1988年3月のメッセージ

大いなる立ち返り 新しい聖霊降臨

1988年3月13日 ノート22

わが主よ、
この特別な方法で、
しかもこんな身近に
主とともにいる恵みを
すべて感謝します。
アーメン。

ヴァスーラ、これらの恵みは私の利益、また栄光のために与えられた。あなたを用いさせてもらいたい、あなたの仕事が何であるかを見極めなさい。さあ、手伝ってあげよう。

私は霊感を与えることを望んだ。信じなさい、私の子よ、私のヨハネス1に霊感を与え、新しい聖霊降臨を願うようにと望んだ。この霊感は、英知が上から与えておられ、主である私は新しい聖霊降臨を、私の基そのものの上に確立させる。あなたたち皆を一致させ、一人の牧者のもとに集め、被造物よ、そのさ中に私の王国を設立し、私の家は平和と愛のうちに君臨する。被造物は生まれ変わり、無心で、悪意を持たない子どものようになろう。これこそが大いなる立ち返り、新生、羊飼いの呼び声、新しい聖霊降臨。それはキリスト教がまだその早い段階にあり、幼く、無垢で、私欲がなかった初めの頃のようになる。ああ、被造物よ! 今に見ているがよい。

ヴァスーラ。

はい、主よ?

私を感じなさい、傍らにいる。肉体の目では見えなくても、これを信じるか、子よ?

はい、主よ、信じます。心の目で見ることをお教えくださいましたから。そしてあなたを感じ、お声を聞き、ただ単純に信じるようにと。

あなたの眼差しが私を探し求めるのを見てどんなに愛おしいか。どうすることもできない、無に等しい、単なる子どもを目の前にして、狼の中にいるあなたをあわれむ。ヴァスーラ、決して傍らを離れない、祝福する、子よ。終わりまであなたを導かせなさい。何か?

イエス、あなたは見えるところにいらっしゃいます、違いますか?

そう、愛する者よ、私の平和を受けなさい。

「私たち共に」? 

そう、「私たち共に」。

私のロシア、主である私はどんなにあなたを愛するか

1988年3月11日 ノート22

預言

神に栄光!
(三つの祈りを唱えたあと天使たちの声で「神に栄光」と天から聞こえましたので、それを書きとめます)

イエス様?

私です、そばにいる、愛する者よ、ロシアの改心を祈りなさい。私の神聖な手によって甦る、私は手をその上におき、冷えた心を暖め、生き返らせているさ中、その神聖さが頂点に達した時、ロシアは死の沈黙と暗闇の中から、平和と光の世界へと甦る。彼女は救い主を傍に見出し、大きな叫び声を上げて喜びを表わそう、私は彼女を私のもとに引き上げ、愛の炎で心を燃え立たせ、清め、その神、私に対する完全な恍惚状態に置くだろう、ああ、ロシア、私のロシア! 主である私はどんなにあなたを愛するか*、死んでいるのを見て、どのように泣いたことか、あなたを失った時、愛する者よ、苦い悲しみの涙をどんなに流したか、そして天全体があなたのために嘆いていた、どうして、どうして、私の愛する者よ、私を拒んだか、愛と優しさに溢れるこの心を突き刺して……

* またもやどの人間にもできない神にしかおできにならない話し方で話されました: 非常に大きな愛を込めて……

(聖マリアがそばにおられるのを感じました)

あなたの上に平和、私の子よ、あなたの聖なる母です。あなたの姉妹のために祈りなさい、今日主はその傍らにおられ、間もなく主の神聖なみ手は冷たく死んだその心に触れることでしょう、ああ、被造物よ! あなたたちの、このように-愛されていない-姉妹を、主は生き返らせます、目覚めていらっしゃい、娘よ、彼女の栄光の時が近づいているからです。ペトロよ*? 私の深く愛されたペトロ**?

* 突然聖マリアはヨハネ・パウロ二世のほうを向かれました、まるでそこにおられるかのように。その名を呼ぶお声は、この方への特別な愛が込められ、とても優しく、けれど悲しみに満ちたものでした。
** 聖マリアは涙をこらえようとなさいましたが、おできになりません。こう言いながら涙が溢れ、泣かれました。多く涙を流され、私ももらい泣きをしました。聖なる御母はペトロに特別心を許しておられるのが感じられます。

そうです、ヴァスーラ。何年も私はロシアを献げるよう、あなた* に頼んでいました、今、主と全ての聖なる殉教者たちはあなたの願いと叫びを聞きとどけ、すべての犠牲は無駄となりませんでした、愛する者よ、流された涙はすべて空しくはならず、イエスの傷ついた聖心への膏薬となりました、主を賛美なさい、ペトロよ、イエスは扉のまん前に立たれ、叩いておられます、あなたに平和、皆の上に平和。あなたたち皆を愛しています。

* ヨハネ・パウロ二世。

ソドムと同じくらい落ちぶれてしまった

1988年3月10日 ノート22

イエス様?

私です。あなたに平和、私のために働き続けてくれるか、ヴァスーラ?

そうするつもりです、はい、主がお望みになるかぎり。

私は主、小さな者よ、あなたを養っているのは私、イエス。私の園を飾り、教会を生き返らせてもらいたい、ついて来なさい、そうしたらあなたのうちに、あなたを通して行動する、私の渇きを満足させなさい。祭壇よ! 私の子どもたちの心に侵入したこの凍てつく風を暖めるために、私の炎を赤々と点しつづけるように。ああ、時代よ、ソドムと同じくらい落ちぶれてしまったではないか! カインの血を受け継ぐ者たち! アベルのような者はあまりにわずかだ、あなたの時代は心が干からびてしまった、なぜだか分かるか、被造物よ? あなたたちの間には愛が欠け、私を忘れ、今日行っている摂理的なわざも信じないからだ。そう、被造物よ……恵みを迎え入れた徳のある日々はもうない、みじめな時代よ、生き返らせよう! あなたたちを癒やし、死んだ心に私の活力を注ぎ込もう! ああ、どんなに皆を愛しているか! 書きなさい。

(はい、主よ。神は傷ついて悲しむお声でした。完全な慈悲と優しさをお持ちでなかったなら、私たちを簡単に消してしまわれたでしょう。けれどその果てしない慈しみと無限な愛により、主は私たちをあわれんでおられ、ゆるしてくださいます、癒やしも与えて)

そう、このようになってしまったにもかかわらず、皆を愛している。あなたを見捨てることがあろうか? 決して!

私の家を修復するための煉瓦をどかしたり、蹴飛ばしてはならない

1988年3月9日 ノート22

主よ、お聞きになりましたか? ヴァシリー神父が変わられたのです。今度はこれは全て悪魔からだとおっしゃいます。あなたは大人の信仰を持っている魂にだけ訪れ、ふさわしくない者は訪れないともおっしゃっています。

子よ、私の無限の慈悲と無限の富に信頼する必要のある者がここにもう一人いる。彼のためにメッセージを書きなさい。

どうして私の花を踏みにじるのか? 見る目を与え、聞く耳を与えたではないか、分からないのか? 私は主イエス・キリスト、神の愛する子、高い木の成長を妨げるのは私、低い木を育てるのも私、私です。

私の今日の働きを大切にしなさい。その摂理的なわざを信じなさい。私のわざを知らせようと私の子を与えた。主である私は無限の富、怖れることはない。小羊たちが散らされているのを見ていられようか? 彼らを見出し、養うために来た。私の園を美しく飾り、この荒野を灌漑するために来た。私の花を踏まないでほしい。来て悔い改めなさい、サタンの声に耳を貸さないように。あなたたちを無限に愛するがゆえ、皆を一つにしようとして訪れた、被造物よ! あなたの神、私とともに歩みなさい。私の家、今や荒れ果てたこの家を修復するための煉瓦を、どかしたり、蹴飛ばしたりしないでほしい。主なる私を決して疑わないように!

ヴァスーラ、私に倚りかかっていなさい。そばにいるように、手をしっかりと握らせなさい。主である私はあなたを愛している。「私たち共に」?

はい、主イエスよ。

では来なさい。

小羊たちを一致させる

1988年3月8日 ノート22

ペトロよ! 今まさにあなたの戸口に立っている。私の体に栄光を与えなさい。小羊たちを一致させる、この群れでない者にも呼びかけ、彼らは羊飼いの声を聞き分けよう。時がなくなり、私の再臨は今や差し迫っている。愛は愛としてあなたたちのもとに戻って来て、地上の私の王国は天のみ国と同じようになる。義、愛と平和が、被造物の上に天から降り注ぐだろうから!

ヴァスーラ、あなたの神、私にどれほど頼っているかがもう分かったゆえ、もっと多く祈ってくれるか? あなたの素朴な言葉が好きです、こう言いなさい。

「主よ、愛します。

あなたのために呼吸し、微笑みます。

あなたのうちに希望をおき、信じます。

私の喜び、元気にして下さるお方。

私の平和」

そう、あなたの聖なる仲間、私に向かってこのように唱えなさい。日々を私と分かち合いなさい。直ぐそばにいると、子どもたちが気づいてくれさえしたらと願う。私は現存し、直ぐ横にいる。どこにいても、どんな時にも、このことに気づいたなら、もっと転ばないだろう。罪も犯さないだろう。伝えなさい、親密になってほしいと。来なさい、愛している、あなたの師も、愛しなさい。

私の口から出た言葉をあなたは語って、茨の冠を愛と平和の花輪に置き換え、あなたの神に被せるだろう。そして主である私は、被造物の上に天の玉座から、完全さ、愛と平和を注ぐ。小さな子よ、あなたの神から、平和を受け取りなさい。あなたを導いてきた、私のヴァスーラ、あなたを形造ったゆえ、これからはともに歩みなさい。手をしっかりと握らせて、血を流す私の体の中まで、ついてきなさい。そして忘れずに、左も右も見ないで、仕事を達成するためにまっすぐ歩きなさい。恐れることはない。あなたの魂を美しく飾り、敵を退けて武器を取り去るのを可能とする。主である私は、あなたたち皆のさ中にいる。私はある、扉の正面に! 三つの冠を携えて、平和の冠、愛の冠と、義の冠を。

あなたの目を覆った

1988年3月7日 ノート22

全てのメッセージを前にして、立って見ていました。突然これらのページに含まれる膨大な御わざの大きさに心打たれ、このように短い期間に一人では決してできなかったと、不思議な気持がわいてきました。衝撃のような感情が! すべてをもっと深く理解しはじめたという思いでした。打ちのめされた感じです。イエス、本当にご一緒に働いたのでしょうか?

ヴァスーラ。そう私たちは一緒に働いた1

今、接吻をしてくれるか?

すっかり衝撃に打ちのめされたまま立ち上がり、たどたどしく聖骸布の御絵の前まで行き、イエスに接吻しました。

見ただろう? あなたの目を覆っている被いを少し持ち上げただけで、どのように感じるかが分かっただろう? さあ。私の摂理的なわざを決して疑わないように。すべては私の家を建て直し、小羊を集め、花床に水を与えるためです。来なさい、主である私はいつも、私の現存を思い出させる、ヴァスーラ。「私たち」?

ああ、そうです、主よ、「私たち」。

来なさい。

生け垣に水を与える

1988年3月3日 ノート22

ヴァスーラ、教会を飾りなさい、私の領地に素足で入って来るように1

私のメッセージを持って行きなさい。左も右も見ずに一緒に歩きなさい。教会は生き返り、あなたは祝福しながら皆を父の家に集める。私は悪から皆を救い出し、至高者なる私はあなたたちの間にとどまる。そしてあなたは私の口から出る言葉を語る。望む者は皆、神である私に近づき、その実によって満たされなさい。私を愛し、従う者は皆来なさい。来て満たされなさい。私の実を食べるならもっとほしくなるだろう。渇く者は皆来なさい、私を飲むならもっとほしくなる。私の徳に従う者は決して恥入るようにはならない。私の望むように行動する者は誰であっても、私の誉れとなる。ああ、ヴァスーラ、あなたを見捨てることがあろうか? もう一度耳を澄ましなさい。私は園を美しく飾り、生け垣に水を与え、花床を灌漑し、徳が輝きだすようにする。全ての言葉は私が書く。主である私は私の利益と栄光のために、私の神秘を知る手ほどきをあなたに与えた。

愛するお父さま、限りなく愛します、本当に!

来なさい、覚えているように、「私たち、共に」……

私の家を建て直しなさい

1988年3月2日 ノート22

(三つの祈りを唱えました)

主に賛美! 神に栄光!

(これは聖ミカエルでした)

イエス様?

愛がここにいる、私の名を称えなさい。

教会を生き返らせ、私の家を建て直しなさい。私の園を美しく飾るように! 悪を行うのをやめなさい! 教会は生き返り、平和があなたたち皆のうちに臨むだろう。ヴァスーラ、完全であってもらいたい……無心であるように、子どもたちは無邪気さのゆえに愛おしい。悪意がない。さあ、来てあなたを拒んだすべての人をゆるし、彼らの罪を流れ去った水のように思いなさい。花よ、石の心も和らげられるよう、あなたの魂を美しくする。与えなさい! 与えなさい! 彼らに与えなさい、悪を愛で置き換えなさい、私の反射となりなさい! ああ、ペトロ、私のペトロよ1

私の魂に愛された者よ、羊の群れが完全さを取り戻すように、連れ帰りなさい! ペトロ? 私を見なさい、愛する者よ、顔を見なさい、主である私を尊ぶように。今や、愛と忠実が出会った、今まさに正義と平和が戸口に立っている。私にすがりついている者を皆救う。私はあなたの避難所。周りを見回しなさい、ペトロよ、見ただろう? 気づいただろう? 私の目は、カインたちが私のアベルたちを殺すのを見ているのに疲れ果てた。耳を与えたのに、聞くのを拒み、目を与えたのに、見るのを拒むがゆえ、その心は干からび、私でなく自分たちの栄光を求めている。ああ、ペトロよ、なんと疲れ果てたか……愛が欠けている……。私を称えなさい、ペトロよ! 称えなさい、愛する者よ。

(イエスは愛情をこめてペトロに語りかけ、主は本当に悲しそうで、お疲れの声でした、ペトロに頼ることができる、という話され方でした)

あなたの虚しさにもかかわらず愛している

1988年3月1日 ノート22

私です。

(イエスがそばに立っておられるのが見えました)

私を見るたびに微笑みかけなさい。そう、花よ、救い主の近くにいなさい。さあ、御父にこう祈るように。

「ご覧ください、お父さま、み前にいる者を、

みじめな者がおります、おゆるし下さい、お父さま。

私はいただいたすべての恵みに、ふさわしくありません。

私自身はむなしく、自分で得たものは何もありません。

この無が、無限に善良なあなたに倚りかかり、頼りきることをお許し下さい。

みじめな、つまらない者ですが、御身を大切に思っています。

愛するお父さま、み恵みによって働き、成し遂げるべき全てを成し遂げる

力を、お与え下さい。アーメン」

ああ、ヴァスーラ、私の徳のすべてを求めなさい。それを追い求め、そのうちで成長するように。主である私はあなたの虚しさにもかかわらず愛している。どのような時も倚りかかっていなさい、完全に支える。最後まで信頼し、盲目のうちに導くのを許しなさい。ときにはあなたの肩に負わせようと私の十字架を置く。私とあなた、あなたと私。私はあなたのうちに憩い、あなたは私のうちに休息する。私は完全に忠実な者である。決してどのようなことがあろうと、あなたを見捨てない! 私の仕事に魂を献げ尽くし、私を一層喜ばせなさい。誓いに忠実でなければならない、忠誠の誓いに、そうです! ああ、この祈りを受け取るのをどんなに待っていたか、これらの言葉をあなたから聞きたいとせつに願っていた。

主よ、誓いを守るのをお助け下さい、自分が信用できませんから!

恐れることはない、いつも思い出させよう。あなたの途方もない弱さを知っている。あなたはひ弱だが、その弱さを私の力のうちに埋没させる。私の現存を忘れないように。どのような時も「私たち、共に」、いつまでも永遠に、愛し、希望し、信じるように。私、主イエス・キリストは、あなたを決して見捨てない。