1987年4月のメッセージ

十字架を分かち合う

1987年4月7日 ノート10

(この導き全体が私を圧迫して、ことが私一人の上に重くのしかかり、荷を降ろす場所がどこにも見つからないかのように思われました。どうしたらいいのでしょう? 言葉にできないほどの無力さを感じました。そして独りで、たった独りで、この重荷を背負っていたのです。)

ヴァスーラ、私があなたを見捨てたりするだろうか? 私は神である。私にり頼みなさい、私を信じなさい。

分かっています、ええ、でも私の能力を超えるときがあるのです。それはどうしようもありません。責任を感じています。

私の子よ、忍耐しなさい、私に信頼するように、私のもとに来なさい、あなたを慰めてあげよう。

あなたを愛します、お父さん、言葉に尽くせないほどに。

(主がどれほど慰めてくださろうとしておられるかを感じました。)

娘よ、愛している。
 私の苦しみをあなたに感じさせよう。私の十字架刑が近づいたら、あなたのもとに来て、私の釘といばらの冠を預ける。私の十字架を与えよう。愛する者よ、私の苦しみを私と分かち合いなさい。あなたの魂は私のもんを感じるだろう、あなたの手足は私が受けた拷問の痛みを感じるだろう。ヴァスーラ、愛している、あなたは私の花嫁なのだから、私の持っているものをすべてあなたと分かち合いたい、私を信じなさい、あなたはやがて私の所に来るだろう。ヴァスーラ、恐れなくてよい、なぜなら私、イエスがあなたと共にいるのだから。
 来なさい、あなたは私がどう働くかをその都度理解していくであろう。私の平和を保ちなさい。愛する者よ、あなたのために場所を用意している。

復活祭の2週間前

1987年4月6日 ノート10

(復活祭の二週間前)

ヴァスーラ、私の苦難に向けて準備しなさい。あなた自身を私に献げなさい。私の痛みを感じるだろう。私の十字架刑のためにあなたを準備している。私は苦しむが、あなたもその苦しみを共有する、愛する者よ、あなたは私のもんと傷を感じるだろう。共に苦しんでくれるか1? さあ、お互いの心の中で憩い合おう。

造られた者よ、私の光のうちに生きなさい

1987年4月5日 ノート10

ヴァスーラ、あなたを限りなく愛している。あなたに私の心臓を感じさせることで、私の愛を感じさせよう。

私の手を主の胸に当てました。すると主の心臓の鼓動が感じられました。

私の心臓の鼓動一つひとつが、一人ひとりの魂に対する呼びかけである。
 私の愛する者たちが私の声を聞き、私に近づいてくれるのを待ち焦がれている。今日、私に対するあなたの愛のエッセンスを取って、それを一人の魂を癒やすために用いよう、ヴァスーラ。

それを感じました……

被造物よ、私の光の中で生きなさい1

愛しています、主よ。

婦人よ、私の中で生きなさい2

あなたをもっと愛することを教えてください。

愛する者よ、来なさい、私の心3の中にあなたを隠させてほしい。私と共に働きなさい、書くことに決して疲れてはならない。私の現存を忘れないように。

私の羊たちは散らされている

1987年4月4日 ノート10

(スイスを旅行していた時、人々や、彼らの生活の様子を観察しました。どこでもそうですが、多くの人々が日常の問題を抱えており、他の人より多くの問題を抱えている人々もいます。たくさんの人々が不満を抱いており、もがき苦しんでいるように見えます。神が私に近づいてくださる以前には、全く気付きませんでした。)

そうだ、ヴァスーラ、あなたにこのすべてを見てもらいたい、よく見て、彼らの言うことをすべて聞いてもらいたい。私の羊たちが話していることを聞き、見守りながら、私は悲嘆に暮れている。彼らはどうして私を忘れてしまったのか、私は彼らの慰め主だというのに。私には彼らを慰めることができ、彼らも私の方を向くことができる。

(この時、話しておられるのがヤハウェなのか、イエスなのか、どちらだろうと考えていました。)

ヴァスーラ、私は一つ、唯一1である! ヴァスーラ、私はあなたにいのちを与えた神である。私の言葉を証明した。肉の姿をとって地上に来た。私は唯一。あなたを祝福する、ヴァスーラ。聖なる三位は一体である。私は唯一2

(ちょうどこのことについて、司祭に教えていただこうと考えていたところでした。)

私と共にいれば学ぶだろう。

(しばらくして)

娘よ、この世が私に対してどれほど無関心になってしまったかを知ったら、私の苦渋が分かるだろう。私のあわれみの杯は満たされ、義の杯も満たされている。彼らは私を深く悲しませ、苦渋を与え、改革3を行い、私と私のおきてに反逆している。私は変わることのない生ける神である、ところが私の民は怖いもの知らずになってしまった。私に挑み、私を怒らせる! 私にとって彼らを創造したことは喜びだった、なぜ私に反逆しているのか? 誰を頼りにしようとしているのか? 私は苦しい。彼らはどこに向かっているつもりなのか? 私の体は疲れ果て、傷ついている4、私の体には休息と癒やしが必要だ。

教会のことをおっしゃっているのですか、主よ?

そうだ、私の体は教会である。ヴァスーラ、私の教会を一つにまとめたい。私の司祭たちを一つにしたい、一つの軍隊のように、救いの軍隊のように。私の羊たちはちりぢりにされてしまった、すべての司祭たちは一致しなければならない。

私の神よ、私個人はギリシャ正教徒として洗礼を受けました。あなたは誰のことをおっしゃっているのですか、主よ? カトリック信者、あるいはプロテスタント信者のことでしょうか? あるいは他の諸教派の信者のことでしょうか? それとも他宗教の人々のことですか? あえてこうお尋ねするのは、それらが実際に存在するからです。

ああ、ヴァスーラ、ヴァスーラ、私は唯一である。神である私は、唯一。私の子どもたちはすべて私の手によって造られた、その子どもたちがなぜ、皆ちりぢりになってしまったのか? 私は一致を切望している5、私の子どもたちが一致することを望んでいる。私は唯一の神であり、彼らは聖なる三位が一体であることを理解しなければならない! 聖霊、聖なる父、そして独り子イエス・キリスト、この三位が一体であることを6。ヴァスーラ、私にり頼みなさい、私から学ぶように。

私の神よ、光についてはどうでしょう?

私が光である、私は唯一7

私は愛に渇いている

1987年4月3日 ノート10

あなたを見守っている。私たちは一つに結ばれていることを覚えておくように。私はヤハウェ、あなたを愛している、

私も愛しています、主よ!

私から食べなさい。あなたたち皆を愛している。私の地上の王国は、天のそれと同じようになると私は言った。すべての悪を根こそぎにし、私に敬虔に従う者たちをより強めるであろう。私はヤハウェ、私の言葉は揺るぎない。小さな子よ、恐れるな、私が導いているのだから。私はいと高き者。人類すべてに私のパン1を与え、そうして彼らの飢えを満たそう、だが、彼らからも愛を返してほしい。私は愛に渇いている。彼らに伝えなさい、知らせなさい、私の唇がどれほどカラカラに乾いているかを。

(主を識別しました。主の現存ははっきりしていました。主の唇は乾き、ひび割れ、水膨れができていました。唇が乾いていたためはっきりと発音できず、話すのが難しそうでした。荒れ野で何日間も水を飲まずに過ごした後のようでした。とても痛々しいお姿でした。)