1987年6月のメッセージ

私の血は噴き出している

1987年6月11日 ノート13

(今ではもうほとんどの家具が送られてしまい、書くときに座る椅子でさえも探さなければならなくなりました。荷造り業者が立ち去った後も、家はまだ散らかっています。あちこちに書類の山があり、どの机の上にも靴やビン、新聞紙、ベルトなどが散乱しています。こんな引っ越しの最中なのに、送別会のビュッフェの準備(一回は八十人、もう一回は三十人)をしなければなりません。神の御手は少しも休むことなく、毎日いつも、二、三時間は神のために書く時間が見つかりました。神は驚くほどの力を与えてくださり、少しも疲れを感じません。私は完全な平和のうちにいます。神の平和です。)

ヴァスーラ、私の魂の愛する者よ、私のそばにとどまりなさい、顔を私の方に向けて、私の指をあなたの心に触れさせてほしい。私の子よ、あなたをどんなに愛しているか知っていてくれたなら。最後まで教え導こう。私のためにもっと犠牲を献げなさい──私のために苦しんでくれるか?

はい、主よ、お気に召すようになさってください。

(主は以前にもこのことをお尋ねになりましたが、私は恐れてためらったのです。今もう一度主がお尋ねになりました。)

ヴァスーラ、とてもうれしい! 私のために、小羊のように自分をいけにえとして献げてくれるか?

お気に召すようになさってください、主よ。

無駄になるものは何もない、すべては平和と愛のためとなるであろう。私の渇きは大きい、ヴァスーラ。あなたを不毛の地に連れて行こう、そこで、あなたの目はこれまでに見たこともないものを見る。あなたを天の力によって導こう、血を流している私の体の、まさに一番深い所に。私の体のとげとなっている聖職者の罪人たちを皆、私の指であなたに指し示そう。私は彼らを容赦しない。私は疲れ果て、傷はかつてないほど広がり、血が吹き出している。私自身の聖職にある魂たちによって、私は再び十字架につけられている!

私の神よ、あなたは私に大きな苦しみをお与えです。どうして彼らはそんなことをあなたにするのでしょう? どうして?

ヴァスーラ、彼らは自分のしていることが分かっていない。愛する者よ、あなたの神と一緒に奮闘しなさい、すすんで私の苦しみを直視し、私と共に分かち合ってほしい。

そうします、あなたをお慰めするために。あなたを愛している人々のことを思い出してください!

その人々は、私の魂の愛する者たち。そのような魂がもっと必要だ、私のために自分の心を献げる者たちが。彼らを愛し、信頼している、彼らは私から食べている。彼らは私のいけにえ、私のとげに取って代わるなめらかな花びら。私のミルラである。

 ヴァスーラ、恐れなくてよい。私たちは闇が支配している場所へ、さらに深く入り込んで行く。あなたを導こう。

(その後、私の魂は神の苦渋を感じ始めました。食べ物も、飲み物も、口に入るものすべてが苦いのです。主は御自身の聖杯から私に飲ませられました。すると息がしづらくなり、私の魂と体が痛みました。)

「神のうちのまことのいのち」と呼びなさい

1987年6月10日 ノート13

(バングラデシュのダッカにて)

(昨日、出発のための最後の荷作りをしました。大変でした!)

主よ、『キリスト意識』と呼ばれる理論について考えていました。これは「私たちの善良な内なる自己」という意味なのだと思います。もしかしたらこの書き物はそこから来ているのかもしれませんね?

ヴァスーラ、私たちは結ばれていると言わなかったか、私たちは一つだ、愛する者よ。それをこう呼びなさい。「神のうちのまことのいのち」と。私のために生きなさい。

 さあ、あなたに書いてもらいたいことがある。

(今度は何を書こうとされているのかしらと考えていました……)

私の望みを、小さな子よ。

(神は聖書のある箇所を読ませられました。)

そうだ、高く上がって来なさい、聞くように、私の教会で私に会いたいか? ヴァスーラ、私のもとに来なさい。

どの教会ですか、主よ、どこの教会のことをおっしゃっているのですか?

すべてが私の教会だ、それらは全部私の教会である、すべて私の、私だけのもの、私が教会であり、私が教会のかしらである。

でも、イエス様、先ほどのおっしゃり方ですと、私にどこか特別な教会に行くことを望んでおられるように聞こえました。そのように理解し、そう聞こえたのですが!

どの教会であれ、いつでも私の所に来ることができる、他の者たちのように区別してはならない。それらはすべて私のものである1。私は唯一の神、唯一の体を持っているが、彼らはそれに障害を与えてしまった。いしうすが私の体を痛めつけてしまったのだ。

私の神よ、あなたはとても動揺されているようです!!

動揺? ああ、ヴァスーラ、なぜ、どうして、彼らは冷酷にも私を切り裂いてしまったのだろうか?

(神はとても動揺しておられました。イエスがエルサレムの神殿で「両替人」たちの台をひっくり返された時のことを思い出しました。主がこれほどまでに動揺されたのは、今まで一度も、聞いたことも、見たこともありません!

ヴァスーラ。

イエス様?

私だ。

そんなにも動揺されているとは、本当にあなたでいらっしゃるのですか?

ああ、そうだ、私だ。ああ、そう、やっとあなたの上に私の言葉を置くことができる。ヴァスーラ、カリスマ(聖霊のたまものは、あなたの利益のために与えられるのではない、それが与えられるのは、私の言葉をあなたの上に刻みつけるためである。

そんなにも心を乱しておられるのはこれまで感じたことがありません! そうなのですか?

そうだ。私の体は痛む。それは引き裂かれている。

私の神よ! でも私に何ができるでしょう? 私は無力です!

そのすべてを私が承知していないはずがないであろう、ヴァスーラ? 最後まであなたを用いる。私を恐れなくてよい、娘よ。私の教会を一致させることは、私の体の栄光となるだろう。私の平和を受けなさい、愛する者よ。

はい、主よ。左も右も後ろも見ません。まっすぐ前を見ることにします。

そうだ、私の働き方を理解しなさい。今のように静かにしていなさい、進んで私を喜ばせ、私と一つになるように。

主よ、あなたが聞いてほしいと思っておられる人たちが、もし聞かなかったら? どうなるのでしょう?

あなたは今、私より一歩前に出ている! 子よ、私と一緒に歩くように。共に、そう、私に付いて来なさい、私に信頼して。さあ、あなたを案内しよう。

(不意を打たれてハッとしました。犬が吠えたのです(普段はないことです)。そして私の寝室の扉が開き、三日前の晩に私たちの部屋に忍び込んでお金を盗んで逃げた泥棒が目の前にいることに気付きました。あの泥棒がまた来ていたのです。出て行くように命じました。彼は振り向いて出て行きました。そして私は警報を鳴らしました。間違いなく、神が私に何かを伝えようとされているのが分かりました。)

ヴァスーラ、あなたにあることを思い出させている。その盗賊2が部屋に入って来た時、あなたはそれを予期していたか?

いいえ!

私もそのようにして来る。突然に。彼に気付いた者はいなかった、そこに盗賊が来るとは誰も予期していなかったからだ。

(イエスは十人の荷造り業者と事務所の人たちのことを言われたのです。彼らはその泥棒を見たのですが、泥棒だとは思いませんでした。主が言われた最後の文はとても重要であり、言外にさらに多くの意味が隠されていると感じました。「気付いた」という言葉にも、とても深い意味があります。)

他にも何か思い出したことがあるか? 教えよう、その盗賊は罪を犯した、だが、彼に裁きを下して背中をむち打つ者たちも、罪のうちにいたのではないだろうか?

私に何を理解させようとされているのか分かりません。そうです、私たちは皆罪人です。

ヴァスーラ、この一部始終を見ながら、私は黙っていられるだろうか?

あの泥棒を擁護しておられるのですか、主よ?

いいや、ヴァスーラ、そうではない……3 罪を犯したことのない人の名を一人でも挙げてみなさい。

(誰の名前も浮かびません。)

大きな罪も、小さな罪も、みな罪である、罪を犯すことは私を深く悲しませる。ヴァスーラ、私はあまりにも多くの罪を目撃している。愛は苦しんでいる。愛は嘆き、嘆き悲しんでいる。……被造物よ! 私の被造物よ、愛に立ち帰りなさい……

 娘よ、私を愛で満たしなさい、償いなさい、愛する者よ、償いなさい。

被造物の中に私を見なさい

1987年6月9日 ノート13

(昨晩、空に神の御顔を見ました。空は美そのものでした! 腕のいい画家が描いた絵のようでした。その中に神の美しさを認識したのです。それは明らかでした。)

そうだ、ヴァスーラ、被造物の中に私を見なさい。私を認識し、私を愛しなさい。

私に頼るように

1987年6月8日 ノート13

ヴァスーラ、私のわざを確立させたい。

どうすればいいのでしょうか?

あなたを教え導こう。さらに先へと導こう、私に頼るように、私の平和を受けなさい。

私を慰めるにはそれほどわずかで足りる

1987年6月7日 ノート13

ヴァスーラ、そう、私の顔を見つめなさい。私を見てくれたなら、慰められる。彼らに伝えなさい、私を慰めるにはそれほどわずかで足りるのだと。来て、私をほめたたえなさい、私を愛して。

(目の前にせいがいの写真がありました。このメッセージをイエスが書かれた時、その写真を見ていました。)

罪が私の邪魔となる、私は惜しみなく与える

1987年6月6日 ノート12

イエス様?

私だ。神の顔をのぞき込むとは、愛を見るということ。

せいがいの主の写真を見ていました。

私にすっかり支配されたいか、ヴァスーラ?

はい、私の神よ。それがあなたのお望みでしたら、そうしていただきたいです。

では、私に自由にさせなさい、決して私を邪魔しないように、私のために生きなさい。

主よ、どのようなときにあなたを邪魔したことになるのでしょうか? 邪魔せずにいられるように教えてください。

罪が私の邪魔となる、罪だ、ヴァスーラ。本当に、私が望むようにあなたの中で働かせてくれるか?

はい、私の神よ、私が罪を犯すのを禁じてください。私の罪をおゆるしください。あなたの望まれるとおりに、私の中でお働きください。私の臆病さには配慮せず、目を留めないでください。必要とあれば、私を引きずってでも行ってください。私を自由にお使いください。あなたのわざをなさってください。どのような遅れの原因にもなりたくありません。あなたのわざを邪魔したくないのです。ですから私の弱さに一切目を留めず、お好きなようになさってください。

娘よ、あなたのその言葉がうれしい。さあ、私のわざを続けるとしよう。私の意志を自由に行わせなさい。来なさい、私がどのように働くかを明らかにさせてほしい。あなたに多くの恵みを与えた、ヴァスーラ、だが、私の恵みに感謝を表してほしい、私を喜ばせ、そしてもっと信じなさい。

もし主のお気に召さなかったら、これらのお恵みを取り上げてしまわれるのではないかと恐れています……

どうして私の恵みを取り上げなければならないのか?

成長できなかったり、間に合うように付いていけなかったりしたら、お恵みを取り上げてしまわれるのではないかと思うからです。

いいや、決してそのようなことはしない!

私には、主のお気に召さなかったら、お恵みを取り上げてしまわれるのは当然だと思われるのです。

子よ、あなたの目にはそれが当然と映るかもしれない。私は、あなたをこの世から解放する時まで養うであろう。私の食物をあなたから取り上げることは決してない。あなたを何年も待ち続けてきた私、あなたを愛し、私の胸に強く抱き締めるまで何年も待ち続けた私が、今になって私の食べ物を取り上げることなどできるだろうか? 来なさい、心行くまで私に寄りかかりなさい。私は愛であることを覚えておくように。私は惜しみなく与える、与えたものを取り上げることはない。あなたに私のやり方を絶えず思い出させることにしよう。

道行きの留で私を見つけなさい

1987年6月5日 ノート12

ヴァスーラ、道行きのりゅうで私を見つけなさい。祝されよ。私たちは共に働くだろう。

(十字架の道行きをまだしたことがありません。しようと思っています。私と一緒にするようにイエスから頼まれた司祭を待っているところです。)

ほほ笑む巨人

1987年6月4日 ノート12

(今日、神は私を手のひらに乗せてくださり、私が本当に小さいことを感じさせてくださいました。主を見るようにと言われました。そうしました。すると、美しく、ほほ笑んでいる巨人が見えたのです!)

ヴァスーラ、私を見なさい、私の顔を見て。

(主は美しさにあふれ、ほほ笑んでおられました! 自分が主の手のひらの中のほんのちっぽけな点のように感じられました。)

それが私にとって何だというのか? あなたがちりのひと粒に過ぎなかったとしても、私にとって何だというのか? 感じなさい、私があなたをどんなに愛しているかを!

(主は美そのもので、このすべてが本当に美しい!)

私は美しい。ヴァスーラ、私のことを思うときは、私が地上にいた時の男性の容貌ようぼうをイメージしなさい。私をそのように思い浮かべなさい。

でも主よ、あなたは本当はどのようなようぼうなのですか? お顔立ちはどんな感じなのでしょう?

私はすべてである。私はアルファでありオメガ。永遠そのものであり、妙薬である。私を愛しなさい。
 私のうちにとどまりなさい。決して私を恐れてはならない。人間が誤って教えたその恐れを、愛に置き換えるように。恐れることなく、私のうちに住みなさい。私に逆らうときにだけ私を恐れなさい。私は愛。私の心がどれほど果てしなく深い愛であるかを、彼らに伝えなさい!

私の名によって求めなさい

1987年6月3日 ノート12

(「書いている最中に」、また悪魔に攻撃されました。それは背中に跳び乗ってくる猫のようでした。彼らに「うんざり」しています。まるで「地獄の門が全開になった」かのようです。とてもうるさいので、悪魔の一人に向かってこう言いました。「イエス・キリストのによって立ち去れ、そして火の中へ投げ込まれよ」。すると去って行きました。他にも悪魔が何人かいたので、最初の悪魔の時と同じ言葉で、一人ずつ同じように対処しました。イエスが私に言われました。

「私の名によって求めなさい、そうすればそのようになる。しかし信仰を持って求めなければならない、このやり方で働き、祈り、求めなさい、私の名によって祈りなさい。私の名によって働き、私の名によって求め、私の名をよみがえらせ、私を反映するものとなりなさい、私と共に進み、顔を私の方へと上げ、求めることを信じなさい」


主は、悪魔たちは私を恐れていると教えてくださいました。私は彼らにとって脅威なのだと。その後、自分がどこにいるのか分かりました。自分の足が、湿ったどろどろのぬかるみの中にあるのを感じ、すぐに、地獄に取り囲まれていることが分かったのです。それはほんの一瞬の出来事でした。今日、書くときに悪魔がしつこく妨害してきた理由がこれで分かりました。このことについてイエスに尋ねると、

「他の場所であるはずがないだろう?」

と言われました。イエスと私は、一緒に地獄の門の外側1を通り過ぎようとしていたのです。魂を癒やし、彼らをサタンの門の所からもぎ取るように救い出していました。

「ヴァスーラ、このような方法でもあなたを使わせてほしい。これもあなたの仕事の一部だ」

。)

一致するには、どれも皆曲がらなければならない

1987年6月2日 ノート12

後で会おう、その時に予備的なアドバイスを与える。ヴァスーラ、三本の線を描きなさい。

三本の鉄の棒(頭)

それらをつなげなさい、

三本の鉄の棒

つなげるためには、どれも皆曲がらなければならない。あなたたちは皆、穏やかになって、自らすすんでかがまなくてはならない。

(理解しました。主は三本の鉄の棒の明確で簡素な幻(ビジョン)をお見せになりました。それらは互いに接近して直立していました。主は、「三本とも曲がらなければ、それらの頭1はどうやって触れ合えるだろう?」とおっしゃいました。──その後、午前中に外出しました。この幻(ビジョン)を思い出せば思い出すほど、「山」はだんだん大きく見えてきました。息苦しくなりました……)

イエス様?

私だ。勇気を出しなさい、立ちなさい、生徒よ! 持ち上げなさい! 私の十字架を持ち上げなさい、愛する者よ、持ち上げて、さあ! 嘆かないように。一緒に……一緒に……
私のヴァスーラ、私たちは共に奮闘するだろう、疲れたときは私に寄りかかりなさい、そして私が疲れた時はあなたに寄りかからせてほしい。
私に会いなさい、私の望みを成し遂げさせてほしい、柔らかい蜜蝋みつろうのようでありなさい、あなたの上に、私の手ずから私の言葉を刻ませてほしい。喜んで行いなさい、恐れてはいけない! あなたを愛している、愛する者よ、ああ、来なさい! 愛があなたを傷つけることはない。

(この働きに恐れを抱いています。)

来なさい、共に祈ろう。

「ああ、御父よ、
最後まで共にいてください、
私は弱いのです。
あなたの栄光をたたえるために
あなたの力を与えてください、
アーメン。」

愛する者よ、来なさい、恐れを捨て去り、私の話を聞くように。あなたの神を待ち望みなさい。私は、私の教会を一致させたい
ヴァスーラ、私を受け入れることができるようにあなたを訓練してきた、愛する者よ、勇気を出しなさい!

あなたの勇気が必要です。私には勇気がありません。

あなたを勇気づけ、私への愛を強めよう、すべては私の栄光のために。
ヴァスーラ、私の言葉を書いてくれるか、私から吸収しなさい。安楽を求めてはならない、貧しくありなさい、地上で肉のうちにあった時の私のように。質素でありなさい、私をむち打つ者たちとの違いを共に感じることができるように、そして彼らの尊大さを共に感じることができるように、違いを感じさせてほしい! 私の心から引き出し続けなさい、私の教会を美しく飾り、私の心から引き出しなさい、そうすれば分かるようになる、私の小さな娘よ。

(ここで私は、この働きがどういうものなのかを悟り始めました。だからこそ恐れているのです。イエスは教会に手を入れ始めておられるのです……)