日: 1987年9月21日

多くの人々を私に連れ戻す

1987年9月21日 in ノート16

私の神よ、誰もがあなたを愛し、あなたの方を向いて、あなたを認識してくれたらどんなにいいでしょう。

ああ、娘よ、私もどれほどそう願っていることか!

(神はそれが起こるのを熱望しておられるようでした!)

あなたが私たちの間に、これほどまでに明らかに現存しておられることに、世の人々が気付いてくれたらとどんなに願っていることでしょう。あなたはどんなに私たちを愛してくださっているでしょうか。私たちは地上をただ通り過ぎていくだけであって、あなたが私たちを待っていてくださることに人々が気付いてくれたらと、どんなに願っていることでしょう。人々が互いに愛し合い、憎しみ利己主義やめて、互いのために生き、互いに思いやり、私たちの父であるあなたを礼拝し、一つになることをどんなに願っていることでしょう。人々があなたのしるしを信じ、あなたのお望みだと考えて、そのしるしを隠してしまうことがなかったら、どんなにいいでしょう。自分がどれほど間違っているかに気付き、あなたの豊かさを理解したなら、どんなにいいでしょう!

ヴァスーラ、それらの望みは私が与えたものだ。それらはあなたのうちに染み込んでいる、私の炎をあなたのうちで燃え立たせ続けよう、祭壇よ、永遠に。この言葉を広めなさい。「主である私は、ガラバンダルの私の子どもたちを祝福する」。

主よ、私にできる範囲で広めます。けれどももっと広めていくためにはルートが必要です。

ヴァスーラ、あなたには証人たちを与えている。

私の友人たちということですか?

他の人々もだ。

教会の人たちですか? 司祭ですとか?

そうだ、ヴァスーラ、彼らがあなたの証人だ。

はい、主よ。

私の言葉をあなたの上に刻みつけさせてほしい。

イエス様、私に思い出せるのは、この啓示があなたからのものだとは全然信じなかったあの方だけです。最初の方です。

分かっている。

でも、なぜ?

彼は賢明だという単純な理由だ。

ああ、私の神よ、私にはあまりに多くの望みがあります!

ただ私に願いなさい。

願うだけですか?

そうだ、愛する者よ、願いなさい。

どんなことでも?

どんなことでも。

私は変化を望んでいます、もっと良い方向に向かうように。私の神よ。彼らの心があなたへの愛で燃え立ち、何十億もの人々が皆ひざまずいて、あなたをあがめ、礼拝することを望んでいます。私が感じているように、彼らにも感じてほしいのです。あなたがどれほど私たちを愛してくださっているか、どれほど私たちのそばにいらっしゃるか、私たちがあなたとどれほど親しくなることができるかを、父であり、友であり、唯一のうちにすべてである神であられるあなたと。彼らにあなたの光を注ぎ、私にしてくださったように、彼らを目覚めさせてくださいませんか? 私がいただいているあなたとの幸せや親密さを、彼らとも分かち合いたいのです。どうか、お父さん、彼らもあなたの子どもたちです。

ヴァスーラ、すべては成し遂げられるであろう。多くの者たちが私のもとに帰って来るように導こう、その邪悪さにもかかわらず、彼らを助けよう。あなたの神と共に懸命に働くことに疲れないように。
 私たちで、共に?

はい、主よ。