1987年7月のメッセージ

語りかけなさい

1987年7月18日 ノート14

(書く元気がありません。スイスに着いてから体調が良くないのです。最初はインフルエンザ、その後ウイルスが口に感染し――ほとんど何も食べられなくなり――それから脇腹に刺すような痛みが来て、五日間眠ることができませんでした。今も痛みがあります。全身がインフルエンザにやられて、おまけに唇にも感染しました。)

来なさい。教えてあげよう、すべては私から来ている。それらは私の清めだ。
娘よ、あなたを愛している、私がどう働くかを学びなさい。これから、たとえ苦しまねばならないとしても、私があなたを支える。私があなたの面倒を見ている、そしてあなたの魂にどんな汚れが付くことも許さない。私がどうやって働くかを理解しなさい、しかし、私を感じるように私に話しかけて、声を聞かせてほしい、私を覚えておくように。何物も私より優先するのは許さない。私が第一である。あなたの魂を磨いて、黄金のように輝かせよう、さて今度は、あなたを選んだ理由を思い出させよう。あなたを選んだのは、あなたが言葉にならないほどみじめで弱いからだった。私はあわれみの神である。
 さあ、もう働いてよい、ただし、いつも私のことを覚えているように。私はあなたから決して目を離さない。私が話しかけているときは私の唇をよく見なさい。あなたを愛している、来なさい。立ち上がって、私に顔を向け、さあ、声を聞かせてほしい。

(確かに、しばらく神のことを考えていませんでした。国々を移動している間は、他のことで頭がいっぱいだったのです。)

もうしばらくの間だけ、あなたを使わせてもらいたい。

はい、主よ。

私の祝福を受けなさい。

あなたを祝福します、主よ。

私の誉れとしてあなたを生き返らせた

1987年7月13日 ノート14

ヴァスーラ、私を伝える者となるために、教えたように私を愛しなさい。生きている、ついに生き返った! 私はあなたを死からよみがえらせた!

他の人たちはどうでしょう?

被造物よ、他の者たちはまだよみがえっていない。私の愛のしずくが彼らに降り注がれ、私の光が彼らを覆う、そして彼らは生き返るだろう。被造物たちよ、あなたたちを生き返らせよう! あなたを生き返らせたのは、あなたの栄光のためではない、私の栄光のために生き返らせたのだ、

はい、主よ。

小さな子よ、私をアッバと呼びなさい。そう、私のそばにいなさい。決して見捨てることはない。

アルファでありオメガ

1987年7月12日 ノート14

ヴァスーラ、あなたが気付いてくれるとき、私は歓喜する。

(神が本当に共におられ、このような形でコミュニケーションを取ってくださっていることを十分に実感できるときがあります。そのようなとき、私の心は喜び躍ります! それは断続的にやって来ます。ほとんどの場合、気付きはしても、十分にというほどではありません。)

そのことをご存じでしたか、主よ?

知っていた、とてもよく知っていた。ヴァスーラ、ジュアンのことを覚えているか?

 彼を私に結び付けよう。

私の神よ!

私だ。

ジュアンのことをとても思っておられるのですね!

彼は私の愛する魂だ、彼を愛している、私のそばにいてもらいたい、彼を導いて私の偉大なしもべとしたい、ああ、ヴァスーラ! 彼は私のためにどれほど偉大なことができるだろうか!

でも主よ、それは不可能です!! まず第一に、彼はあなたを信じていません。しかも、彼は他の仕事で生活しているのです。

子よ、あなたを導いている者が誰か分かっているか?

はい、私の神よ……

私はアルファでありオメガ、万物の造り主である。ジュアンが何年も前から私を探し求めていることに気付いていたか?

彼がですか? 彼は信じていないと思っていました。

彼はずっと信じてきた、ただ惑わされていただけだ。私は彼を愛している、私を見つけるように彼を導こう。私は愛、愛のもとに彼は来るだろう、私の愛で彼を満たす、私の祝福のすべてが彼を復活させるだろう。

 愛する者よ、もう休みなさい。

主よ、書いている間、ずっとひざまずくことをお望みですか?

望んでいる、私の現存を尊びなさい。

はい、主よ。

すべてがゆるされた

1987年7月11日 ノート14

悔い改めなさい!

私の面倒を見てくださり、ありがとうございます、私の神よ。

(悔い改めました。)

愛する者よ、すべてはゆるされる、私のあわれみとはそういうものだから。
 次の段階に進む前に、気をつけてほしいことを教えよう。目を覚ましていなさい。何よりも私を大切にしなさい。花よ、私の光から顔を背けないように。私を見、私に顔を向けて、花開きなさい!

私は弱いのです。あなたの十字架を担うのがきついと感じるときがあります。

私の残りの者よ、私と結び合い、一つになりなさい。共に、一緒に、私たちで私の教会を復興させよう。

自分と同じように隣人を愛しなさい 私の語彙の中に「運」という言葉はない

1987年7月10日 ノート13

私の花よ、私の体に結び付きなさい、荒れ野で生きるのは困難なことだが、いつでも私の泉へと案内してあげよう、そこであなたの渇きをうるおし、休息を与え、あなたを守ろう。娘よ、私のいけにえとなりなさい、無駄になるものは何もない。私にしっかりつかまっていなさい、あなたは独りぼっちではない、私たちは共にこの荒れ野を渡っている。あなたの上に私の特別なおきてを刻ませてもらいたい。「隣人を自分のように愛しなさい」。

けれど主よ、それは新しいものではありません。以前にもそうおっしゃいました。

あなたたちはそのおきてに従っているか? 聖職に就いている魂は皆、私のおきてに従うことをまだ学ばなければならない、彼らに私の無限の愛から吸収し、互いに愛し合うことを学ばせなさい。
 私を感じなさい、私の体のあらゆる部分が傷ついている、ヴァスーラ。まだ私の望みを最後まで書き終えていない、そしてもっと大きな望みを抱えたままだ! ヴァスーラ、私の望みを察することができるようにあなたを照らしているので、あなたはそれを感じ始めている。私は創造したすべてのものを限りなく愛している。

私の神よ、もしも望んでおられることが「それ」なのでしたら、あなたの地上のくにはまさに、天のくにのようになるでしょう!

あなたは少しずつ理解していくだろう。

イエス様?

(自分の無力さを感じました。あることを主にお話ししました。)

分かっている、だがあなたをここまで導いてきたではないか? これからもあなたに幻(ビジョン)を与え、あなたはそれを書き取る、あなたの神と共にいなさい、その神もまた苦しんでいる!
 被造物よ! 私の創造した者たち! 私があなたたちの神であることを今日は否定していても、明日には私をほめたたえるであろう、私を礼拝し、私を切望しなさい!
 さあ、ヴァスーラ、私が誰であるかを決して忘れないように。私にしっかりつかまり、昨日のように1私に呼びかけなさい、そうすればあなたのもとに駆けつけよう。愛している。私を切望し、私を愛することによって、私を尊びなさい。
 そのような状況のとき、あなたたちのほとんどは私のことなど忘れて、運が良かったなどと言う! 私の語彙ごいの中に「運」という言葉はない! あなたたちを助けているのは私なのだ、被造物よ。

私の奥義

1987年7月9日 ノート13

私の神よ?

私だ。ヴァスーラ、私には、あなたには隠された非常に多くの神秘がある! あなたに明かしたわずかな神秘でさえも、人間的な目で「見られる1」、それゆえ理解されない。脇に置かれるか、誤って解釈されるかのどちらかであろう。私のわざと人間のわざを、一体どうやって比べることができるというのか。科学を天のわざと比べることはできない、それは私と人間を比べたいと思うようなものだ!

 確かに、私のわざはあなたたちには正統でないものに見えるかもしれない、だが私を最も深く悲しませるのは、私自身の聖職にある魂たちが、私のわざを疑っているのを見るときだ、信じるのを拒み、その結果、私をもり立てる代わりに、遠くに追いやってしまうのを見るときである。

 私の被造物たちは砂漠と化し、干上がり、不毛で、愛に渇いている。司祭たちに与えるものがないのでは、私の小羊たちは何を食べたらよいのだろうか?

私は復活した、腐敗したのではない

1987年7月8日 ノート13

主よ、ある司祭が以前、私にこう話したことがあります。あなたが亡くなられて葬られた後、御体が大気中に分解されたため、あなたを発見できなかったのだと。言い換えると、この司祭はあなたのご復活を否定したのです。

ヴァスーラ、彼らは私の言葉をねじ曲げている。私は復活した、分解されたのではない。私の体は復活したのだ。

主よ、あなたは象徴的な意味で語っておられるのでしょうか、それとも、あなたの御体が実際に復活したとおっしゃっているのでしょうか?

子よ、私は文字通りに語った、私の体は復活した。彼らに言いなさい、人間の理解を満足させようとして私の言葉をねじ曲げるのはやめなさいと。
 私は全能である。

(しばらくして)

主よ、私があなたのご計画を遅らせてしまうのではないかと心配です。

働いている者が私だとすれば、あなたにどうやって私を遅らせることができるだろうか?

罪によって、邪魔してしまいます。

しばしば悔い改めるようあなたに求める、私があなたの罪を指摘しよう、あなたには清くあってほしい。

霊的な砂漠

1987年7月7日 ノート13

(スイス)

ヴァスーラ、厳しい試練が待ち受けている1、私の現存を忘れないように、私がそばにいる。
私の天のわざを信じることも私の与えた恵みだ。私のわざは、あなたの目にはかなり伝統からはみ出したものに映るだろうが、私は神である、この私を誰と比べようというのか? そして私のわざを何と比べようというのか?
ヴァスーラ、私の聖職にある魂のあまりに多くが、私のしるしやわざを受け入れないのを見て、私は深く悲しんでいる、私があなたたちの間にいることを世に思い出させるために、恵みを与えた者たちに対する彼らの扱い方を見て、私は嘆いている……彼らは意図せずして、私の体を傷つけている!2 私のわざを受け入れなかった結果、彼らは土地を肥沃にする代わりに、砂漠にしてしまっている!

主よ、彼らがあなたのわざを受け入れないとすれば、何か理由があるはずです!

彼らは霊的に死んでいる。彼ら自身が砂漠であって、自分たちが作りだした広大な荒れ野の中に一輪の花を見つけると、それに向かって走り寄り、踏みつけ、だめにしてしまう。

どうしてでしょうか?

どうしてかと? その花は彼らの荒れ野には不釣り合いだからだ、彼らは自分たちの砂漠が荒れたままであるように念を押している! 彼らには聖性のひとかけらもない、全くだ、彼らには私に献げるものが何かあるだろうか?

守っているのです、主よ! ことがゆがめられないように守っているのです!

いいや、彼らは私を守ってなどいない、神としての私を否定している。私の無限の富を否定し、私の全能を否定し、自分たちを私になぞらえている。彼らが何をしているか知っているか? 無神論を助長し、私をむち打つ者たちを倍加させ、霊的に耳の聞こえない者たちを増やしている、彼らは私を擁護などしていない、私をあざ笑っている! だが彼らが否定しようとも、私は喜んで彼らを助けようとした、彼らも同様に、私の羊たちを助け、養ってくれるようにと。
私を愛しなさい、ヴァスーラ、私を決して否定しないことによって、私を尊びなさい。

あなたを決して否定しません。これらがあなたのわざであることを決して否定しません、主よ。たとえ死ななければならないとしても!

私の優しいミルラ、私の残りの者、私の愛する者よ、私の利益を求めなさい。私の祭壇となりなさい。私があなたのうちで働き、活動することができるように、小さな者であり続けなさい、さあ、共に祈ろう。

「あわれみの御父よ、
あなたの羊たちを一つにしてください、
彼らをもう一度呼び集めてください、
自分自身の不毛さに気付かせてください、
彼らをゆるし、
お望みのとおりに彼らを形造ってください、
あなたのやり方を思い出させてください、
すべての栄光が、あなたの聖なるのうちに、
世々限りなくありますように、
アーメン」。

(神のことを思って悲しくなりました……)

愛する者よ、この世のために、そしてこの世がこうなってしまったことを、深く悲しみなさい。私のうちで休むように。

私はあなたの慰め主

1987年7月3日 ノート13

イエス様?

私だ。
 愛する者よ、私から来る霊的導きは、木の葉にしたたり落ちる露のしずくのよう。
 私はあなたに忠実であることを約束し、あなたも私に忠実であり続けられるよう手を打った、分かるか1
 ヴァスーラ、私のために、私の教会を一致させてくれるか? 私はあなたの目の前にいる、あなたを導くのは私だ、ただ付いて来なさい。私の全教会が一つになることを望んでいる。私の聖職にある魂たちが、以前の私のわざと、私の使徒たちが持っていた単純さを思い出してくれるように望んでいる。初代キリスト者たちが持っていた謙遜と忠実さを。さあ、私の心の最も深い内奥ないおうにある望みを打ち明けよう、その望みをあなたの上に刻みつけさせてほしい、小さな子よ。

(ここで私は、本当に絶望的な気持ちになりました。神は、私に語っておられるように、とても多くの重要な事を望んでおられ、書き記しておられますが、私はそれらの上に座り込んだまま、してしまったように感じました。神が望んでおられることを行っていないように感じます。何も変わってはいないのですから。でも、このことが本当に誰にもあまり知られていないとすれば、どうやって変わるというのでしょう? 私は神に不快な思いをさせ、従わず、神が最も望んでおられることをしていないと感じています。)

イエス様? これらの啓示の写しを百人以上の人たちが持っていますが、それでは十分ではありません!

私だ、平和のうちに生きなさい。私が、私の教会を復興させる。ヴァスーラ、あなたの上に私の言葉を刻み込ませてくれるだけでよい。あなたを愛している、私を愛することによって、私の栄光をたたえなさい。私の教会を一つにするのは私のわざである。あなたは私が言うことを伝えるだけだ、この違いが分かるか2? 私の教会を生き返らせ、あるいは一致させなさいと言うときでも、ヴァスーラ、決してあなたに直接向けられたものではない。学んでいくだろう、これまでも、私のわざの一部を私と共に学んできたではないか?

はい、主よ、学びました。

待ちなさい、今に分かる3
 あなたに一つ尋ねたいことがある。なぜ今、慰めを求めて私のもとに来ようとしなかったのか?
 そう、そのとおり、そうだ。

(ほんの数秒の間でしたが、イエスは幻(ビジョン)を与えてくださり、その背後にある事情のすべてを教えてくださいました。例え話のようなものです。それは子どもと母親の話でした。母親は、子どもの行方が分からなくなって何年も経っています。ついにその子を見つけ、大層喜んで、母はお前を愛しており、お前は私の子なのだから、ほしいものがあるなら、母のもとに来て何でも願いなさいとその子に教えようとしています。その子にとって、自分の母親であり、自分を大切に思っていると言ってくれるこの人に再び順応するのはとても困難でした。頼りにする人が誰もいなかったので、自分の不幸を独りで耐えることに慣れてしまっていたからです。ところがこの子は今回も、この母親こそ自分を助け、慰めてくれる人だということを忘れてしまいました。その幻(ビジョン)とは、ほんの小さな子どもが、またもやすっかりみじめになり、母親を無視して、めそめそ泣きながら家の中を歩き回っているというものでした。母親はみじめな子を見て心を痛め、子の不幸を見ていたたまれずにいます。子がなおも母の所に来ようとせず、母の両腕に飛び込んで愛情を求めようとしないことに心を痛めているのです。子どものみじめな状況と、母を無視する様子まで見て、母親はすっかり打ちのめされています。信頼さえしてくれたなら、その子は母親からどれほど多くのことをしてもらえるか知れないのに!
 ──その子どもは私。母親はイエスでした。
 ──これはすべて、私がメッセージを自分で背負い込み、大した働きもできず、どうしようもない気持ちになっていたからでした。私は忘れてしまおうと、そのまま寝てしまうことに決めました。それでベッドに向かい、忘れるために寝ようとしていました。昼下がりのことでしたが。イエスを思い浮かべましたが、面と向き合うことができないほどみじめな気持ちでした。)

愛する者よ、私はあなたの慰め主! あなたの頭を私にもたせかけなさい、あなたを優しくなでさせ、痛みを和らげさせてほしい、あなたの耳に私の言葉をささやかせてもらいたい。私の心の中には、あなたのための場所がある。他の所で時を過ごさないように。さあ、あなたの場所に来なさい4

私にはできません……

私があなたを持ち上げ、そこに置いてあげよう。