1989年7月のメッセージ

異端が私の体を飲み込もうとしている

1989年7月30日 ノート35

ロードス島

今日はコロサイ書2・1-15が読まれました。ペンテコステ派の男性に会った後のことでした。メッセージはどれも美しいが、聖母の名を借りて悪魔が介入したに違いないと彼は言うのです! 諸教会を一致させるのは悪魔だと言うのです! サタンが善良な人をこれほど誤った方向に導けるとは驚くばかりです……主よ?

私だ。平和を受けなさい、私の平和を与える。まことに、合理主義哲学や不健全な教えには騙されないように、私の栄光のために使命を果たし、教えてきたことの全てをそのまま伝えなさい。私は英知である、そしてあなたの教師、私自身の口からあなたは学んでいる、私の後についてこれらの言葉を唱えなさい。

主よ、私の魂をお受け下さい、精神をお受け下さい、

わが主イエスよ、私の心をお受け下さい、すべてはあなたのもの、

あなたの愛はいのちそのものよりも、良いものです。

あなたのうちに私の希望をおきます。アーメン。

小さな者よ、愛がいつもそばに寄り添っていよう。私の体を飲み込もうとするこれらの異端は、癌のように私の体の中で増殖し、その酵母は私のパンのうちに広がった……はっきり言うが、この者たちは自らの過ちと、従う者たちの過ちの責任を問われよう。これはバアルを礼拝した彼らの先祖たちほどに重い罪となる。

花よ、私の聖なる現存を忘れないように、私の目はあなたから離れることはない、来なさい、「私たち共に」?

永久に。

小さな者でいなさい

1989年7月29日 ノート35

(ロードス島)

(ほんの一瞬だけでもと、主のもとに走って来ました)

愛がそばにいる。小さな者でいなさい、私の霊があなたのうちで育つことが出来るように。私は真理、いのちであり、道である。私を愛することによって、栄光を与えなさい。

識別を欠くなら、未熟な実をつける

1989年7月28日 ノート35

(ロードス島)

主よ?

私です。小さな者よ、私がどう現存しているかに気付くように。

み声を聞くのでしょうか、わが主よ?

小さな者よ、私の声を聞き、私を感じてほしい。私の指があなたの上に休み、私の霊があなたのうちに息づくようにさせてもらいたい。

ああ、主よ、私は全くそれにふさわしくありません!

私と一つでありなさい … 私、主が、どれほどあなたを愛しているか! 分かるか? 私の聖心は開かれており、中に入って来たいと望む者を歓迎する。皆選ぶ自由がある。私の聖心を選ぶなら、あなたを満たし

、私の光のうちに生きるようにさせ、あなたは私から吸収するだろう。私はあなたを養う、そして、私と分かち合う用意があるかどうかあなたに尋ねよう。配偶者と花嫁のように分かち合い、私の愛であなたをすっかり新たにする。 

主よ、あなたのもとに全ての人を立ち帰らせてください。過ぎ去った時代のように私たちの世代を新たにしてください。

では来なさい、私のもとに戻って来なさい。私はあなたたちを

拒んでいない。私はとてもあわれみ深く、とても思いやり深い。罪を認め、悔い改めて私のものとなってほしい。私は – 救う – 者、私はあなたのあがない主、私は三位一体、すべて一体である。

私は恵みの霊である、そしてあなたの世代が自らを孤児と呼ぼうが、離れて行った者たちを皆ゆるし、過去を忘れ、連れ戻す用意がある。私の恵みの聖霊はあなたを引き上げ、新しくする用意がある。どうしてあなたの土地を不毛な砂漠に変えて行くのか? 荒野で暮らすのに疲れ果てているのではないか? 私のもとに戻って来なさい、私の泉を探し求めて見いだした者の一人となりなさい。あなたを私の完全さ、私の美と、私の栄光をもって新たにする。あなたの魂が生きるよう、完徳のうちに甦らせるつもりだ。

私の愛する子どもたちに話したい1。私は彼らを愛している、彼らに対する私の愛は永遠。私の心を示すために彼らを呼んだ、そして彼らは私の声を聞いた、十字架から叫ぶ私の声を聞いた。彼らは私から生まれた者たちゆえ、その魂を誘惑したいと常に願っていた。時の始めよりこの親密さを願っていた。そして永遠の昔から彼らの神、私を愛し、礼拝してほしいと望んでいた。来なさい、私がいかにさまざまな方法で、熱心な魂たちに自らを顕し、私の秘密、私の知恵を明かし得るかを思い出させたいと望む。霊によるものと主観によるものをどう識別するかを学んでほしい。

初めの時以来、私の口元を見つめるようにと絶えず勧めてきた。識別を欠くなら、愚かさ、出しゃばりといった未熟な実をつけ、心を苛立たせるだけとなる。私は彼らが生きるようにと、無気力の状態から引き上げ、じりじりしながらこの時を待っていた。私と共にいるなら学ぼう。私の霊がどう働くかを理解しなさい。

私は皆を愛しており、愚行に陥らないようにと望んでいる。あなた自身の主観で道を逸れないようにと望む、謙虚でありなさい、小さな者として留まり、私の選んだ方法で

養わせなさい。

あなたたちをいつまでも見守っている。主である私は、あなたに私の祝福、私の愛と私の

平和を与える。

愛が今あなたを呼んでいる 

1989年7月26日 ノート35

パトモス島

(黙示録が書かれた洞窟の中で、筆記者が立っていた足元にノートを置いて、主のメッセージをいただいています)

主よ?

私です、決して疑わないように。私は(I Am)今も時の終わりまでも永久にあなたと共にいる。

主よ?

私です(I Am)、愛がそばにいる、怖れることはない。来なさい、求めるのは愛だけ、愛を返してくれることだけ。私の平和はあなたのもの、私の平和を受け取り、他の者たちに与えなさい、悪を行うのをやめなさい。一致するように! 御父と私が全く一つであるように、一致し、一つとなりなさい。和解……和解、来て私と和解しなさい、愛が今あなたを呼んでいる。

パトモス島 – 黙示録ゆかりの島

1989年7月25日 ノート34

(パトモス、聖ヨハネが追放されていた黙示録ゆかりの島です)

その収穫と良い物であなたを喜ばそうと、肥沃な土地に連れて来た1

わが主よ、聖ヨハネがみことばをいただいた洞窟で、もしできましたらみことばを「受ける」恵みを私もいただけますように、どうぞお許し下さい。主よ、心の底から呼び求めます。あわれみ深く私の願いをお聞き下さい。答えてくださいますことを信頼して。アーメン。

あなたが嘆願を始めた時、ある言葉が語られ、私はそれを教えに来た。「あなたは特別に選ばれた者2

本当は何を意味するお言葉でしょう、主よ?

聞きなさい、私が神であることを皆が知るように、何時でもそばに来なさい。私、みことばは、あなたたちをゆるし、私のもとに皆を連れ帰るためにあなたたちの間に降って来た。

(ロザリオの祈りを身につけるためにパトモス島を訪れた、ギリシャ人たちの聖霊刷新運動のグループに与えられたメッセージです。アテネや、ロードス島からやって来て、パトモス島の巡礼地で合流しました)

目覚めなさい! 愛する者たちよ。私はあなたたちの救い主、十字架に架けられた者、あがない主。私の愛を感じなさい……

あなたたちのために愛を増し加え、悪を減らしに来た。魂に欠けたすべてを補いに訪れている。不安に思わないように、小さな者たちよ、私は豊かではないか? いと高き者ではないか? 父の腕の中にいて、安心していなさい。私、三位一体は唯一であり、同一である。

私の腕の中に身をすっかり委ね、光の生きた柱となるように、形造らせなさい、私の持てるすべてを、あなたたちと分かち合わせてほしい。愛している! いとしい者たち、この暗やみを照らす光が消えかかっている、この世に残されたわずかな光も、悪魔が消そうとしているゆえ。あなたたちの世代は無慈悲にも悪を善と呼び 善を悪と呼んでは悦ぶ。あわれみの欠けらもなく、私の聖なる名を、絶え間なく冒瀆し、喜んで悪魔に顔を向け、その足元にひざまずく、このすべてを見ているのは、どんなに辛いか! 喜々として自らを無神論者と呼べるように、私につながれたへその緒を断ち切ろうともがく、この死んでいる時代を目の当たりにし、傷つき、血を流す、私の聖心を感じてほしい。彼らはこのように言おうとする: 「自分たちが誰のものかなどと考えないでいい、ほら、自由になった、出て行ってバベルの塔を築こう、前にもやったではないか? 神に繋がれる必要があるものか? その掟で何を得するか?」

御父も私をも全然知らないために、彼らはこのように振舞う。この世代のほとんどはバアルの信奉者、そう、偽りの神々を礼拝した先祖たちの末裔。私につながれ魂を養うへその緒を断ち切ったため、彼らは魂を萎びさせるしかない……自ら進んで永遠の火に向かっている、彼らは私の聖なる名を攻撃し、意図的に私を挑発している……

来なさい、私は呼び、あなたたちはその声を聞いた、私は(I Am)あなたたちの主であり、あなたたちは私の民、私自身の者たち、愛と平和をもって私を受け入れなさい、地上はこの世代に足蹴にされ、汚れてしまった、それゆえ私の清めの火が、天から彼らの上に降り、汚れた土壤を清めよう。

あなたたちの魂を私のもとに引き上げ、私と一つとなるように、私の平和を受けなさい、あなたたち皆と、祝福のために持ってきたすべてを祝福する、どのイコンと聖具の上にも私の溜息を送って。

一致しなさい。

イクトゥス

(以上のメッセージは「船の上の出来事」の後で与えられたものです。ロードス島からパトモス島に船で向かっている時、誰かが宗教の話をし始め、十五分もすると私たち十二人は、特に若者たちの大群衆に囲まれていました。そのほとんどは無神論者で、私たちと議論しています。彼らはみことばと戦っていたのです。しかしこうした激しい攻撃や嘲笑のさ中、一人がその場で回心しました)

わが主よ、
あなたの嫉妬深い愛を彼らにお示し下さい。
あなたは私たちの平和と希望。
あなたの愛も慈しみも私たちは受けるにふさわしくありません。
どうぞ共にいてください、私たちは弱く花のように脆く、
あなたの樹液に養っていただく必要があるのです。

私が聖であるように聖となりなさい、みことばを読み、私のために、私だけのために生きてほしい、愛をもって悪に報いるように。ぶどうの幹から芽吹いた若枝のようでありなさい、間もなく蕾を持ち、花を咲かせ、世界をその実で潤そう。私の平和を受け、私の懐に留まっていなさい。私の名は聖、あなたも聖となるのを、忘れないように。

来なさい。

永遠の昔からあなたとともに、あなたのうちに、そしてあなたが私のうちにいるようにと恋い焦がれた

1989年7月19日 ノート34

聖なるお方、私の魂はあなたの聖心に恋い焦がれます。聖心のうちに生き、終日礼拝できる方がたは幸せ。あなたの恵みを受けている方がたは幸せ。死んで横たわったままのすべての人びとを生き返らせてください、あなたのうちに歓ぶことができますように。彼らにあなたの愛を示し、聖心をお示し下さい、新しい愛の讃歌をあなたに向かって歌えますように。

私の魂に愛された者よ、私の手を取り、英知の与えているすべての教えを評価してみなさい。私は愛の言語をもって教え、私の声を識別し、聞き分けられるようにした。あなたの主、私をどのように見いだすかを教え、魂を生き返らせた。私がうるわしい者、そして愛の究極の源であるのを思い出させた。永遠の昔からあなたと共に、あなたのうちに、そしてあなたが私のうちにいるようにと恋い焦がれた。私のこの熱烈な愛をそろそろ理解し始めただろうか? それにあなたの神、私がどれほど熱意に満ち、愛を求めているかを? 花よ、私はいつもともに、最後まで、永久に至るまで一緒だろう。私の聖心をあなたの住まいとしなさい、鳩にその巣があるように、私の聖心をあなたの憩う家とさせなさい。あなたたち皆を愛する思いは永久に続く。

私は私の群れの大いなる牧者

1989年7月17日 ノート34

主よ?

私の子よ、聞いて書きなさい、私は私の群れの大いなる牧者。群れの番をするように羊飼いたちを訓練した、しかし仲間たちの多くはこの仕事の道具として不適格で、迷子の羊を放っておき、道に迷った羊を群れに連れ戻そうとしない。一番の友人たちが最大の悲しみをもたらしている、私の体に最も深傷を負わせているのは、私自身の手で与えた者たちの杖。彼らは一番の親友、しかし彼ら自身の手で、見分けがつかないほどの

深傷を負い、背中は絶え間なく鞭打たれている。全身が痛みで打ち震え、唇はカラカラに渇いてけいれんする、彼らは怖れなく平和を求めて叫ぶが、平和はない、合理主義、不従順と虚栄心に捕われ、魅せられるのを自らに許してしまったゆえ。彼らはなんという悲しみを与え、私を傷つけていることか!

主よ? どうして人によっては、これほど難しいのですか?

ひとたび偽りの笏を握るなら、手放すのは難しい、人間的な教義や決まりを捨てるのは難しい、自らの欲望に対して死ぬのは難しい、自らを-卑しめる-衣を纏うのは難しい、こうした者たちに対してはこう言う: 泣きわめくがいい、羊飼いたちよ、地面にころがり、わめくがいい、群れの支配者たちよ、屠殺される日が到来し、肥えた雄羊のように一人ずつ倒されるだろうから。私は友人の中でも最も美しい遺産を与えた、正しい者たちと肩を並べさせ、私の家督を、任せた、しかしあなたたちは私の掟を守らず、教えを棄て、私が悪と見なすことを行った、声をかけたが、聴こうとせず、私に従わなかった*……。

ああ、わが神よ、私たちをあわれんで下さい。これらの羊飼いたちの咎をきれいに洗い、罪から清めてください。

私の小さな花嫁よ、私の悲しみをともに分かち合うのを許してほしい、

愛します、主よ、わが神よ、本当にお優しい、慈しみ深いお方、あなたのためだけに生きています、私の眼差しはほかの誰でもなく、あなただけに置かれています、あなたを礼拝します!

ああ、その愛の言葉は、どれほど私の義を癒やすか! 愛のどの一滴にも、意味がある、数え切れない魂たちが、愛によって救われ得る。私の石版としてあなたを用いるのを許しなさい。私の傷を示し、私の悲しみを分かち合ってくれる友として、あなたを訪れた、あなたに聖心の傷をさらしている。

私たちの主に賛美。

私のヴァスーラ、今はあわれみの時代、あなたたちの上に私の恵みの霊が注がれているのに気づいただろう? 悔い改める時は今、生き方を変えるのは今、絶え間なく祈りなさい、愛を込めて祈りなさい、反逆し続けようといつまでも思わないように、恐ろしい義の時が間近かに迫っている、その時は審判者としての私に、顔を向ける用意があるように、私の娘、息子たちよ、はるか以前にあなたたちを、死に繋がれた鎖から解放し、大いなる思いやりをもって連れ戻した、悪霊からあがない、あなたたちの先祖に貫かれた私の心臓を示した、あなたを自由にするために自らを犠牲にした。あなたの時代は絶え間なく挑発をしかけてくる、それでも私は、大いなるあわれみゆえに、私の恵みの霊を通して、私の教えをあなたたちに思い出させている、今日私の慈しみは地上の隅々にまで及ぶ、今日の私の声に耳を澄ましなさい、今日の私の慈しみを受け入れなさい、心を込めて祈るようにと、厳かに求める、断食し、悔い改め、互いに愛し合いなさい、あなたたちの変容を通して私の栄光を示せるように、自らを改め、すっかり新しく整えられた群れとなりなさい。

* 苦渋の思いが込められていました。

私は見張り番

1989年7月15日 ノート34

わが主よ、おいで下さい、私を引き上げ、主とお会いできるようにしてください。あなたの光を注いで下さい。主の掟を忘れないように努力しています、私が暮らすこの荒野では、迫害者たちの締めつけが緩む気配もありませんが。けれど心におられる主を思い起こすと、勇気が湧いてきます。主の臨在に歓喜します、聖なる方がたのうちの聖なるお方。

私の聖心のヴァスーラ、私を愛しなさい、愛さない人びとに代って償うように、この小さな祈りを覚えて私の聖心を喜ばせなさい。

ああ、イエスの聖心よ、私の魂を生き返らせ、

聖心のうちに、私の心を隠してください、

生きることができますように、アーメン。

この祈りを私の聖心に献げなさい。

娘よ、あなたの骨折りは無駄にならない。ああ、私の形見よ、祈りを絶やさないように、私から目を逸らすことなく、目を私に据えていなさい。私は聖なる、聖なる、聖なる者である、それゆえ思いの中に私をいつも現存させているように。あなたを迫害する者たちは、私の子よ、私の迫害者たちでもある。ぶどう畑を荒らしに夜忍び込んで来るのはこうした者たち、しかし怖れないように、私はあの略奪者たちに対しては見張り番、私のぶどう畑の実に誰も触れさせはしない。

私の聖所の壁は造り直されよう

1989年7月9日 ノート34

主は、エルサレムを建て直すという聖書の箇所を読むように指示されました。主よ?

私です、今読んだすべては実現する。私は 私の教会を、再建しよう。教会は今日荒廃し、ひどく破壊されている、しかし誰もが私の掟に従う日が、間もなく訪れる、その心に今播いている、愛の種子ゆえに、彼らは、私の掟を心深くに保ち、至高者の証し人と呼ばれよう。この人びとは私の民となり、私は彼らの神となる、そして私自身の口から直接知識を得、がその師となり、彼らは弟子となろう。こうして私は、決して廃れることのない秩序を打ち立てる、彼らは皆、徳を持たない者たちさえも、私の聖なる名をもって、私を知るようになる、私は無限の慈しみ、ゆるし、そしてあわれみであるがゆえ。そう、私の聖所の壁は造り直されよう、一段ずつ、石を積み重ね、私自身の手ですべてを造り直す。その後死者を探しに、あらゆる町角に出て行って、一人ずつ甦らせよう、私の新たな代弁者となるように、そしてあなたたちに仕えるよう、私の霊とともに送り出す、彼らに: 「誰がこの権威を与えたか?」と尋ねるなら、彼らは権威ご自身によって与えられた、と答えよう。そしてあなたたち。まこと愛する者たちよ、この荒野で苦しんでいるあなたたちは、水をえた園のようになろう、涸れることない泉のように、愛があなたたちの間に生きるだろう、そして私は、私自身の者たちに囲まれ、彼らは皆私の新しい聖なる名のもとに一致し、賛美し、ほめ称えるだろう、もはや反逆は収まり、終焉を迎える。みことばに射し貫かれ、死に絶え、二度と起き上がることなく。私は悪霊の手からあなたたちを救い出すつもりです、私の光*のうちに、あなたたちを強めて。私を愛し、生けにえとなる人びとゆえに、そのためだけに私の火を減じる、あなたたちのために、愛する者たちよ、私の手は、語られていたほど強くは振り下ろされないだろう。あなたの時代の咎はいまだに大きく、その罪は数え切れない、その罪悪は深刻なため、木々は実をほとんど実らせていない。ぶどうの木にぶどうがないと驚くのか? 果実の木に実がないと驚くか? もはや緑の葉もないと? 花を咲かせ、よい香りを放つのをやめたと? それは、私の園を灌漑する泉を敵が毒し、わずかに残る実も干からびてしまったゆえ。一輪ずつ花を根こそぎにするのを私は見た、蝮のように邪悪で二心あり、私の聖所に夜忍び込んでは、怖れもなく忌むべき意向を明かしていく、しかも悪人どもの巧みな煽動に、誰もその悪行を拒絶しない、

けれど主よ、あなたが見ておられると彼らは知っているでしょう!

彼らは、私の掟に反逆する、反逆者たち、聖書に書かれてあるのはこういった人びとのこと: 「彼らは私の民の傷を心を込めずに手当てする。平和、平和と口にしながら、平和がない、恥らいも愛も持ち合わせていない、心がないのだ」 しかし私のひと息で、この反逆者たちを打ち倒し、偽りの高座に自らを据えたあのカインたちを打ち滅ぼそう。彼らの高座は、私にとって何の役に立つというのか? 私は警告してきた、だが警告すればするほど聞くのを拒んだ、私のほうを向き回心しないですむように。数世紀に渡ってこのカインたちは棄教を押し進め、悪行の手を緩めようとしなかった、彼らは幻想と偽りにしがみつき、私に献身的な者たち、私のペトロに忠実な者たちを踏みにじる、そう、ペトロをいまだに信じる人びと皆を、彼らは嘲笑う。これらのカインたちは私の教会を傷つけるため、私の目は泉のように涙を流している、昼夜となく嘆き続け……。

わが神よ、なんと辛い……あなたの定めは素晴らしいのに。どうして主にこのような仕打ちをする人がいるのでしょう? あなたの定めは私の永遠の遺産、ああ、限りなく愛すべきお優しい、主よ、他の人びとがあなたの掟をおろそかにするため、私も目から涙が溢れてきます。

だからこそあなたたち*にこうした弱い、つまらない、軽蔑すべき愚か者と呼ばれる人びとを送っている、私は自らを賢いと呼ぶ人びとを辱めるつもりです、不意を突かれ、自分の名も出身も分からなくなるほどの混乱に陥らせよう。愛する者よ、もう休みなさい、あと少し時間をともに過ごしたいと思っている、あらゆる危険に対して目覚めていなさい、信仰のうちにしっかりと立ち、行うすべてが、愛をもってなされるように、あなたを祝福する、「私たち共に」?

永遠に、わが主よ。

来なさい、私の聖心のうちに憩いなさい。そこはあなたの家

* 急に、火による清めを思い浮かべました。

あなたの単純さで私を夢中にさせなさい

1989年7月7日 ノート34

あなたへの従順をお教え下さい、あなたは私の神でいらっしゃり、私を教育しておられるお方ですから。この追放の身のさ中、霊がくじけてしまいそうで、慰めも感じることができません。主よ、私の懇願の声をお聞き下さい。どこにおいででしょうか?

花よ、あなたに平和、そばにいる、これからはもっと信じてほしい。私はあなたの教育係りではないか? 心配は要らないだろう? 安らかでありなさい、私はゆるしを与える者。私への忠実に留まり、あとは任せておきなさい、私のパンも私の愛も、決して拒まない、互いに労り合い、しばしば私に向かって祈りなさい、たとえほんの一瞬でも、私はあなたの前にいつもいて、道案内する唯一の者、私と手をつないでいるのだから、心安らいでいなさい。あなたが貧しいのを知っている、しかし私は無限の富ではないか? 心配は要らない、あなたの必要を整えるのは私、闇の中に置き去りにするとは、一瞬たりとも思わないように。あなたの燭台に油を注ぎ、たえず養い続ける、小さな者よ、私はあなたの世話をしている。絶え間なく祈りなさい、最後まで私をあなたの教育係りにさせなさい。あなたの愛で私を愛撫し、あなたの祈りで私を飾ってほしい、その単純さで私を夢中にさせるがよい、私を探し求めるなら、心の単純さのうちに私を見いだそう、私を熱望しなさい、私に飢え渇き、愛ゆえに愛をもって、倦むことなく宣教するように、主である私はあなたを嫉妬深く愛している。私の聖心のうちに留まっていなさい。私の聖心はあなたの魂に欠けているすべてを与える。私は愛の源であるゆえに、こうした愛を求める。愛が皆を愛している。