あなたたちは棄教によって教会を裏切った 大いなる回心 幼子のような愛の言葉
1988年8月16日 in ノート27
主よ?
私です、決して疑わないように、私、イエス・キリストです。私の十字架の上からあなたを呼んだ、教会の頭である私を今日、どのように見いだしたらよいかを示すため、苦しみの中から呼んだのです。御母の腕の中に死んで横たわる私自身の像*は、あなたたちの棄教によって教会がどう裏切られたかを皆に示す一つの象徴です。
娘よ、知っての通り、私は今の教会の正確なイメージを見るようにあなたを導いてきた。あなたは御母の悲しみの表情を見た。そしてその腕に私の屍を見た。裏切られ、傷つけられ、鞭打たれ、十字架に釘付けられ、槍に貫かれて、そしてこれは今日の教会の姿そのもの。御母はこの教会の上に血の涙を流しておられる。ゴルゴタで私の体を抱いて泣かれたように。しかし、もう間もなく教会は新たにされ、変容し、甦る。主なる私が、復活させられたように。教会はもはやこのように悲しむべき姿のまま、留まってはいない。敵は私の神殿を破壊した。しかし上から降った私の力と恩寵によって、主なる私は、たった三日のうちに私の神殿を建て直した。私の教会は生き返り、私自身が変容させられたように、教会をも新たにし、変容させると約束する。私は神殿を建て直し、完全さがその腰布となり、忠実さがその帯となる**。そして清さがその松明となり、私の名を冒瀆したすべての人を導き、その光の中で清める。そして主の中の主、小羊である私は、教会の中に生きるゆえ、復活のあとで私が弟子たちに迎え入れられたように、教会は自らの者たちに受け入れられよう。その後、子どもを慰める母親のように、私もいっそうあなたたちを慰める。大きな愛をもってあなたたちを私の腕の中に抱きしめよう。
ああ、愛する子どもたち、あなたたちの住まう新しい天と新しい地、いのちの木の実によってふたたび豊かとなる地球を準備している。その木の根*は愛であるゆえに、実は平和、聖性、そして愛という名を持つ。あなたはその時、最初の聖霊降臨の時のように聖霊に満たされて、神である私に顔を向ける。私の霊はあなたを愛で満たそう……私は私の園を美しく飾り、花床に水を遣り、正義の露を降り注ぐ、愛する者たちよ、そして私の光はあなたたちの茎を力づけ、規律を輝き出させよう。
勇気を、娘よ。勇気を、愛する者たちよ。荒れ野で生きるのは大変だと知っている。しかしこうした時代の終焉は間近い、清めるために間もなく、私は降って来る。主なる私ははっきりと言う、あなたたちを不意に襲い、その上に私の光を導こう。天は地を揺さぶり、私を愛する者は皆栄光を称えて膝を屈め、多くは私を思い出して私のもとに立ち帰る。これは教会の大回心として知られよう。
しかし、非常に悲しいことだが、私の聖なる名を冒瀆し、敵の側で戦う頑なな魂たちは、さらにいっそう私を拒もう。こうしたことが起きる時、サタンは彼らを襲って、永遠の火の中へと引きずり込むだろう。ヴァスーラ、私の聖心を感じなさい……これをあなたに告げざるを得ない私は、人間の言葉の及ばないほど苦しむ。私は(I Am)愛という神、あわれみの神なのだから。しかし私は義の神でもあり、審判者ともならねばならない。被造物が反逆する時は、私の魂は傷つき血が川のように溢れ出す。それほど皆を愛している! しかしあなたたちは私を傷つけた、私はあなたたちにとって聖なる者、しかしあなたたちは私を刺し貫いた。私はあなたたちの救い主、今日あなたたちに向かい、十字架上から叫んでいる:私のもとに帰って来なさい! 戻って来なさい! 来て私が(I Am)聖であるように、あなたたちも聖となりなさい!
子よ、来なさい、ともにいる、心に私を住まわせ、休ませてほしい、私と一つであるように。
*ユダ族のライオン、ダビデの根、黙示録5:5。この理解は1988年9月1日に与えられました。
はい、わが主よ、あなたを礼拝します。
私を礼拝し、休ませてほしい、どれほど疲れているか……
「私たち」 主よ?
そう、「私たち」、永遠に。
アーメン。
後ほど:聖マリア
ヴァスーラ、私をママと呼んで私と親密になってください、私の平和をあげましょう、愛しています。
私も愛します、もっと愛せますようにお教え下さい。
ヴァスーラ、あなたを私の聖心の中においた。
主よ、お会いでき、感じることができ、主が見えるこの恵みを下さってありがとうございます。
これはあなたへの贈物、にもかかわらず私の利益と栄光のために与えた恵みであることを忘れないように。あなたの愛で私を抱擁し、愛の香りで包みなさい。あなたの愛で私を慰めなさい。愛をもってあなたの主を称えるように。私だけが、ただ一人、あなたにとって大切な者。私はすべて、私は永遠、アルファでありオメガ、私は救う‐者、創り主、私は(I Am)聖なる者の中の聖なる者、私は愛の霊、だから私のもとに来なさい。あなたがいかに脆いかを、知っている。来て私を愛しなさい、私があなたの神であることをいつも思い出させよう。
どんなに弱くみじめだろうとも、私の力はあなたを支える。最愛の魂よ、もう一つ覚えておくように。私は誰をも必要としない、私のわざを達成するのに、私自身で足りている。しかし私のわざを被造物と分かち合うのを喜びと感じている。だから、私のほうを向き、選ばれたことを歓びなさい。魂よ、あなたが見ているものを見たいと憧れながら、見ることのない者は多い。あなたが聞いているものを聞きたいと憧れていながら、聞いたことない者は多い。あなたが感じることを感じたいと憧れていながら、そのように感じたことない者は多い。だから歓びなさい、魂よ! 歓びなさい! 私を賛美で覆いなさい。愛の花輪で私の頭を飾りなさい。香で私を包みなさい。あなたの幼子のような愛の言葉で私を飾りなさい。主なる私を祝福して崇めなさい、愛する者よ。
私のパンをいつも私から受け取るだろう、しかも豊かに。私は魂を養う。私はあなたの救い主。終わりの日までいつもこの特別な仕方であなたのそばにいると約束する。
知恵は正しい者だけでなく、正しからざる者にもその豊かな力を与えよう…… 来なさい。