1988年8月のメッセージ

私の教会の大艱難

1988年8月8日 ノート26

(ローマ)

愛する者よ、あなたを探し、ついに見つけだした牧者は私だと思い出させたい。あなたは他の死体と共に、死んで横たわっていた。私は復活である、そして私を通してのみ、いのちを見いだすことができる、永遠のいのちを。しかし今や、牧者が戻ってみると、小羊は散らされ、多くが飢えている。入れてあった囲いは牧者自身の友に叩き壊され、虐待を受け、餓死した小羊の屍がある。群れを牧する羊飼いたちには誠意がない。彼らは私に従わなかった。そこで、さらに害が及ばないよう、この者たちを退けなければならない。これは私の教会の大艱難として知られるようになる。

来なさい、あなたは学んでいる、愛に愛された者よ。

私を感じてほしい

1988年8月7日 ノート26

ローマ

今日は、啓示の聖母の記念堂トレ・フォンテインと、聖心の一万人の殉教者を祭る教会を訪ねる予定です。──トレ・フォンテインの向かい側にある三つの教会を訪ねました。最初の教会で内的呼びかけを感じましたが、そこを出てもイエスは引き返すように呼んでおられます。その感じは三つ目の教会でいっそう強くなりました。

ヴァスーラ、戻って来るように呼んでいた、あなたが本当は全然私に話しかけていない1ように感じたのです。そこで私を尊びに戻って来てほしかった、愛している、子よ、それに気づきなさい、私を感じてほしい、私の心の望みを感じなさい、愛への飢え渇きを、そばにおいておきたいという望みを、全人類に対する嫉妬深い愛を感じてほしい。野心を捨てなさい、全く持たないように、養うのが私である以上、私の前でこういったものは不要だ。私のわざをすべて私のものとし、あなたを導くこのやり方を受け入れるように、私の聖心に入って来なさい、あなたを祝福する。

教会は刷新されなければならない

1988年8月6日 ノート26

ローマ

教皇さまとの謁見の切符をもっと多く取りに行くためにローマの中を歩いている最中、どういうわけか間違った通りに出てしまいました。ジェームズ神父が気づいて直ぐに立ち止まり、戻って行くつもりでしたが、そこには壁に窓ガラスがあり、中に蝋燭の明りが点っているのが目にとまりました。外からは教会のように見えませんでしたので、考えずにそれはなにかの墳墓かしらと思いました。ジェームズ神父が入り口を見つけて、入って行くと、聖なる御母の腕に抱かれたイエスの美しい彫刻があり、それは十字架で亡くなられた直ぐあとの情景でした。――

イエス様? この教会に導かれたのでしょうか?

私です。母があなたを導いて来られた、ご自分の悲しみの瞬間を訪れるよう、あなたたちに状況を整えて、あなたの聖なる母はご自分が悲しみの聖母であるのを思い出すように望まれた。 

ヴァスーラ*、決して勇気を失わないように、そばにいます、イエスの傷の中に入っていらっしゃい、私の悲しみの心に入って来て、この悲しみをお感じなさい、止めどなく流れる涙をお感じなさい。私は多くの人びと**を訪れ、心を現しています、しるしを与え、私の像に涙を流させ、さまざまな場所で出現します、けれど私の子どもたちの心は厚いかさぶた、不信仰というかさぶたに覆われています、信じる人びとを馬鹿にして、神のみことばはこの人びとにとって無意味なのです、神の呼びかけは無視され、私たちの警告はほとんど注意が払われていません、神が与え、その唇で語られる啓示に誰も耳を傾けたがらないのです、あなたの時代の信仰は消えてしまいました、不寛容、排教、残忍と恥辱に足をすくわれて、この汚れなき御心はどのように悲しんでいるでしょう、私の腕はもはやあなたたちの上に神のみ手が振り下ろされるのを防げません。教会は刷新されなければならず、清めの時期がもうほとんど終わりかけています。聖霊があなたたち皆の上に下り、希望信仰を与え、あなたたちの信仰を回復し、魂を養ってくださいますでしょう、これは大いなる立ち帰りとして、永遠の源が芽吹き、花開いたとして、知られるようになります。教会の清めにより、皆が新しい天と新しい地を迎える準備が整います、教会はあなたたちの神に顔を向ける準備をさせるでしょう、あなたたち皆に抱くこの深い愛を理解してください。「私たち」?

* 聖マリアが話されます。   ** 出現を通して。

はい、「私たち」。

おいでなさい、

この教会はサン・シルヴェストロと呼ばれています。聖母は今日の教会の状態を示すためにそこへ私たちを連れていかれました、傷つき死んだように見えても、教会は、イエスが甦られたように、再び生き返るでしょう。

私に信頼し、聖という種を蒔きなさい

1988年8月4日 ノート26

(ローマ)

(教皇様の一般謁見の際、教皇様が私の近くに立っておられる間に、その帯の中にイエスのメッセージを何とか差し込みました。その時の写真が撮られました。今日は、どこに行ってもイエスが満面の笑みを私に向けておられるのがずっと見えました。)

イエス様?

私である。花よ、私のやり方を理解しようと探し求めないように。素直でありなさい、私から来るものはすべて受け取るように。主である私が、あなたを私の家へと導いた。私があなたを導いて、非常に愛する私の僕、ヨハネ・パウロ二世に出会わせた。最愛の魂よ、あなたは私に従い、私を信頼し、私に依り頼んだ。喜びなさい、魂よ! あなたの神である私が、喜んでいるのだから! 素直さは私を夢中にさせる。従順は私の聖心を躍らせる、なぜなら、それは悪い者と戦う武器だからだ

主よ、あなたのお手紙を教皇様の帯に差し込んだのは正しかったのでしょうか?

あなたは私に従った――これを、他の人々に対して従順の手本とさせなさい。状況がどんなに困難に見えても、私を信頼し、私に従いなさい。あなたが私に従い、私の意志を行っているのを見たら、いつでもあなたを助けよう――これを私のために行うように求めた理由を理解しようと探し求めないように。覚えておきなさい、あなたたち皆を私の名の下に一つにするのは、主である私だということを、そして私が切望することはすべて、私の力を通して成し遂げられるということを。

 私の指をあなたの上に置かせ、このようにしてあなたを使わせてほしい、私の子よ。あなたの上に私のベールを置いたままにさせてもいたい、このようにしてあなたを悪から遠ざけ、あなたに注いだこのすべての恵みによってあなたが有頂天になってしまわないようにする。あなたの神である私は、あなたを愛し、たとえ最も危機的な状態にあっても、決して見捨てることはない。愛があなたに霊的導きを与える。知恵はいのちを愛する。知恵は聖性の名を担い、私に従うすべての者に与えられる。あらゆる導きは知恵から降る。私を信頼し、聖性の種を蒔きなさい。

 平和があなたたちの上にあるように。さあ、私の聖なる現存を覚えておきなさい。私にほほ笑みかけなさい。

あなたたちの罪は炭のように黒い

1988年8月2日 ノート26

私、主のあわれみは大きく、その慈悲は比類なく大きい。私の慈悲は非常に大きく、底知れない。被造物よ! あなたたちの罪は炭のように黒く、この限りない慈悲がなかったなら、私の義はあなたたちに完全な破滅をもたらしただろう。私は今まさにあなたたちの戸口に立つ、そして泥棒のように入っていこう。与えている時のしるしに注意を向けなさい。準備しているように。

祈りなさい、私のヴァスーラ! 未だ私に抵抗する人びとのために祈りなさい。

正しい道を歩む小羊たちを非として世を闇で覆い、私を悲しませている人びとのために祈りなさい。小羊たちを解放しなさい! 解放し、私のもとに連れて来なさい、ああ、ヴァスーラ! 小さな小羊よ、そばにいなさい。私のマントの下に、この心の中に隠れていなさい。救いはまことに私から来る、あなたを使わせてもらいたい。

はい、主よ。

(聖マリア)

望んでいなさい。私の現存を覚えていてください。私たちは共に、いつまでも永遠に、私たち共に