私、主が、御母を天の元后として戴冠させた
1988年2月10日 ノート21
ヴァスーラ、私の声を聞き、書きなさい。
はい、主よ。
私はみことば、アルファでありオメガ、私は不死の霊薬、愛の源、すべては私が在らしめた、あなたたちを贖うため、肉となり地上に降った。娘よ、十字架からヨハネと母に与えたみことばに対して、私の教会には非常に多くの混乱が見られる、私、主が、御母を天の元后として戴冠させたことを、何にもまして皆に思い出させたい。
主よ?
何か、ヴァスーラ?
主はご自分を神として紹介なさいました、それから御母を二度口にされました。いましがたは聖マリアがあなたのお母さまであると宣言なさいました、「神の母」という呼び名を確認なさって。ご自分でそうおっしゃったのです! プロテスタントが拒む呼び名ですのに。
私は歓びでいっぱいだ、娘よ、教えていたのが無駄ではなかった、私のわざを理解してくれたことを喜んでいる、学び続けるよう努力しなさい、その達成のために祈りなさい、願うなら必要な洞察力を与える、ヴァスーラ、再び繰り返す、みことばが知られることを望む、神である私は母の胎内で育った、あなたたちの神をこの方は育まれた、被造物よ! 私はこの方に養っていただいた。みことばである私はこの方を愛し、尊んでいる。ヴァスーラ、初めの頃に私の十字架刑を詳しく述べた、「私の視線が母の上にとどまった、そのお方を見たとき私たちの心が呼応した* 〈私の愛する子どもたちを与えよう、あなたの子どもとなるように、この子たちの母となってほしい〉」
* イエスと聖マリアの間に交わされた無言の相互理解と、直観的な一致のこと。
はい、主よ、けれど私たちのプロテスタントの兄弟は、主の十字架上のみことばは文字通り、ヨハネに向けられたものだと言っています、お母さまが「未亡人」となり、主がおられなくなってもヨハネが世話するようにと。聖マリアは「神の母」でないとも言っています。
しかし、私のヴァスーラ、聖書に偽りはない、聖書には書かれてある、「私の主の母」と。聖霊に促され、エリザベトはこの言葉を口にした、書くように: 「すべての女の中であなたは最も祝された方、そしてご胎内の子も祝されています。私の主の御母に訪ねていただく名誉をいただくとは?」十字架上で述べた言葉はあなたたちの多くが理解するよりはるかに深い*。あなたたちの聖なる母でもあるこの方を、尊びなさい。もう私の心の中で休むように、私の現存を覚え、喜ばせてほしい、私を尊びなさい、私のヴァスーラ、
* イエスは「私の神、どうして私を見捨てられたか」といった、他の言葉のことも意味しておられます。
はい、わが神。