日: 1987年9月7日

私は戸の前に立っていて、扉を叩いている

1987年9月7日 in ノート15

娘よ、あなたに平和があるように。これからもう一度言う私の言葉を思い出しなさい、今こそ、特に思い出すように。

 「主である私は、戸口に立って、たたいている。誰か私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私は中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、私と共に食事をするであろう。勝利を得る者を、私は自分の座に共に座らせよう、私が勝利を得て、私の父と共にその玉座に着いたのと同じように。耳ある者は、聖霊が諸教会に告げることを聞くがよい。」

 娘よ、彼らに伝えなさい、彼らに伝えなさい。私の言葉を忘れてしまった彼らに、私の言葉を思い出させなさい。

イエス様、お助けください。

いつでも助けてあげよう、ヴァスーラ。

(ほっとしました。)

主よ、感謝します。

信じることも恵み

1987年9月7日 in ノート15

平和があなたと共にあるように。

またあなたと共に、主よ。

花よ、私を吸収しなさい、私の光があなたを照らすようにさせ、そしてあなたの心配事が小さくなっていくように。私の息がそれらを吹き飛ばすと、その骨組みは倒れ、一掃して、あなたにほほ笑みだけを残す。私の正義のしずくがあなたを飾るであろう、花よ、今日の私のメッセージを受けなさい。恐れないように、あなたが生まれるはるか以前から計画を立てていたのだから。

それはつまり、私にであれ、あなたのメッセージにであれ、皆に対してであれ、何が起こるとしても、すべてあなたの御意志だということでしょうか?

そうだ、愛する者よ、何が起こるとしても、それは私から来る。

あなたを裏切ってしまうのではないかと心配です、主よ。

私の計画をどうやって裏切るというのか、考えてみなさい、あなたは無である。無である者が、どうしたら何者かになれるというのか、しかも、たとえなれたとしても、私の計画を裏切るほどの者に? だがあなたは無だ、だから心配することはない。すべてを私の手に委ねなさい。ヴァスーラ、私はあなたの師である。私と共にいるときは恐れないように

申し上げたいことがあります。どうか聞いてください。

遠慮は要らない。

時折、自分の気が完全に狂っているのではないかと思うことがあるのですが、ご存じでしょうか? 正気ではないというか?

知っている。

でしたら、いずれこのことをお話しする人々のことを考えてみてください! 彼らはショックを受け、自然的な説明を見つけることができると言うでしょう。全く信じようとはしないでしょう。

信じることも恵みである。信仰を持つこともまた恵み、私の天のわざを見て、聞いて、理解することも、すべて私が与えた恵みだ。

はい、主よ。

ヴァスーラ、あなたと共に働いてきた。娘よ、私を尊びなさい。

あなたの助けがあれば、裏切ることはないでしょう。

では、私の母からのこの言葉に耳を傾けなさい。

ヴァスーラ、pethi 1、恐れないで、私が共にいます。私の息子イエスは、あなたが求めた証拠やしるしに対して、はっきりと制限をお与えになりました。でもそれには理由があるのです。それでも、イエスはあなたに信じる恵みをお与えになり、知恵によって教え導かれました。ヴァスーラ、あなたは本当に盲目的に信じてきましたね。

そうでしょうか?

そうですよ、そうでなければ、私たちのもとに来て、書く熱心さはなかったでしょう。自分自身を主のむねのままに使っていただこうともしなかったでしょう。そのようにしたことは、愛しい子よ、あなたが盲目的に信じたことを証明しており、御父はそれをとても喜んでおられます。あなたの信仰は偉大です。イエスはそれを通して、他の人々にも、信仰を持つこと、天のわざを盲目的に信じることを教えたいと望んでおられます、純真でありなさい、神が喜ばれる子どものようでありなさい。

もし彼らがそうしなかったらどうなりますか、マリア様?

あなたの苦しみは非常に大きくなるでしょう2。あなたはイエスのお姿を写す鏡のようになります。子よ、あなたの上に、イエスの苦しみが映し出されるでしょう。

彼らが信じずに軽蔑するなら、イエス様は苦しまれるということですか?

そのとおり。イエスは苦しまれます。あなたの上にイエスの苦しみが現れます。

ですが、主があらかじめご計画を立てておられたのなら、どのような矛盾も起きないように、彼らがそうならないようにすることはおできにならなかったのでしょうか?

子よ、人間はそのように考えがちです。主の教えを忘れないように。イエスは御自身のわざが恵みによって人々に受け入れられることを望んでおられるのです3

イエス様は、誰かが私を傷つけたいと思っているのを目にしたら、そのまま見過ごすことはないとおっしゃいました。

確かにそうおっしゃいました、そして、娘よ、私も言っておきます。そのようなことを私も見過ごすことはないと! 愛しています、彼らがあなたを傷つけるのを私が見ることはないでしょう。

(この時、とても心が打たれました。)

私は臆病者です。怖いけれど、あなたとイエス様にしっかりつかまっていきます。

娘よ、さらにもう一つ教えましょう。神は御自身の義を人類に科されました、主の杯は今やあふれんばかりです。注意してよく聞きなさい、これらの言葉を超えたことがもっと多くあります。神の栄光をたたえなさい、ヴァスーラ。私はあなたの聖なる母です。娘よ、私に頼りなさい。懸命に努力することに疲れないように。覚えておきなさい、イエスは十字架につけられる途上で、誰からも見捨てられてしまったのです。イエスはたった独りで十字架を担われました。

はい、お母さん。主が下さるもの以外は何も求めません。

ヴァスーラ、あなたが差し控えている質問に答えましょう。彼らがまたも信じないのなら、神の怒りは増し、神の義の杯を大きくするでしょう。ちょうど神があなたにお与えになった幻(ビジョン)のようになります4。祈り、償いなさい、時の終わり5が近いのですから。

はい、お母さん。神があなたを祝福されますように。

私、イエスである。小さな子よ、小さいままでいるように。互いに語り合おう。今日という日を分かち合おう。私をあなたの聖なる道連れにしてもらいたい。

主よ、私こそ、あなたと語らせていただいてもよろしいでしょうか。あなたの現存を忘れません。

行こう、私たちで共に。