1987年8月のメッセージ

8月

1987年8月10日 ノート14

(昨晩、主に起こされたのですが、主は私に、もう一度最初から自分を献げ直すようにお頼みになりました。私はこう祈りました。

「御父よ、感謝します、
この世の罪を絵に描いたような私に、
御目をかけてくださったことを。
あなたを拒絶した時も
あわれんでくださったことを感謝します。
私への愛に感謝します。
私の罪深さにもかかわらず、
みこころの中へと引き上げてくださいました。
あなたのおそばに、
御足のもとに置いてください。
既にこれをお許しくださいましたが、
それは私にとって過分なお恵みです。
あなたに話しかけることをお許しいただいたのも
過分なお恵みです。
私には何の功徳もありません。
御父よ、私自身を完全に明け渡します。
無に等しい者だと分かっていますが、
この無なる者はあなたのものです。
私を隅に放り投げたくなられたら、
そうなさってください。
踏みつけたいと思われたときは、どうぞそのように。
私に苦しむことだけをお望みなら、苦しめてください。
みこころの中に置きたいと思ってくださるなら、
それはまさに過分なお恵みです。
何をお望みになられようと、主よ、
あなたに感謝し、あなたを愛することしかありません。
人々を助けるために、
私の力が尽きるまで用いたいとお望みならば、
どうぞ用いてください。
十分に用いられるよう、私をふさわしい者にしてください、
私はあなたのもの、あなただけのものです。
みじめな者ですが、あなたを愛しています」。)

(しばらくして)

イエス様?

私だ。ヴァスーラ、八月はあなたに教え始めた月だ。私たち二人の記念すべき月とも言える。喜びなさい! 愛する者よ、私たちの祝いの月だ。あなたに愛の花輪を載せさせてほしい。さあ、私と共に祝おう。今は行ってよい1、だが私の八月を共に祝うために、また戻って来なさい。

(主がこうおっしゃられたので、私は急いで古いノートの写しを探し、八月の日付のところを見つけようとしました。すると、私の天使ダン(私の守護の天使)が私にこう話しかけているところがあったので、喜びで飛び上がりました。「私、ダンは、私たちの父である神と、その愛する御子イエス・キリストと、聖霊の名によって、あなたを祝福します。心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る」。その後、私の天使は私を神に引き渡され、それからはヤハウェが私に教え始められたのです。ダンは次のように言って締めくくりました。「神に栄光、神が私に望まれたすべてのことをやり遂げました」。)
 急いでいとこのところに行き、このことを伝えました。うれしくて空中を飛んでいるかのようでした! 神とお祝いするのです! いとこも喜んでくれましたが、こういうことを理解できない人たちは、私が神と恋に落ちているかのように勘違いするかもしれないから、気をつけるようにと言われました。間違った愛し方をしていると思われるかもしれないと。それを聞いてとても悲しくなり、怖くなりました。果たして、いとこの言っていたことは正しいのでしょうか?

イエス様?

娘よ。

このことで怖くなりました。

分かっている。ヴァスーラ、私の母を迎えなさい。あなたの考えがどんなに間違っているかを分かってもらいたい。
 あなたの神である私を愛するようにと教えた、他の人たち皆にも私を愛してもらいたいのと同じように。私は一年の終わりを祝っている。愛する者よ、平和と愛の娘になってくれるか? 多くの命が憎しみによって奪われていくのを見てきた。私は私の王国を永遠の平和で満たしたが、被造物が平和のために労苦する姿を見ることはないのだろうか?
 小さな子よ、あなたのみじめさ、拒絶、失敗にもかかわらず、私はあなたに近づいた。私は愛の神である。私の子どもたちを愛のまなざしで見守っている。私が救い出しに来るまで、すべての者に私を見分けることができるように学ばせなさい。すべての魂が、恐れることなく私に近づくようにさせなさい。私は愛の父であって、両手を広げて皆を受け止めるということを、すべての魂に知らせなさい。私がどのようにして、石ころをも真実の信仰者に変えることができるかを知らせなさい。私がどのようにして人の魂を解放し、本当の自由を与えるかを知らせなさい。
 ヴァスーラ、あなたを見捨てることはない、それでも恐れるのだから、あなたがどんなに間違っているかを私の母に教えていただきなさい、私はいつもあなたのそばにいよう。私たちで、共に?

はい、主よ。

(理解しました。聖マリアは、これからしばらくの間私に教えてくださり、私の恐れが間違いであることを示してくださるでしょう。
 十日から十四日まで、聖マリアがそばにおられて、私に話しかけてくださるのを感じました。そして私は自分の感情がイエスの感情と同じくらい強くなっていることに気付き始めたのです。私たちの感情は同じでした。)

観想

1987年8月7日 ノート14

イエス様?

私だ。

(イエスは、再び御自身のむち打ちの映像をお見せになりました。御顔の右側が腫れ上がっています。私はまたもや心を引き裂かれる思いがしました。)

ヴァスーラ、あなたたち皆を心から愛している!

急いで、急いでください1……

私の力によって、死者をもよみがえらせよう。ヴァスーラ、先週のメッセージの内容を明らかにしたい。私の光をほんの少しだけ取り上げたのを知っているか? これを感じるか?

感じます。

よろしい。ほんの少しだが、私の光を取り上げることによって、あなたの知性を養う、つまり、あなたが私をさらに追い求めるようにさせ、観想の高みにまで上らせて、知性を生き生きとさせ、開花させて、その結果、豊かな実を結ぶことができるようにするという意味だ。

この段階に導かれるまでは、どうやって私を養っておられたのですか?

あなたの知性の外側の部分を使って導いた。あなたをより高い黙想の段階に進ませたい。ヴァスーラ、進歩しなければいけない。このわずかな変化によって、あなたの食べ物を豊かにしているだけだ。このことをあなたに明らかにしておきたい。あらゆる点であなたを離脱させると言ったが、覚えているか?

ええ、おっしゃいました、主よ。

離脱した今、あなたのいろいろな能力を生き生きとさせよう。

以前おっしゃっていた洞察のことでしょうか?

そうだ、あなたの洞察、この霊的な恵みを与えることによって、他の人々を助けるようになるだろう。

どうやって他の人たちを助けるのですか、主よ?

私の子どもたちのことが分かるようになり、その結果、彼らを助けられるようになる。こうして私の光をわずかに取り上げたからといって、見捨てられたとは受け取らないように。そうではない、ヴァスーラ、あなたの魂を聖性へと進ませているだけだ。

主よ、あなたに教えていただいたことを何もかも失って、オールもないまま後ろ向きに流されているボートのようになって、恐ろしかったです! パニックになりました!

ヴァスーラ、あなたを清めなければならない。魂が清められるとき、その魂はひどい恐れと苦悩の中を通る。だが、こう言っておこう、私に思い焦がれることによって、あなたの心は、この祝福にまで引き上げられたいと望むようになると。

どの祝福ですか?

観想だ。自分自身をすっかり私に与えて、あなたの愛が完全さに達することを望んでいる。

イエス様、私の魂はあなたに思い焦がれています。

小さな子よ、私もあなたに思い焦がれているではないか?

私たちで、共に2。さあ、共に行こう。

(イエスが二つのことを同時に教えておられるのがようやく分かりました。観想することと、洞察を持つことです。
 7月26日、神はまるで、この変化を待っておられたかのようでした。なぜなら、その翌日には既に、主の御光がわずかに取り上げられたように感じたからです。私はパニックになりました。私は欠点も多く、罪でいっぱいなので、私の魂はすぐにその理由を探し始めました。主の光を少しばかり取り上げられるほど、主を怒らせてしまった罪はどれなのか、探し始めたのです。主のお気持ちを害してしまったのでしょうか? それとも、ひょっとしてこんなことを私にしているのはサタンなのでしょうか? どちらにせよ、こういう状況だからこそ、より一層私の救い主にすがり付き、いつもよりもっと祈り、もっと黙想し、与えられたすべての恵みを全部使って、主の現存を感じ、今まで以上に主に話しかけ、主の現存を決して忘れず、これまでにないほど一生懸命働くべきだと思いました。そうすれば、もしサタンの仕業であれば、サタンは腹を立てて逃げていくでしょう。ですから、サタンが憤り、私を放って逃げるようにしましょう。また、もし神からであれば、信仰のテストですから、私は優秀な生徒として合格したいです。主にほほ笑んでいただきたい。
 ところが数日経ったのに、何の変化もありません。私は力尽きてきて、またパニックを起こし始めました。それで、もっと熱意と信仰心を込めて主にお仕えしようと試みました。けれど、それもどういうわけか、何の助けにもなりません。少なくとも私自身はそう思いました。すると、私の救い主であり師であられるお方が、何が起こっているのかを説明してくださいました。主が私をお見捨てになったと思った時、主は私を清めておられたのでした。黙想のより高い段階へと引き上げ、私の知性を発達させ、かすかな3光を注いで、洞察を養ってくださっていたのです。)

サタンの力に牛耳られている魂たち

1987年8月5日 ノート14

イエス様?

egho imei1;

このお恵みに感謝します。他の人々を養うためでもあると分かっていますが、私にもいただけるのですから。

永遠に至るまで、あなたと私は共にいる。ヴァスーラ、知恵ある者は聖霊から来るものを理解しない、と言わなかったか? 哲学は霊性とは比べものにならない、決して。これが、権力ある者や自分自身を知恵者と呼ぶ者が皆、あなたをあざ笑ったり、ばかにしたり、意気消沈させたり、詮索したりする主な理由の一つである。だから心の準備をしていなさい、愛する者よ、おおかみたちがあなたをしつこく追いかけようとするだろうから。恐れなくてよい、私があなたのそばにいよう。

(ため息をつきました。)

ヴァスーラ、すべては過ぎ行く影でしかない。気を落とさないように。あなたのそばにいてあげよう。

(そして、捕囚の地に出されるには自分がどれほど向いていないと感じていたかを思い出しました。そしてそれがどんなに嫌なのかも。以前の生活では楽しいと思っていたことが、今では苦痛でしかありません。そういったことがもう好きになれないのです。耐えられません……私ははみ出し者です。)

分かっている、私にり頼みなさい。

(自暴自棄な気持ちになりました。)

ヴァスーラ、ヴァスーラ、違う、これらの地上の事柄を以前ほど楽しめなくなったのは、それが私の意志だからだ。それらの地上の事柄にとらわれないでほしい。

イエス様?

私だ。私の両手をよく見なさい。ほら、ヴァスーラ、血を流している。ヴァスーラ、私の教会を生き返らせなさい。私に耳を傾けなさい、血がこんなにも私の両腕に流れ落ちるのを見たか? 私は苦しんでいる。

主よ、なぜこのすべてをお見せになって、私に苦痛をお与えになるのですか?

(この光景はあまりに鮮明で、書いているこのノートの上に主のおんが落ちて来るのではないかと思ったほどです。)

あまりにも多くの魂がサタンの力に牛耳られているのを見て、私がどれほど苦しんでいるかをあなたに理解させるためだ、愛する者よ。最後まであなたを使わせてほしい。

あなたを愛しています。

私と共にいなさい。「私たち」、いつもあなたに思い出させよう。「共に2」。私を愛しなさい。

苦しみの恵み

1987年8月4日 ノート14

(スイスに戻りました。)

(自分が思ったことが現実に起きているので、恐ろしいほどです。これが先週、神がおっしゃっていた洞察というものなのでしょうか?)

私の神よ?

私だ、愛する者よ。

私はあなたを正しく理解しているでしょうか?

理解している! 愛があなたを作り変えようとしている、すべての苦しむ人々の苦悩を正確に映し出し、反射する鏡へと。あなたは、彼らの苦悩や苦しみを自分のことのように感じられるようになるだろう。
 どんな苦しみについても、それを耳にしたり、目にしたりするとき、あるいは誰かが大変な痛みを経験しているとき、その苦しんでいる人と同じだけの痛みを感じることができる恵みを、主である私が与えよう。こうしてあなたは人々の傷の中にすっかり入り込み、彼らの気持ちをはっきりと理解できるようになる。
 ヴァスーラ、愛する者よ、私が与えているこの洞察によって、あなたは彼らを大いに助けることになるだろう。彼らが苦しむとき、あなたも苦しみなさい。もしもあなたが彼らを拒むなら、いつでも私が思い出させてあげよう、彼らの苦しみを分かち合いなさい。

ああ、私の神よ、私の体はその一切を受け止めることができるでしょうか? 私の霊が恐れているということではありませんが、私の肉体は弱いのです……

覚えておきなさい、最後の時まで、私はあなたの魂と肉体に十分な力を与える。私を信じなさい、これは恵みである、小さな子よ。私が愛するほどに、私の子どもたちを愛しなさい。私の反射となり、私と彼らに一致するように。あなたを愛している、崇高な神の愛によって、あなたにこの恵みを与えている。疲れないように、さあ、あなたに私の釘を与え、私の愛を注ぎ込もう。あらゆる苦しみを感じなさい。娘よ、私のためにこのすべてを行ってくれるか?

はい、私の神よ、それがあなたのお望みでしたら。

来なさい、愛があなたを教え導く。

(そうではないかと思っていました。その理由はこうです。
 三日前ですが、テレビのニュースで、地下に閉じ込められて亡くなった二人の子どものことが報道されていました。子どもたちとその両親をかわいそうに思いました。両親のために祈りました。その翌日には、カナダの竜巻のことが報道され、おびえた人々がまだ恐怖から抜け出せないまま、竜巻のことを話していました。その晩、彼らのためにも祈りました。気の毒には思うのですが、自分のことのようには感じませんでした。すると突然、神が、刺し貫くような光を私に投げかけられました。光線が私の胸を刺し通し、背中から抜け出ていくのを感じたのです。それは私を焼き、水を飲みに駆け出したくなるほどの苦しみを与えました。まるで炎に包まれたようでした! そして、しばらくして眠りに就くと、私がどう感じるべきだったかが分かるような鮮明な映像を、神がお見せになったのです。夢の中で、私自身の息子が亡くなっていました。苦しくて目が覚め、そのひどい苦しさがまだ残っている間に、すぐに子どもたちを亡くしたあの両親のために祈るよう、神は命じられました。私はあの子どもたちが自分の子であるかのように、熱烈な祈りを献げました。そして眠りましたが、神はすぐにまた、私自身が竜巻に飲み込まれる映像をお見せになったのです。死ぬほどの恐怖を味わいました。神にまた起こされ、これを経験した人々のために祈りなさいとおっしゃいました。悲惨な状況のイメージが鮮明に残っていた中で、私は熱心に祈りました。)