私は不和の神ではなく、平和の神

1991年9月30日 ノート54

あなたの愛とご慈悲ゆえに
み名を感謝します。
迫害者、偽りの証人や、
悪口に囲まれていますが、
あなたは私を生かし、
立たせてくださいます。
私の食卓を満たし、
限りなく母親のように、
手ずから私を養ってくださいます。
ああ、主よ、私を憐れんで下さい。
ときどき耐えられないほど多くの困難に出会います。
そしてあなたがおそばでなかったなら、
私は駄目になっていたでしょう!
私は兄弟たちの間に完全な平和を望んでいます。

あなたに平和があるようにと言う! 立ち上がり、私のしもべ1を呼びなさい! 私は争いではなく、平和の神、そしてあなたに私の心を与えた。誰も騙されてはならない。遺恨にいつまでもこだわり過ぎるなら、私の心も、寛大に与えた恵みもすべてを取り上げよう。私の僕が愛をもって協力し、この罪にこだわるのをやめなければ、私の好意をすべて取り上げよう。分裂させる者を真似た態度を決して取ってはならない。

私は、非常に壊れやすい、一致という宝を与えようとしている。この宝を守るようにしなさい。

イエス様?

私である。

私に満たされた小さな者よ、あなたなら私を見捨てない。私は今もこれからも、いつまでも傍らにいる。私を決して祝さない者たちに代わって、私を祝福しなさい。怖れずに、疑うことなく、私を顕わしなさい、そうするなら地獄はもはや支配できない。私を愛撫し、そう、顔をのぞき込んで、言いなさい、「イエス、愛しています、あなたは私のいのち、微笑み、希望、歓び、私のすべて。祝福をお受けください」。

来なさい、私の心に憩い、私もあなたの心に憩わせてほしい。

聖ミカエルの祝日

1991年9月29日 ノート54

(聖ミカエルの祝日)

(聖ミカエル)

あなたを愛しています、神の子よ。私に信頼しなさい。

(主)

私の心の中で憩いなさい、私、主は、あなたを祝福する。来なさい、私の心はあなたの休息の地。

’91・9・23

1991年9月23日 ノート54

一日中、ため息ばかりついています。ヤハウェ、愛しいお方、お示し下さった愛を忘れることができません。—決して。—あなたのご親切は、私のヤハウェ、愛しいお方、一生覚えているでしょう。来る日も来る日もあなたへの愛に焦がれ、あなたを傷つけるこの世には、もう付き合いきれません。私自身があなたを傷つける最初の者だと分かっていますし…… 私の魂はあなたのすべての不思議を世に宣言し、丘々の頂上までこの足で駆け上がり、世界に向かって叫びたいのです。
「あなたの創り主があなたの夫となられる!
そのみ名は万軍の主。
そう、捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように
主はあなたを呼ばれる。
若い時の妻を見放せようかと
あなたの神は言われる。」(イザヤ書54・5~6)
それでも畏れるべき方、ああ、私のヤハウェよ、私のアッバ、愛しいお方。私の魂はあなたの家を切望し、思い焦がれているのです。
今の私の願いは、あなたと共にいること。
そこでどうして私の霊が悲しんでいるかを尋ねないで下さい。
私のため息はあなたに隠されたものでなく、ため息の理由もすべてご存知ですから。
私の魂はお待ちしています、私のヤハウェよ、
来て、私を虜にしてください。
おいで下さり、私を焼き尽くしてください。

ヴァスーラ…… 隠れないでほしい、私の子よ1 …… エジプトの娘よ、私は多くの国民を試す者としてあなたを任命した、あなたは私にとって尊い者。誤解しないでほしい、あなたを必要とはしない、この仕事に欠かせないわけでもない。しかし無に過ぎないあなたを選んだのは、私の誉れとなり、あなたを清めるためだ。その上、私のものはすべて、あなたと分かち合いたいからだ。私のメッセージを宣言するのを恐れないでよい、私の聖霊があなたを私の言葉で満たし、あなたは堂々と私の言葉を宣言しよう、そこで、私が送る人びとのもとに行きなさい。あなたを見捨てない、人が住まわなくもさせない、私の聖霊が道を案内し、助言者となる。私は収穫の刈り入れを始めたばかりだ…… 私と一緒に刈り入れなさい…..、あなたはこの収穫の種を蒔いてはいない。私があなたのうちにすべての種まきをした、そして今やあたり一面に、それをまきたい。もう収穫の準備が整ったゆえ、私と刈り取ることだけを頼んでいる、私の娘よ。犠牲として援助の手をのべなさい。多くを求めてはいない……
……何が見えるか、娘よ?

2

御子の、苦しみで喘いでおられる、聖なるお顔。そのお顔は聖骸布にあるようです。

あなたの時間とエネルギーをわずかでも犠牲にする理由が、これだけでも十分あるのではないか?
もう一度見なさい、娘よ……、今度は何が見えるか、ヴァスーラ?

やわらかな赤い雲が空をおおっているようです、私たちの上を霞のように漂いながら次第に空を埋めていきます、ゆっくりですが、確かな足取りで。

書きなさい。「それは闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。強大で数多い民が山々に広がる曙の光のように襲ってくる。このようなことは、かつて起こったことがなく、これから後も、代々再び起こることはない。」(ヨエル書2・2)
そう、その日は迫っている……、何が今度は見えるか、ヴァスーラ?

生きた人間の松明が。

私がまさに創造した魂たちを、注意深く見なさい…… この者たちは決して私の準備した部屋に到達しない。サタンの権力下にあって、私の王国もその栄光も分かち合うことがない。彼らは破滅に向かっている…..、言いなさい、私の愛、私の栄光と王国を与えようとしなかった魂があるだろうか?

—いいえ、主よ。

しかし彼らは私を愛さないと決め込んで、サタンに進んで従った。自分の自由意志で、私たちの一致の絆を断ち切った。今再び見なさい、ヴァスーラ、何が見えるか?

ああ、主よ、白い小さな岩に腰掛けておられる婦人です。その後ろ姿が見えます。黒い服をお召しで、頭も黒い長いスカーフで覆っておられ、悲嘆にくれたご様子です。ご心痛のあまり腰をかがめ、膝の上に顔を隠しておられます。──この方に近づいていく自分が見え、婦人は顔を上げられます、そして私も涙が溢れてきました。イエスの御母、私たちのお母様。お顔は青ざめ、目に涙をいっぱい溜めていらっしゃいます。私をご覧になると、左手をのばされ、私の腕を取られました。

地のもといは揺れ動く

1991年9月11日 ノート53

(10年前の同じ日に予告されていたアメリカ同時多発テロ事件)

主よ、私は天を臨み、天のことを探し求めます。平和を感じて歓びが湧くよう、み顔を探し求めます。観想の祈りができますように、み顔を探し求めます。

そして私としては、私の目で今日の世界を見おろし、国々の間をたずね歩き、魂を次々と調べては、温かみ、寛大さと、愛が少しでもないかと、探し求めている、だが極めてわずかな人しか、私の好意に浴していない。ほんのわずかしか、わざわざ聖なる生き方をしようとは思っていない。しかし日々は過ぎ去り、大いなる裁きの日まで時間は数えられている。私の町々1は娼婦の町になってしまった! 無惨にも! 悪魔たちの要塞と化し! 中は、虫に喰われて、腐り果て! 毒蛇とサソリの隠れ家になっている! 私の清めの火をこれら反逆の徒に、どうして吹きかけないでおられよう?

(イエスは突然声の調子が変わられ、数秒間をあけて、私を畏怖させるような重々しい調子でこう言われました)

──地上は震えおののこう──

そして塔のようにそそり立つ悪は、どれも崩れて塵の山となり、罪咎のほこりの中に埋もれよう! 天上では、天が揺さぶられ、地の基も揺れ動く! 御父のみ手が冬に下されないように祈りなさい。

島々、海と大陸は雷鳴と炎を伴い、思いがけない時に私の訪れを受ける。私の最後の予告の言葉を注意して聴き、まだ時のあるうちに耳を澄ましなさい。私たち2のメッセージを読み、天が語っている時は、もうこれ以上軽蔑して耳を貸さないままではいないように、声を低くするなら、私たちの声が聞こえてこよう

判断を下す前によく考えなさい。聖霊の御わざを批判する前に、さらによく考えなさい。聖霊をあなどり、おおやけに冒涜する者は誰も容赦しない。義によって黄泉の国に落とされよう。

私の聖なる顔を探し求めて皆天をあおぎ、観想しなさい! 目を天に上げるなら滅びない。

悔い改めなさい! そして御父に思いとどまっていただくよう願いなさい。間もなく、あとわずかしたら、天は開いて審判者をあなたたちに示そう。