1989年7月6日のメッセージ

教会の根とは愛

1989年7月6日 ノート34

主よ、この何日か、きっと私にみ顔を隠しておいででしょう。以前ほどあなたの光を感じません、どうして私をお見捨てですか? 主よ?

私です、決して祈りを絶やさないように。私はあなたのあがない主、聖なる者、あなたに対する愛は大きく、魂にとってためになることを教えている、あなたを形造るのは私、見捨てたとは考えないように、嘆かないでほしい。その汗水は空しくはならない、聞くように、私のヴァスーラ、あなたを愛しており、私のパンで養うのをやめない。聞きなさい。私は、非常に大きなあわれみをもって、すばらしいぶどう畑をこの時代に準備している。私はぶどうの木のように、優雅な若枝を出し(*1)、花は愛と平和の実をつける。私を望む者は、近づいて来なさい、そして私の実で満たされるように1。私を食べる者はさらに食べたいと欲し、私を飲む者はさらに飲みたいと欲する(*1)。ああ、娘よ、どの魂も私に飢え渇くようにと、どれほど望むか! そうすれば、今ほど教会は荒廃していなかっただろうに、愛が欠けているなら、私にとって儀式や形式は何になろう? 根がないなら、木は生きていけようか? 教会の根とは愛、では愛が見当たらないなら、私の教会はどうして生き残れよう?

イエス、お慰めしましょう。

あなたの愛をもって、私の頭を休ませてほしい、私を愛し、あなたのうちに憩わせなさい。私の聖櫃の前で皆に会えるのを、非常に歓んでいる2。愛があなたを愛しむ、私は(I Am)主、安心していなさい。