1986年9月のメッセージ

私は光

1986年9月20日 in ノート1-6

1あなたに平和があるように。

一緒にいてもいいですか?

よろしい、あなたは私と一緒にいる。私は光。

おそばにいてもいいですか?

あなたは私のそばにいる。私のうちにいる。私は光。

私を守ってくださいますか?

あなたは私に守られている。

頼ってもいいですか?

頼ってよい。

信仰を守るため、あなたの力が必要です。

あなたにはその力が与えられている。

あなたの愛が必要です。

あなたは私に愛されている。
 私は光、すべての人に見えるように輝いている。恐れることはない、私の道はまっすぐだ。この道を通れば私のもとに来ることができる。私と出会い、私だと分かるだろう、私からは平和と愛が輝き出ているから。
 私のもとに来なさい。私が見えるか? 声が聞こえるか? 恐れないように。闇の中にただ立ちすくんでいてはいけない。見なさい、あなたの足は癒やされている、また歩くことができる、分かるか、視力も回復している2。私があなたを癒やした。あなたの恥をぬぐい去り、罪を洗い流した。私のもとに自分の足で歩いて来なさい。あなたの目で私を見、あなたの信仰で私と出会いなさい。私はあなたのあがない主。私はあなたの平和。私、イエスはあなたたち皆を愛している。

私はあなたのあがない主

1986年9月27日 in ノート1-6

あなたに平和があるように。ヴァスーラ、私のもとに来なさい、私はあなたのあがない主、あなたの平和。この地上で肉体をとり、あなたたちの間で生きていた。私は神の子。私のもとに来て、頭をもたせかけなさい。私はあなたの慰め主。みじめな気持ちになった時は、私がそばにいることを思い出しなさい。
 一緒にこの祈りを唱えよう。

御父よ、私を助け、いこいの牧場に導いてください、
そこにはれることのない清い水が流れています、
私の光となって、あなたの道を示してください。
あなたと共に、あなたのかたわらを歩きます。
私を照らしてくださるあなたと、共に語り合います。
御父、愛する神よ、あなたの平和を保ち、あなたの愛が感じられるように、
私のうちにとどまってください。
御足の跡をたどります。
あなたと共にとどまります。
私を照らし、愛し、共にいてください、
今も、そして永遠に。
アーメン。

(この祈りを教えるために、イエスが来てくださいました。)

私は道である

1986年9月28日 in ノート1-6

(今日イエスは、鮮明な幻(知性で理解できる幻、ビジョン)を与えてくださいました。それは、私がどことも知れない所におり、誰もいない沼地のような場所で、私の霊が迷子になっているような光景でした。枯れた木々の間から、私を捜しておられるイエスの姿が見えました。)

私はここにいる。私はイエス。あなたを見つけた。おいで、帰り道を教えてあげよう。私の声を聞きなさい。私、イエスは道である。道に迷ったと感じたら、いつでも私を呼びなさい。あなたのもとに来て道を示そう。私は道。

神である私は存在する

1986年9月30日 in ノート1-6

娘よ、あなたに平和があるように。

どうかイエス様、あなたを感じて書くこと1ができるように、私を照らしてください。

ヴァスーラ、口先だけの呼びかけは無意味だ。

(自分の過ちに気付きました。愛を込めず、よく考えもせず、心から感じようともせずに、これをイエスに願ったからです。今度は言葉の一つひとつに心を込め、私の魂をイエスに向けながら、もう一度繰り返しました。)

今のように私を感じながら2、呼びかけなさい。神である私は、感じている。すべてを感じている。呼びかけには魂の深みからの愛がなくてはならない、私を求め、愛し、ひと言ひと言心を込めて呼びかけなければならない。神である私は、存在し、感じている。口先だけの呼びかけは、どれも地に埋めておいた方がましだ。口先だけの言葉は墓場のうなり声。神である私は、存在し、感情を持っていることを覚えておきなさい。私の子どもたち皆が、私を喜ばせながら働いてくれるように願っている。