でした。神を愛していなかったのですから。ところが、神が私に教えを説かれてから、ほんの短期間(三カ月)のうちに、神を愛することを私に教えられました。現在、八カ月が経ちましたが、メッセージ全体がほぼ完成しつつあります1。それは今も重くのしかかり、私はこの重荷を下ろせる場所を探しています。あまりにも重いからです。自由とは一体何なのでしょう? その重荷は耐え難いものでした。)

主である私が、自由とは何かをあなたに教えよう、書きなさい。
 自由とは、あなたの魂がこの世への気遣いから離脱し、私に向かって、私のもとへ飛んで来るときのことだ。神である私は、あなたのもとに来て、あなたを解放した。今やあなたは自由だ。この世に執着していたときのあなたは、ヴァスーラ、この世のあらゆる誘惑のとりこだったが、今では、あなたの魂は解放された鳩のようになっている。あなたはかごに入れられていたのだ、愛する者よ。そう、かごの中に。あなたの魂を自由に外へと飛び立たせなさい、すべての魂に与えたこの自由をあなたの魂も感じるように。だが、彼らのうちどんなに多くの者たちが、私が差し出すこの恵みを拒むことだろう。
 再び捕らえられないようにしなさい。縛られ、捕らえられていたあなたを、私が解放した。私が通りかかった時、あなたがかごの中で徐々に弱っていき、死にかけているのを見た。ヴァスーラ、それを見て、私の心があなたをあがなわずにいられただろうか? 私は来て、あなたのかごを破った、しかしあなたはあまりに傷ついていて、自分の羽を動かすことができなかった。そこであなたを私の住まいまで運び、優しく癒やして、再び飛び立てるようにした、今や私の小さな鳩が自由に飛び、初めからいるべきだった所にいるのを見て、私の心は喜んでいる2
 主である私は、あなたを自由にした。あなたを回復させた。みじめさから解放した。あなたを私の目の届かぬ所に放っておくことは決してない。いつも必ず私のもとに帰って来ると確信しながら、私の鳩が自由に飛び回るのを見守っている。あなたの救い主、師を見分けたのだから。あなたの魂は私の温かさを必要とし、あなたは自分の住まいが今や、私の心の真ん中にあるのを知っている。あなたにいてほしいといつも思っていた所に。あなたは今や私のもの、私はあなたを愛するあなたの師である。

(スイス行きのことが頭をよぎり、そこで自分が心変わりしてしまうのではないかと不安になりました……)

ヴァスーラ、あなたに再び自分自身を汚させはしない。恐れなくてよい、私がいつもそばにいて、あなたを洗い清めよう。あなたがそこに行く私なりの理由がある。

(神の理由がどのようなものなのかを考えようとしました。そして尋ねました。)

私の種がヨーロッパにかれるのを望んでいる。私のたねき人になってほしい、ヴァスーラ。私を傷つける人々の中で生活しなさい。あなたの目ですべてのものを見、私の被造物がどうなってしまったかを注視しなさい。あなたの心で、彼らにとって私がどれほど価値のないものになってしまったかを感じなさい。あなたの耳で、彼らが私をどれほど冒涜ぼうとくし、傷つけているかを聞きなさい。あなたの魂は嫌悪せずにいられるだろうか? 私の民がいかに私を忘れてしまったかを見て理解したら、私のために泣き叫ばずにいられるだろうか?
 ヴァスーラ、あなたの魂は、邪悪さや無関心、非道の極み、そしてこの世の堕落した罪の深みにさらされるだろう。彼らの頭上を飛ぶ鳩のように、あなたはこの世を注視するだろう、彼らの一つひとつの行いに苦渋を感じながら。
 あなたは私のいけにえとなり、私のために標的となるだろう。彼らは獲物を追う狩人のようにあなたを捜し回り、自分の武器を取り出して追跡する。誰であろうと、あなたを破滅させることができる者のために、あなたに高値を付けるであろう。

主よ! 私に何が起きるのですか?

娘よ、教えよう。何も無駄にはならない。地上の影は次第になくなり、消え去る。泥土も、最初の雨のひと降りだけで、必ず洗い流されてしまう、だがあなたの魂が消え去ることは決してない。私の質問に対してあなたが何と答えたかを、主である私が思い出させよう。私は以前、あなたに質問した。「どちらの家がより大切か、あなたの家か、それとも私の家か?」と。あなたは、私の家の方が大切だと正しく答えた。

はい、そうお答えしました。

あなたを常に私の心の中で守ろう。あなたを愛している。

私も愛しています。

私たちで共に行こう、私の現存を忘れないように!

聖金曜日

1987年4月17日 ノート10

(聖金曜日のミサの最後に、司祭はイエスのお墓1の上に敷き詰めていた花を取って配ります。花束にして人々に渡すのです。私は三本だけ受け取りました。これは、聖三位についてなかなか理解できなかったことを私に思い出させるための、神からのしるしだと理解しました。
二日が過ぎましたが、その間何も書いていなかったので、黙想の中で神と接し、神をとても強く感じながら書くことをとても恋しく思いました。)

私の神よ、長かったです!

どれくらいか。

二日ぶりです!

二日か、ヴァスーラ? あなたのために何年も待っていた私は、何と言えばいいのだろう?

言葉がありません、イエス様。あなたを傷つけたことを申し訳なく思います。私をおゆるしください。

来なさい、あなたをゆるす。私の愛する魂たちに望んでいることは、ほんの数分間だけ、彼らの心を私に捕らえさせ、その心の中に私のあふれるほどの愛を注がせてくれることだけだ。

(イエスはこのことを、大変な優しさと愛をもっておっしゃいました。神が私に重要な長いメッセージを与えようと近づかれるときはいつも、悪魔かその手下たちが私を攻撃してきます。体ではその存在を感じませんが、この導きの中で彼らに許されていることは、言葉を書くことによって自分を現すこと、つまり、私をろうしたり、呪ったりして、私を攻撃することだけです2。私は神から、その違いを識別し、悪魔の言葉を見分けるように教えられていますので、通常は彼が言葉を書き終えることすら許しません。これが彼らを激高させるのです。仮に私の注意をすり抜けたとしても、その時は神が私の手を制止されるので、書くことができません。今書いているこの紙は私のノートの一部です。このような攻撃は、神が重要なメッセージを書かせようとされる度に、ますます強くなります。今ではもう、私にもそのパターンが分かっているのですが……ですから、失望感に襲われるときがあっても、私はあきらめないのです。)

聖木曜日

1987年4月16日 ノート10

(聖木曜日)

ヴァスーラ、私は教会にいた。私の十字架の前を歩いた。あなたの前で数秒間止まった1。私の娘よ、この長い年月の間、私の心から愛する教会に、あなたが来てくれるのを待ち続けていた2

主よ、救い主よ、あなたは本当に私を捜し続け、見つけ出し、そしてあなたのもとに、あなたの教会に連れて来てくださいました。何年もの間……あなたは何年もの間、待っていてくださった!!

私は十字架の前にとどまり、私を礼拝に来る人々を皆、代わる代わる祝福した。

(聖なる十字架が教会の中央に安置されており、人々は皆、代わる代わるその十字架に口づけをしに行っていました。)

私のしるしを描きなさい 続き

1987年4月10日 ノート10

私の十字架刑は何時間も続いたことを覚えておきなさい。私は何時間も苦しんだ。私の血はすべて流された。あなたたちを愛している。来て、私を愛することによって私を慰めなさい。

(イエスは悲しみを感じておられ、慰めを切に求めておられました。最近イエスは、御自身の十字架刑をしきりに私に思い出させ、その映像をお見せになります。時には、イエスの現存があまりにも完全なため、直に触れることができるのではと思うほどです。言ってみれば、イエスが動かれたときに生じる空気の動きさえ感じられるほどに!)

私のしるしを描きなさい

1987年4月9日 ノート10

(スイスにいる間、この先わが家はどこになるのだろうと思っていました。まだ住む場所を探していたのです。歩いて、歩いて、歩き回って。)

私の現存を感じなさい。

(イエスが御自身のみこころを指さしておられるのが見えました。)

あなたの家はここだ……私の心の真ん中にある。娘よ、魂たちを私のもとに引き寄せることによって、私の栄光をたたえなさい。

(私の姉がこのメッセージのことを初めて知りました。最近の五冊を読んだのです。その影響で、姉といとことの間で八年間続いていた家族同士のいざこざが収まり、仲直りしたのです。彼女たちはまた元の仲良しになりました。私はひと言も口出ししませんでした。そして、姉は自分の住んでいるロードスに帰って行きました。
帰宅した日の夜、姉がそのことを姉の夫に話すと、姉よりも義兄の方が衝撃を受けました。姉と義兄はその晩、一緒にノート5と6を読みました。それから二人は眠りに就いたのですが、義兄は眠れません。彼は祈り始め、神に罪のゆるしを乞いました。すると奇跡が起きたのです。神は彼に、私が見た幻(ビジョン)と同じものをお与えになったのです! 美しい園と、周囲を取り囲む何百万もの天使たちに守られているあの「太陽」をお見せになったのです。神は私のときと同じように、彼をあの丸い光の中に入らせられました。神の現存を間近に感じた時、彼は震えて涙を流し始めました。姉を起こしてそのことを話すと、姉は仰天しました。二人は私にそのことを話すのに、翌朝まで待てなかったほどです。
──さてそれから、私はそれまでずっとほしかったエノックの本を買い、読み始める前に、102ページのところを開いたのです。何気なくそうした時、私が見たものは何だったでしょうか? 私が見たものと全く同じ幻(ビジョン)を、エノックも見ていたのです。何千もの天使たち1に守られた明るい丸い光を! 偶然にしては度が過ぎています。なぜなら、この幻(ビジョン)は3月26日にバングラデシュで見たものだったからです。パリにいた1987年4月11日にも、図書館で本を探していた時に『メタノイア』という本にうっかりつまづいて、その表紙に目が奪われました。表紙の絵が私の幻(ビジョン)と全く同じものだったからです。それはエノックのとも、また義兄のとも同じものでした。天使たちに守られた丸い光です。姉が帰った後、再び神に手を委ねて書きました。すると神は、ストラート2へのメッセージを下さいました。)

私の小羊たちを愛している。私の小羊たちを一つにしなさい。私のメッセージを読む者は誰でも、私のパンを食べるであろう。私からしるしを得る者は誰もが、私が恵みで照らしたいと望む者たちである3。私のしるしを描きなさい。

イクトゥス
イクトゥス

 ヴァスーラ、この導きを要約して、私のメッセージを書き直しなさい。あなたを照らして導いてあげよう。繰り返されたものは皆、あなたの教育のためだ。あなたにはそれが必要だった。
私のメッセージは、平和と愛4と呼ばれることになる。

(ひどいものです。自分があまりに現実的で、あまりに疑い深くて。今日もまた、この出来事が起こっているのを疑ってしまうのです。彼らはあんなに完全に信じ切ることができ、安定した状態でいられるのに、なぜ、どうして、私はこんなにも不安定なのでしょう? 自分の手を自分の意志で動かせないことも、神が私の手をお取りになるときにはどれほど自分が無力になるかも、神がどのようにして私の手を使って鉛筆で一気に書き上げられ、私がほとんど触れてもいないのに鉛筆を動かすことがおできになるかも良く知っているというのに。それは私に起きている事実であり、神は多くの証拠も示してくださいました。それなのにどうでしょう、いまだに疑いの波が! それに、もしかしたら私は皆を間違った方向に導いているかもしれないと、何度も思ってしまうのです! この導きの中には、私には計り知れないことがあまりにもたくさんあります! しかも、まだ出版すらされていません……)

愛する者よ、私はヤハウェ。あなたの弱さを私に差し出し、私の強さがそれらを滅ぼし尽くすようにさせなさい。

(神は私に対してどれほど忍耐強くあられ、我慢しておられるでしょう……おそらく私が疑ってしまうのは、自分自身のせいです。なぜなら、私は自分のことをよく知っており、超自然的な方法で神に近づき、メッセージを受けた人たちと自分とを比べてしまうのです、彼らはどれほど善良で、献身的だったでしょう。そのことが私を打ちのめすのです。昼と夜とを比べるようなものです。それでも、一つだけ確かなことがあるのを認めます。少なくとも私は、神を深く愛しています。それは私の想像の産物だとか、あるいはある司祭が言ったように、悪魔が人の脳に吹き込むことができるものだとか言うことは、誰にもできません……。もし私が弱くて、耳に入ってくることを何でもそのまま聞き入れていたら、私は押しつぶされていたでしょう。今日、(フロイトを学び始めたばかりの)ある女性に、これはすべて私の無意識下にある、神への愛の強迫観念コンプレックスだと言われました。ばかばかしい。彼女にとっては、もし私たちが神を本当に愛するとしたら、それは心理学的には病気だということになるのでしょうか? でも、彼女の理論にも、フロイトの理論にも、私の心は全く動かされません。第一に、神はあらかじめ、そのような理論で私が非難されることを警告してくださっていましたし、それに、私は特にフロイトを好まないのです。彼は無神論者であり、ユングですら彼のもとを去ったのですから! フロイトにとって、私たちはただの物体にしか過ぎないようです!)

私の子よ、人々はいつでも人間的な方法で裁いてきた。私はあわれみと愛に満ちた神だが、ほとんど理解されていない。

でも主よ、あなたは「全く役立たずな者」をお選びになりました。それが私に疑いを引き起こすのです!

あなたも私の娘だ! あなたたちの間で最悪の者をさえ、私は愛している。

1987年4月8日 ノート10

(今日は少し用事がありましたが、神に向かって書かずにはいられませんでした。そこで急いでイエスにお願いしました。「ひと言おっしゃってください、イエス様、ひと言だけ」。)

ひと言か、ヴァスーラ? 愛。

あなたを愛しています!

(「ひと言」と言っても、短い文か何かという意味で言ったつもりだったのですが……)