1990年8月のメッセージ

目覚めて祈りなさい──祈りなさい!

1990年8月1日 in ノート44

(聖ネクタリオ修道院)

私の主、聖なる真理の霊よ、
ここに偶然いるのでないのを知っています。
聖なる真理の霊、
以前も道を案内し、今もそうしてくださいますお方、
ここに住んでおられる
二人の修道女にどう話せばよいのでしょう、
彼女たちのために何ができるでしょうか?
まず聖書を通してお話し下さい。
必ず答えをお与え下さると信じています。

(任意に聖書を開くと、ローマ書 6・1-21に目が行きました)

「教会の奉仕者、私たちの姉妹をよろしくお願いします。あなたは聖なる人びとにふさわしく、主と結ばれたものとして、彼女と仲間を迎え入れ、あなたの助けを必要とするなら、どんなことでもして助けてあげてください。(仲間とともに、祈り、私への賛美、償い、禁欲や犠牲を通して)多くの人びとの恩人であるからです2

私はしばしば眠らずに働いて労苦した。愛の欠如に飢え渇き、しばしばひもじい思いもした。愛の欠如で寒さに震えている、そこで私を読む人びとは、私の面倒を見てくれるか? 仔羊たちの面倒を見てくれるか? 構わないでくれ、そこまで出て行って与えることはできない、と言ってはならない!

(あとは再びもとのように、イエスはメッセージを続けられました)

今日は私を読むあなた方に言う、この家の必要を満たす誰であろうと、私の祝福を与える。あなたの行うすべては、最も小さなことであろうと、私のためにしている。では祝福を受けなさい、私の声を聞き、御父のみ旨を行う人びとは。こうして、誰であろうとこの家の必要を満たす人びとは、天の御父より大きな報いをいただく。ただし何らかの困難や問題をそそのかす者たちには警戒していなさい。避けるように。与えている平和と呼応してすべてを行いなさい、愛のうちに愛ゆえに、すべてを行いなさい。私が頼んでいるのは愛だけです、これをいつまでも覚えておくように。

イクトゥス

主よ?

私である、私のヴァスーラ、こうしたやり方でともにいるのが嬉しいか?

はい、とても、主よ。み名が賛美されますように。

もっと祈りなさい。これが私の勧めである、あなたの祈りをたえず待っている。絶え間なく祝福を送っている。

(イエスは次に、聖書を任意に開いて、示されるところを書くようにと求められました)

誘惑に陥らないように、目を覚まして祈りなさい。

(これはマタイ26・41からでした)

主の広大な力が私には必要です。

聞くように、祈りなさい。眠ってはならない。

黙想のうちに御顔を仰げますか?

祈りなさい

(祈りました)

もう一度私に祈りなさい。

あなたの霊に
私の霊を一致させてください。
アーメン。

(イエスはただちに祈りの糸口をお与えくださいました、主がお望みの祈りを。書き取らせなさったと思います)

私の子よ、まこと愛する者よ、あなたのためにしないことがあろうか … あなたを育てあげた、そこで今は、誰のものであるかを悟りなさい。幸せであるように!

幸せ以上です。

ではそれを表しなさい! あなたの口を開こう、そうすると、話すであろう。3

私たちのために狐を捕らえてください、
今や花開こうとしている
あなたの葡萄畑を荒らしている者たちを。

栄えある玉座がもう非常に間もなく降って来る。彼らの4隠れ家を暴き、その種族はと絶え、全滅しよう。清算する時が近づいている、見ていなさい … 豊かな食物によって地上を新たにし、私の残された人びとをよいもので満たそう。永遠の愛をもって愛している、そしてあなた方に対する愛は不滅である。私を読む人びとよ、鍛錬を許しなさい、そしてもし私を受け入れるなら、連れて帰り、あなたを養子にして、私の掟を教えよう。母親に慰めてもらう子どものように、あなたを慰めよう。

愛は愛を欲する、ヴァスーラ、私を見ながら使徒信経を唱えて、私を喜ばせなさい。

はい、私の主よ。

聴いている。

(祈りました)

それでよい! 来なさい、「私たち、共に」?

はい、主よ。「私たち、共に。」

預言

1990年8月4日 in ノート44

花よ、あなたに平和があるように。

──火、義が、間もなく降って来る──教会は生き返ろう。地上は炎に包まれるであろう。

イクトゥス