1986年のメッセージ

私はあなたの教師

1986年10月22日 ノート1-6

神である私は、喜んであなたをそばに置いてあげよう。娘よ、愛している。私への信仰を持ちなさい。二カ月もしないうちに、私の言葉をはっきりと聞き分けることができるようになる1、あなたが望んでいる支えを与えよう。私の目的はあなたを教え導くこと。あなたは二ヵ月も経たないうちに大きく成長するであろう、それが私の意志なのだから。私はあなたの教師。私の教えるすべてがあなたの魂を照らすであろう。私のそばにとどまりなさい。ヴァスーラ、みじめさを感じたときはいつでも私のもとに来なさい、慰めてあげよう、あなたは私の愛する者だから。私はどの子にも決してみじめな思いをさせたくない。彼らは私のもとに来るべきだ、そうするなら私が慰めよう。

あなたの能力の限界は十分に承知している

1986年10月16日 ノート1-6

あなたに平和があるように。愛する者よ、休みなさい。それ以上自分に仕事を課さないように。あなたの神経がどれほど張り詰めているかが分かる。

あなたの現存を感じました! 御自身の現存を強調されましたか、イエス様?

そうだ、あなたが理解できるように現存を強調した。ヴァスーラ、あなたの能力の限界は十分に承知している。

(その日は非常に疲れていました。でも読んだり働いたりするのがやめられなかったのです。どこにいてもイエスの現存が感じられました。イエスは何かを伝えようとされていました。)

私は平和である

1986年10月10日 ノート1-6

私は光。私、イエスは、あなたに注意しておきたい。どんなことがあろうと、悪霊が仕組んだわなにかかってはならない。あなたを不安にさせるようなメッセージは決して信じないように。悪霊がなぜあなたを止めようと必死なのかをよく理解しなさい。娘よ、以前の私のメッセージ1を非難するようなメッセージは、どれも悪から来ている。悪魔はまたしてもあなたを阻止し、断念させようとしている。私、あなたの救い主は、ここではっきり確認しておきたい、愛と平和の呼びかけを携え、道に迷った人々を私のもとに立ち帰らせるメッセージは、どれも御父と私から来る。だから気を落とさないように、私への信仰を持ちなさい。覚えておきなさい、あなたの心を不安にさせておくようなメッセージは一切信じてはならない。私は平和である、だからあなたも心穏やかでいるように。

私は手が届かない存在ではない

1986年10月5日 ノート1-6

(「神を体験した」という多くの人々の報告が載っている本を読んでいるのですが、この人たちのほとんど全員が、その体験は神からのものではないから忘れるべきだと「専門家」たちに言われています。神から来るそのような体験は、高潔な魂だけが経験するもので、そういった経験をする人は高潔でなければならないと。自分はそのような者ではないし、善良さからは程遠い人間だということも分かっているので、神と共に書くという、このような神との接触はやめようと決心しました。すべてのことに「見切りをつけて」しまった方が良さそうでした。この専門家たちは、神に到達するためには聖人でなければならないと言っているように思え、神はとても遠くにおられるのだと私に信じさせました。そこで、私はこのすべてをやめにして、最後にもう一度だけ、これまで何ヵ月にもわたって書いてきた「力」に手を委ね、それに書きたいことを書くに任せました。)

ヴァスーラ! 私を置いていかないでほしい、愛する者よ、私に呼びかけ、私から学び続けなさい。私がいつもそばにいることを忘れないように。神である私は、あなたの中に生きている。私を信じなさい、私は全能者、永遠の神である。

いいえ。そんなはずはありません。神であるはずがありません。そういうことに詳しい人たちが、神ではないと私に証明してみせるでしょう。神は、清くふさわしい魂にしか、そのようなお恵みをお授けにはなりません。

私は人が触れることのできないような遠い存在ではない! ヴァスーラ、私は誰も拒まない。私のもとへ来るようにと、子どもたちに与えている私の支援を止め立てする者を皆、私はとがめる。私と共にいるため、あるいは私に受け入れられるためには、清くふさわしい人でなければならないなどと教える者は誰であれ、私の教会を傷つけている。私を見つけたのに、他の者に妨害される人がいるなら、誰であろうと無限の力である私が支え、力を与えよう。なぜ、どうして、専門家と称する者たちに、私であるか否かを判断させなければならないのか。この者たちがあらゆる可能性を禁じ、私の子どもたちを慰めもなく助けも得られない幻滅した状態に置き、私の恵みを無視して、子どもたちを私から引き離すのを、どうして許しておかなければならないのか。なぜ、私が与える恵みはどれも拒絶されるのか。私が与えた恵みなのに。私は無限の富である。
 娘よ、あなたがようやく私を見つけた時、私は喜びにあふれた。あなたが怖がって逃げてしまわないように慎重に接した。幼子おさなごを扱う母親のように、優しく接し続けた。私があなたを近づけたのだ。あなたに呼びかけ、あなたと出会い、あなたをそばに引き寄せ、あなたに私の持っているものをすべて分け与えて、私は喜びに満たされていた、愛する者よ。それなのに今度は、私から離れたいと言いに来たのか。神である私は、手の届かない存在であり、私に到達することができるのはふさわしい魂だけで、自分はその水準に達していないという話を聞いたからか! 私はどの魂も拒まない。最もみじめな魂にさえ恵みを差し出す。
 私を喜ばせ、このようにして私と出会いなさい。娘よ、あなたを祝福する。あなたを教え導いている。あなたは私から食べている。ヴァスーラ、今日はペトロの手紙一を読みなさい。注意深く読みなさい、あとで説明してあげよう。第一章を読みなさい。信仰を持って生きるように。ペトロは信仰を持つようにと教えている。

(イエスは「信仰」という言葉によって多くのことを分からせてくださいました。人は信仰によって山をも動かすことができるのです。言い換えれば、人は盲目的に信じなければならないということです。)

 

神である私は存在する

1986年9月30日 ノート1-6

娘よ、あなたに平和があるように。

どうかイエス様、あなたを感じて書くこと1ができるように、私を照らしてください。

ヴァスーラ、口先だけの呼びかけは無意味だ。

(自分の過ちに気付きました。愛を込めず、よく考えもせず、心から感じようともせずに、これをイエスに願ったからです。今度は言葉の一つひとつに心を込め、私の魂をイエスに向けながら、もう一度繰り返しました。)

今のように私を感じながら2、呼びかけなさい。神である私は、感じている。すべてを感じている。呼びかけには魂の深みからの愛がなくてはならない、私を求め、愛し、ひと言ひと言心を込めて呼びかけなければならない。神である私は、存在し、感じている。口先だけの呼びかけは、どれも地に埋めておいた方がましだ。口先だけの言葉は墓場のうなり声。神である私は、存在し、感情を持っていることを覚えておきなさい。私の子どもたち皆が、私を喜ばせながら働いてくれるように願っている。

私は道である

1986年9月28日 ノート1-6

(今日イエスは、鮮明な幻(知性で理解できる幻、ビジョン)を与えてくださいました。それは、私がどことも知れない所におり、誰もいない沼地のような場所で、私の霊が迷子になっているような光景でした。枯れた木々の間から、私を捜しておられるイエスの姿が見えました。)

私はここにいる。私はイエス。あなたを見つけた。おいで、帰り道を教えてあげよう。私の声を聞きなさい。私、イエスは道である。道に迷ったと感じたら、いつでも私を呼びなさい。あなたのもとに来て道を示そう。私は道。

私はあなたのあがない主

1986年9月27日 ノート1-6

あなたに平和があるように。ヴァスーラ、私のもとに来なさい、私はあなたのあがない主、あなたの平和。この地上で肉体をとり、あなたたちの間で生きていた。私は神の子。私のもとに来て、頭をもたせかけなさい。私はあなたの慰め主。みじめな気持ちになった時は、私がそばにいることを思い出しなさい。
 一緒にこの祈りを唱えよう。

御父よ、私を助け、いこいの牧場に導いてください、
そこにはれることのない清い水が流れています、
私の光となって、あなたの道を示してください。
あなたと共に、あなたのかたわらを歩きます。
私を照らしてくださるあなたと、共に語り合います。
御父、愛する神よ、あなたの平和を保ち、あなたの愛が感じられるように、
私のうちにとどまってください。
御足の跡をたどります。
あなたと共にとどまります。
私を照らし、愛し、共にいてください、
今も、そして永遠に。
アーメン。

(この祈りを教えるために、イエスが来てくださいました。)

私は光

1986年9月20日 ノート1-6

1あなたに平和があるように。

一緒にいてもいいですか?

よろしい、あなたは私と一緒にいる。私は光。

おそばにいてもいいですか?

あなたは私のそばにいる。私のうちにいる。私は光。

私を守ってくださいますか?

あなたは私に守られている。

頼ってもいいですか?

頼ってよい。

信仰を守るため、あなたの力が必要です。

あなたにはその力が与えられている。

あなたの愛が必要です。

あなたは私に愛されている。
 私は光、すべての人に見えるように輝いている。恐れることはない、私の道はまっすぐだ。この道を通れば私のもとに来ることができる。私と出会い、私だと分かるだろう、私からは平和と愛が輝き出ているから。
 私のもとに来なさい。私が見えるか? 声が聞こえるか? 恐れないように。闇の中にただ立ちすくんでいてはいけない。見なさい、あなたの足は癒やされている、また歩くことができる、分かるか、視力も回復している2。私があなたを癒やした。あなたの恥をぬぐい去り、罪を洗い流した。私のもとに自分の足で歩いて来なさい。あなたの目で私を見、あなたの信仰で私と出会いなさい。私はあなたのあがない主。私はあなたの平和。私、イエスはあなたたち皆を愛している。