1987年10月12日のメッセージ

私は全能 ― 私はある

1987年10月12日 ノート16

(ある方を訪問した際、一冊の科学雑誌を見つけました。それは思考を科学的に解明することを奨励していて、どのような霊的な働きにも反対するものでした。最近では、どのような超自然的な事柄にも「自然的な」説明がなされます。二重人格、ESP(超感覚的知覚)、潜在意識、思考の暗示、催眠状態、あるいは集団催眠、あるいは自己暗示といった言葉によってです。例えばせいこん1関しては、自己暗示として説明できます、つまり、自己強制、統合失調症、あるいは性的コンプレックスによるものだと。人は常に論理的な説明を探したがるようです。今の時代には、イザヤのような大預言者は出なかったでしょう。なぜならこういう人たちのケースも、自然科学のデータファイルに入れられてしまうでしょうから。せいこんを受けた聖人たちは一人残らず、統合失調症、あるいは自己暗示やヒステリーによって自己誘発されたケースとして分類されてしまうことでしょう。私には、まるで人間が神と競争し、神に向かって、あなたは全能ではないと証明しようとしているかのように見えます。)

ああ、神よ、どうしてなのでしょう?

ヴァスーラ、私を信じない人々は無数にいる。

でも、主よ、一つお願いがあります。本気でお願いします。どうかあなたの存在を消し去ろうとする、このような理論や教えを全部打ち砕いてください。あなたの敵です。なぜそれらが増えるままにしておかれるのですか? 打ち砕いてください。そうしなければ、私たちの信仰が壊されてしまいます。どうかそうなさってください2

そうする。聞きなさい、嘆き悲しまないように、決して疑ってはならない、信仰を持ちなさい。書くことに決して疲れないように、愛する者よ。私が来たのはこのためである。あなたが失われるのを見ていられないからだ。もう分かっただろうか、ヴァスーラ。小さな子よ、あなたが倒れるのを見ることは決してない。

他の人たちはどうなのでしょう? 他の人たちが倒れるのも見たくありません。私と同じほどに、彼らのことも支えてくださるよう強く望みます。

ヴァスーラ、私はあなたたち皆を助ける。

(神は喜んでおられるようでした。)

ああ、神よ、あなたにこういったことを要求してしまった私をおゆるしください。衝動的でした。けれども、不正を我慢できません。はっきり言い過ぎてしまう私をおゆるしください。

ゆるそう、子よ。言いなさい。

(私の頭の中には別のこともありました。)

今のままでは、こういう人々は死ぬまで納得せず、せいぜい「説明不可」という項目のファイルに納めてしまうだけで、「そうか、それなら、この件やあの件は、神がなさったのだ」と言うことはないでしょう。

私が彼らを納得させよう。私の力は彼らの力を超えている、私が全能であることをあなたたち皆に示そう。あなたたちがどこにいようとも、私の全能を見て取れるであろう。どの目も否定できず、どの人間もこのしるしが私からのものであることを否定しないであろう3。愛する者よ、その時、彼らの理論は一体どのように映るだろうか4? 彼らの科学者たちはどう感じるだろうか? この者たちの知恵のすべてに一体何が起こるのか? 私の知恵の前では、彼らの知恵がどのように映るのかを彼らに示そう。
彼らが知恵だと信じているものを、私はこの世から消し去る。これが、私の計画を予告するためにあなたを用いて、あなたに私の言葉を刻みつけている理由の一つだ。主である私は、今あり、かつてあり、やがて来る者、私が存在しないなどという判断は、あなたたちに委ねられるのではない。「私はある」。

ああ、私のあがめる、愛する神よ、そのご計画がまさに今、今日、あるいは来週にも実現すればいいのに!

私の計画を実現させる、ヴァスーラ、私が始めたことはすべて、いつも実現させてきたように。
小さな子よ、共に祈ろう、

「愛する御父よ、
あなたを愛し、祝福します、
あなたのあわれみに感謝します、
私を十分にお使いいただけますよう、
あなたにふさわしい者にしてください、
お望みのままにお使いください、
愛しています、
アーメン」。

愛する者よ、あなたを祝福する。私を見なさい。

(見ました。)

ほほ笑んでいらっしゃいますね5

それを書きなさい。

そして、ほほ笑まれるとき、えくぼをお見せになります。

あなたを愛している。

主よ、愛しています。