1990年5月のメッセージ

私の家を訪ねて来なさい 大棄教

1990年5月12日 in ノート42

イエス様?

私だ、あなたに平和。ヴァスーラ、明日私の教会であなたの足音を聞かせてほしい。首を長くして待っている。……あなたと一致するこの時のために、私ほどにあなたも待ち遠しいか? ヴァスーラ、1 ……私に書かせなさい、愛している。私に答えたいとまだ望んでいるか?

はい、主よ、ギリシャ教会に参ります。けれど言葉の問題がいつもあるのです。司祭の仰しゃることにほとんどついていけません。

しかし私がそこにいて、心のうちで話すのを聴いている。私に話しかけなさい……さあ、これを聞きなさい。会うのを楽しみに待っている友達を訪ねて行くとしよう。友人に会った時、遠くに立ったままでいるだろうか? それとも近づいて温かく接吻して挨拶するだろうか? 次に、ともに腰掛けて話すのではないか? それとも座ったまま黙っているだろうか? もちろん話すに決まっている! 私の家を訪ねて来る時は、私にもこうしてほしい。会うたびに、あなたが心をはずませているのを感じたい。心を込めて話すのを聞かせてほしい、あなたの神、私に話すとは、祈ることである。そうするなら、あなたの口もとに、私の耳はぴったりと引き寄せられ、一言一言を蜜の雫のように受け取るであろう。さて娘よ、それから私にとって偉大な瞬間が訪れる、非常に待ち焦がれている瞬間でもある。ゴルゴダで私自身をあなたに与えた瞬間だ。私が生けにえとなる聖なる時、あなたが贖われ、あなたと一致する聖なる時。私を食べ、私を飲むように、二人2を待っている。祝福を与えよう、私の子よ。こうした愛のひと時、聖体拝領(領聖)のひと時を拒まないでほしい。

わが主よ、主をたたえます、神に栄光、主は祝福されますように!

あなたに平和。小さな者よ、私を喜ばせ、識別しなさい。ともに過ごすこのひとときは、私にとって喜びの瞬間である、乾いた土が喜び迎える雨のように。あなたの声を聞くのを喜んでいる。 ……3

与えたものを取って読みなさい。……言いなさい、このすべての試練があっても幸せか?

はい!

花よ、花びらの一枚がちぎれたなら、必ず別の花びらが取って代わるようにする。私の光で茎を強くする、私があなたをいかに守り、丁寧に扱っているかが分かったなら……疲れている時は依りかかりなさい、休ませてあげよう、来なさい。

イクトゥス

(しばらくして)
(シオンの北部にある、レンズのためのメッセージ)

あなたたちに平和、愛する子どもたちよ、ここで皆が私の愛のうちに一致しているのを見て、私の心は歓び歌う。皆の祈りは私の耳に楽の音のように響いてくる。私のもとに来なさい、私の霊であなたの霊を満たそう。ありのままのあなたでやって来なさい、あなたを引き上げ、聖化しよう、愛する人びとよ。

今日は十字架上から聖性を呼びかけている、私が聖であり、あなた方も聖なる生活を送るようにと、皆に気づかせるために、地上の隅々にまで私の声を響かせる。

ああ、世代よ……どれほどあなたが弱いか私が知らないと思うか? あなたたちの世代は私の目に不快な、私の思いとは異なるさまざまな像を造り出した。あなたたちが造り上げたこのバビロンに私は降り、ほとんどの被造物が囚われているのを見い出した。そう、悪魔から神不在の精神、合理主義と非道を養われ、虜になっている。私にこのすべてが見えないだろうか? 諸聖人の嘆願が私の耳に届いて、今や私は火がついたようになり、もはや長くは待たないと言っておく。この暗闇の中にあなたたちを長くは置いておかない。私は戻って来る、もうしばらくすれば、世は私を再び見るであろう。そうだ、愛が降って来て、あなた方のただ中に住まう。

だが、あなたたちの木々が立派に枝を広げ、葉が生い茂り、幹が太くなり、空の鳥たちが枝に巣をつくり始める前に、そして乾いた土を灌漑する川を私が張り巡らす前に、天から清めの火の柱を送り、皆を清めるつもりだ。死者が死者を喜ぶ日は死に絶え……この清めの後には、一つの言葉、愛と呼ばれる私自身の言葉を、あなたたちは話しているであろう。神の愛、私はあらゆる悪と邪悪さを取り除くつもりだ。それゆえこの時代には、太陽と月と星に私の覆いがかけられる。太陽は暗い雲でおおわれ、月は光を放たなくなるであろう。私は天空に与えられているあらゆる明かりを暗くし、国々を暗やみで覆う。こうしてバビロンは悪との親密さを断つであろう。彼女はその後、私の愛の掟を取り入れる、棄教者たちを私が炎のうちに焼き尽くすのだから。あなたの時代が、私の大いなる愛を認めず、聖なる名を汚したとすれば、それは私の聖櫃の中心にまで浸透した大棄教のためである。

今日は、世代よ、いまだかつてないほど惜しみなく、私の恵みの霊が助けに訪れている、見たであろう? 私は、国々と、あなたたちを甦らせ、私の炎を運ぶ生ける祭壇にしようと考えている、私の聖性の霊、類い無く、霊妙で、汚点のない清らかな霊が、あなたたちのうちに息づくようになるのだから。その後、地上の至るところに送り出したあなたたちは、私の無限の愛を宣べ伝えるであろう、そして私を愛しているあなたたちに約束する。世界全体を覆う暗闇の日々に、あなたたちを安全に保ち、私の聖心の深淵に閉じ込めておくと。私が共にいよう。

だが、私の祭壇を破壊し、足蹴にするために時間を使うすべての者たちは悲しいかな! 私の預言者たちを殺す者たちは悲しいかな! この魂たちは悲しいかな! 黒い獣に従う者たちは悲しいかな! 私の預言を拒んで、軽蔑し、無視するすべての者たちは悲しいかな! この暗闇の日々に私を呼ぶであろうが、私は答えない……私の五つの傷は大きく開いて、もとのように、再び血が噴き出している。悔い改めよ、世代よ、悔い改めなさい……口を開いて話す前に、よく考えなさい。

頭ではく、心で私を探し求めなさい。あなたの神、私に倣い、私の足跡につき従うように。話す前に自らこう問うてみるがよい、「この場合、キリストはどう仰しゃっただろう?」あるいは「この場合、キリストはどうなさったであろう?」口を開く前によく考え、口を破滅の原因とはさせないように、霊に過ちを犯させてはならない。私を真似て、私の象りの全き反射となりなさい。

ふさわしい祈り方ができないとしても、私の霊があなたに代わって祈る、分かったであろう? あなたを決して見捨てない …… 私の大きな愛が分からない時でさえも、私の聖なる名ゆえに、あなたを引き上げようとして、一層身を低く屈める。そして愛を込めた親切心から、罪を赦そう。私を呼び求めて口を開いた瞬間、飛んで来て、あなたの口元に耳を当てる …… そしてあなたが口にする一言一言は心を慰め、私を歓びで満たす。

心から立ち帰り、祈りを私のもとに、届かせなさい、それは「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではなく、天におられる私の父のみ旨を行う者だけが入る4」からだ。だから愛を込めて話しかけなさい、そうしたら聞いていよう。愛を込めて与えなさい、そうするならあなたを認知しよう。愛を込めて祈りなさい、天の扉が開いてあなたを受け入れよう。愛をもって行いなさい、あなたに向かってこう言えるように。「あなたは私のもの、私の種、父のもとに来なさい!」

私は愛である、そこで愛のうちに生きる人は誰であろうと、私のうちに生きている。そして私もその人のうちに生きている。私の王国に入れるように、天の御父のみ旨を行いなさい。

いのちの木の根源は愛だと覚えておきなさい。もっと心から祈るように、私の子たちよ、そして私の耳があなたの口元近くにあると安心していなさい。あなたを祝福し、一歩一歩に祝福を与える。愛が愛している。私の現存を覚えておきなさい。額に愛のため息を残してゆく。一致するように。

イクトゥス

(しばらくして)

人は軽薄となり、堕落してしまった……その愚かさを断念しさえするなら …… 祈りなさい、娘よ、しかし堕落したとしても、私は彼らを愛している、その萎え衰えた様子に涙を流している……

(先ほどイエスのお言葉を書き取っていました。終わった後、急いでほかのことをしに行き、祝福も賛美もしませんでした。罪深くも、なんとなくイエスの神性を忘れ、メッセージを書き取らせている普通の人間のように、接してしまったのです。とても恥ずかしかったので、飛んで帰り、赦しを願いました。このすべてをおっしゃった時は、穏やかなうちにも悲しみをたたえ、まるで驚かれていないご様子でした。)

癒やしの祈り

1990年5月14日 in ノート42

主よ、あがない主よ、私の祈りを聞いてください。
聴いてください、限りなく慈しみ深い主よ。
私の祈りは本当にちっぽけで、
私は貧しく足りない者ですが、ここにいて、
この砂漠から助けを呼び求めます。
主は私たちに何が足りないかをご存知です、
そして死に瀕している者の嘆願をいつも必ず聞かれます。
祝福を一ついただくだけで、主よ、
彼らは癒やされるでしょう!

私はあなたをエジプトから連れ出した者、口を開きさえすれば、それを満たそう、そしてあなたの兄弟皆に対しても同じようにする。

イクトゥス

天におられる御父に向かって、このように祈ってください

1990年5月15日 in ノート42

(レンズとシオンのための聖母からのメッセージ)

あなたたちに平和。子どもたちよ。私、聖なる母は、あなたたちが主にお会いするための準備をしています。あなたたちの霊的な成長のために教育しています。あなたたちを助け、力づけようと、恵みで覆っています。あなたたちの生きるこの時代は特別な日々であると悟ってください、主の到来に先立つ日々であり、主が来られる道を開くための日々です。この時代はあなたたちの王が降って来られる準備の時代です。全ての人々の準備が整っているように祈りなさい、聞くのも見るのも拒む魂のために、熱心に祈ってください。私の小さな子どもたち、天におられる御父に向かって、このように祈ってください。

限りなく慈悲深い御父よ、
あなたのみ声を何度聞いても
決して理解しない人々が、
今度こそあなたのみ声を聞き、
至聖なるお方、あなたであると理解しますように。
あなたを何度見ても
決して気づかない人々の目を開いてください。
今度こそ彼らの目で
あなたの聖なるみ顔とあなたの栄光を見ることができますように。
彼らの心にあなたのおん指を当ててください。
彼らの心が開かれて、あなたの誠実さを理解しますように。
このすべてを祈り求めます、
まことに正義なる御父よ、
あなたの愛する御子イエス・キリストのおん傷を通して、
すべての国々が回心し、いやされますように。
アーメン。

聞くのも見るのも拒んでいる強情な魂たちをおゆるしくださるように、御父に願いなさい。御父は限りなくいつくしみ深く、ご自分の子どもたち皆に目を注いでくださるでしょう。そうです、小さな者たちよ、兄弟の救いのために祈る時、あなたたちは神の御前に香の香りとなっているのです。一生懸命祈れば祈るほど、それだけその祈りは強力なものとなります。あなたたちを招き、恵みによって主の呼びかけを聞かせてくださった主に感謝しなさい、そして聞くのを拒む者たちのために祈りなさい。

時が迫っているにもかかわらず、多くの者たちはいまだに気づかず、深い眠りに浸っています。日々は過ぎ去り、私の心は今日の若者たちを天上から見ていて、深い悲しみに沈んでいます。愛が欠けています。……けれど、彼らは愛と出逢ったこともないのです。母親に与えるものがなかったため、彼らの多くは、そのぬくもりや愛情さえ受けたことがありません。世は冷淡になってしまいました、氷のように、そして両親は互いに歯向かい、子どもは愛情の不足から両親に歯向かいます。子どもが愛を乞うても、母親はそれを拒んでしまいます。世は愛に対して死んでいます、憎しみ、貪欲と自己本位が地球全体をその中核まで支配しているため、深い暗闇の中にあるのです。この暗い世の中の罪、そして聖櫃そのものの中に浸透していった棄教、こうした恐ろしい光景に私は身震いしています。災難、飢饉、不幸、戦争や疫病、このすべてはあなたたちが引き寄せたものです。地上から来るすべては地上に戻ります。地上は自らを破壊しているのです。そして多くの人はそう信じがちですが、この全ての災いのもとは神ではありません。神は義なる方で、慈しみに満ちておられます、けれども悪が悪を引き寄せるのです。

一生懸命祈りなさい、あなたの時代の回心と救いのために、心から祈りなさい。私の子どもたちよ、あなたたちの祈りが必要です。祈ってください、それを神に献げましょう。どこへ行こうと、必ず一緒にいます。私の子どもたちであるあなたたちから決して離れません。皆に祝福を与えます。

天の御父のみ旨を行う人は幸い

1990年5月16日 in ノート42

あなたたちに平和。主である私は開かれた心を訪ね、皆を悪から救い出す。あなたたちは恵みの時に生きている。私の霊は全人類に注がれるだろうと言った。疑わずに、私の恵みの聖なる霊を受け入れる人びとは幸い、心の貧しい人は幸い、神の国は彼らのもの。心の単純な人は幸い、英知が自らを現す。天の御父のみ旨を行う人は幸い、私の王国の扉が開いて、彼らを受け入れよう。みことばを運び、聖霊によって与えられた私のメッセージを広める私の光の器は幸い、あなたたちの多くの罪がゆるされよう。

来なさい。

イクトゥス