私はあなたにとって唯一の愛 私の十字架は真のいのちへの扉
1987年11月8日 in ノート18
イエス様?
私である。
もし私が救い出していなかったら、あなたは今日も深く眠り込んだままだったであろう。
とても恥ずかしいです。私は本当に、一番物を言う資格のない者です。主よ、あなたがまたも私のためにしてくださったことに対して、どんな償いと感謝をお献げしたとしても、到底足りません。他の方たちのために祈りたいときでさえ、後ろめたく感じ、ためらわれます。なぜなら、主よ、私よりはるかに良い人たちのために、厚かましくもこの私が、どうやって祈れるというのでしょう? 「最もみじめな者」が、自分よりも優れた人たちのために、どうして祈れるでしょう? ある人の目には丸太があり、もう一人の目にはおが屑があるというあなたの御言葉を思い出します。私の目には丸太どころか、森全体があるように感じられます。この木々全体に目を覆われた私が、一体どうやって、ずうずうしくもひと言発することができるでしょう? 主よ、あなたが私を救い出してくださらない限り、できません。私を洗い清めてくださるように願うのをお許しください。私の魂をあわれんでください。あなたがお望みならば、兄弟たちのために堂々と祈ることができるように、ふさわしい者としてください。
ヴァスーラ、あなたの言葉を聞いて喜んでいる。ふさわしくない者だと自ら気付かないうちは、完徳の道を歩み始めることはできないのだから。
もし御旨でしたら、
御父よ、あなたの御助けを
願うのをお許しください。
娘よ、あなたのともし火に私から補充しなさい、今すぐに。私の光の中で成長しなさい、小さな子よ。このメッセージを信じる者は誰でも、あなたではなく、私を信じることになる。光である私は、あなたを通してこの世に降る、私のメッセージを信じる者が誰も、もはや暗闇にとどまることがないように。あなたの証人たちは真理を知り、これらの言葉があなたの言葉ではないと知っている、そうだ、私のヴァスーラ、書かれたものはすべて、主である私からのものである。はっきり言っておく、あなたを喜んで迎える者は皆、私を喜んで迎えるのである。
いいえ、私の神よ、私はふさわしくありません!
どうしてか、ヴァスーラ、私があなたを清めたのではないか? 私のものとするために、私自らあなたに油を注いだのではないか? まことに、あなたを通して私自身を現していく、だから私を尊びなさい、娘よ。
さあ、私のやり方を教えよう。私とあなた。あなたの中で呼吸させてほしい、あなたの中で休ませてほしい、娘よ。私の魂を傷つける人たちから離し、休ませてほしい。ああ、ヴァスーラ、あなたが知ってさえいれば……。私の血はきょうもまたほとばしり出ている。
ああ、神よ、でもきょうは日曜日です! どうして?
小さな子よ、彼らは私の心を繰り返し繰り返し刺し貫いている。
私の神よ、あなたの代わりに私が刺し貫かれますように!
聞きなさい、あなたもそうされるだろう。彼らは確かにあなたを刺し貫くだろう。さあ、あなたの中で休ませてほしい、娘よ、私の杯を分かち合いなさい。
(どうして、なぜこうなのですか? 一体何が起こっているのでしょう? どうして彼らは、このようなことを私たちの神にするのでしょう? 愛の神、平和の神、父である神、友である神に対して? どうしてそんなことができるのでしょう? 気分が悪くなります。イエス様はきょうもまた血を流され、私たちの邪悪さに苦しんでおられます。この世はいわば、サタンにさらわれてしまったのです。イエス様はもう一度、私たちを救おうとしておられると言えるでしょう。)
私の神よ、あなたがそんなにも傷ついておられるのを感じて、とてもつらいです。あなたは限りなく善良で、果てしなく深い愛でいらっしゃるのに、どうして彼らはあなたを苦しめるのでしょう? あなたが苦しまれることに、私はもうこれ以上耐えられません。ただあなたのお苦しみと、あなたの痛みを気遣います、主よ、あなたのことを大切に思い、愛しています。
ヴァスーラ、私のヴァスーラ、私の魂のいけにえ、私の心のいけにえよ、私の苦しみを担い、私と共に分かち合いなさい、私の杯から飲み、私を鞭打つ者を感じなさい。私の魂に愛された者よ、愛しているからこそ、あなたのためにしないことなどあるだろうか? 私の苦しみを分かち合わせてあげよう。私があなたを選んだ、あなたの心が担えるすべての悲しみによって、血を流す私の心のいけにえとなるように。あなたの心が担えるすべての苦痛や拒絶、あざけりによって、私の魂のいけにえとなるように。さあ、私の十字架を分かち合いなさい。
私はあなたの唯一の愛。私は目標を達成した。私があなたの心と魂の甘美な苦しみとなるようにさせてほしい。私と張り合うものすべてを今や根こそぎにし、何もかもなくなったゆえに、あなたは私を喜ばせている。もう何も残っていない! 私、あなたのイエスだけが、あなたの中に残っている! どんなにうれしいか! 今やあなたを思う存分愛させてほしい。あなたを支配させてほしい。私の偉大さと恵み深さを現す場所を見つけた。あなたが何者かであるから愛するのではない、あなたが何者でもないから愛するのだ。
来なさい、あなたが無であることは私を引きつける、あなたの無力さに私は言葉を失う。
主よ、お恥ずかしいです。
ヴァスーラ、決して何者かになろうとしないように。無のままでいなさい、私が成し遂げようとしている神聖な業がすべて、あなたのものではなく、純粋に私のものとなるために。
私の教会は、一つの権威の下に、一つとなる。私自身がペトロに、私の小羊を養いなさいと頼んだのではなかったか? 私の羊の世話をするよう、私がペトロを選んだのではなかったか? 私自ら、この言葉を発したのではなかったか?
「あなたはペトロ。私はこの岩の上に
私の教会を建てる」。
なぜ、国々の間にこうした傲慢さがあるのか? 人々の間にこうした空しい策略があるのか? 私がペトロを選んだ、私自身の心に適う者、岩、私はその上に私の教会を建てようとした。それなのになぜ、私の命令をゆがめてしまうのか?
誰のことをおっしゃっているのですか、主よ?
私の土台に対して陰謀を企て、策略を巡らしている者たちに言っている、お前たちのたくらみが空しく終わることに気付かないのか?
主よ、誰のことをおっしゃっているのか分かりません。
そう、ヴァスーラ、このすべてはあなたには分かりにくい、だがあの惑わす者たちにとっては、真昼のように明らかだ! 私の目は彼らの上に据えられている。私の剣は持ち上げられ、打つ用意ができている。彼ら自身がそれを知っている、信じなさい、彼らに残された日数は少ない。そうだ、惑わす者たちよ、周囲に目を向けよ! なぜ驚くのか? 私がこの時代に行っていることのゆえに、お前たちは滅びる、お前たちは既にこれを知らされていたと聞いて、耳を疑うであろう!
愛する者よ、あなたの心にある質問に答えよう。私のメッセージは、それらの惑わす者たちにも読まれる。愛する者よ、私を感じなさい。あなたと同じように、私は苦しんでいる。私の十字架があなたの上にある、それを愛をもって担いなさい。私の十字架は真のいのちへの扉である。それを喜んで抱き締めなさい。ヴァスーラ、自己放棄と苦しみは神聖な道へと導く、聖性と徳の道へ1と。
ああ、来なさい、愛する者よ、私があなたと共にいる2。
主よ、ひどく悲しいです。これ以上は涙を流さず、償いのために、後に残しておかなければなならないと分かっています。でももし涙が尽きてしまったら、代わりに血を流す覚悟ができています。
私のヴァスーラ、あなたはこの世に属する者ではないことを覚えておきなさい、あなたは私に属している。私の聖心が見えるか3? この聖心の中に入って来なさい。あなたはその深みで憩いを見いだすだろう。そこへあなたを連れて行き、その深みに投げ込もう。私の痛みは耐え難い4。あなたがほんの小さな子どもだった頃に、私がしてあげたことを覚えているか?
(イエスは、私が十歳の頃に受けたものと同じ幻(ビジョン)を与えてくださいました。初めて呼ばれた時に与えられたものです。)
あなたは身動きできなかった。私は聖なる力である、愛する者よ、あなたはそこに属している5。さあ、来なさい、私は慰めを必要としている。お互いの中で憩い合おう。
(イエスは大きな痛みの中で悲しんでおられました。)
そんなにも悲嘆に暮れておられるあなたを、一体どのようにしてお慰めしたらよいのでしょう?
私を熱烈に愛することによって。私を愛し、慰めなさい、ヴァスーラ。魂を尽くして私を愛しなさい。
心から愛しています。主よ、あなたはご存じです。
限りなく愛しなさい!
限りなく愛することを教えてください。
私はある。さあ、あなたに打ち明けたい秘密がある。恐れないように、あなたの耳元でささやこう。
(イエスが話された秘密は、私にとても大きな喜びを与えてくれました!)
まあ、神様! 本当にそうしてくださるのですか?
そうする、愛する者よ、そうする。決して疑わないように、すべてはそのとおりになる、私のヴァスーラ。
イエス様、私の神よ、ありがとうございます。あなたを祝福させてください。
私もあなたを祝福しよう、愛する者よ。さあ、もう遅い、お互いの中で憩い合おう。
はい、主よ。
では来なさい。