1988年10月のメッセージ

一致を求めるなら、皆が曲がらなければならない

1988年10月12日 ノート20

主よ、わが神。

ヴァスーラ、手助けをしよう、三本の棒の例えを覚えているか? 真っ直ぐに立ち、硬直した棒を?

はい、覚えています、主よ。(1987年6月2日のメッセージ)

よろしい、一致できるには三本とも曲がらなければならない、二本だけでよいと言ったことはない。ヴァスーラ、あなたの神、私は、あなたたちを本腰で一致させるつもりであると分かったか?

今日お会いしたらまず昨日のメッセージ、十字の切り方について、お尋ねしようと思っていました。

分かっている、娘よ、だからこそ、「一致を求めるなら、皆が曲がらなければならない」という意味が何であるかを理解してもらいたい、皆への愛と限りない慈しみにより、一致の手助けをしに来た。ヴァスーラ、素朴な心で私を求めなさい、私は愛する神、柔和で謙遜な者、私のやり方を覚えておくように、一致を可能とするため、自己中心の意向を捨て去り、私の声を聞き分けなさい、あなたたちみことばを任せ、何千もの魂を任せた者たち、私の羊の群れの頭に任命した者たち、なぜ私でなく、己が利益を求めるか? 私の小羊たちは散らされた、散らされた……私は、花よ、諸国の民を集め、聖職者を召集し、私の愛によって刷新しに、あなたを通して降ってきた。

主なる救い主よ、この人びとはどうやって自らの誤りを認め、知るようになるでしょうか?

自らの誤りに気づく方法は、私の意思を求めること、悔い改めて、私の慈悲を思いめぐらし、その摂理的わざを踏みにじるかわりに、信じなさい、真心こめて私を礼拝し、あなたたちのでなく、私の利益を求めるように。

主よ、「利益」が何かをよく分かっていないかもしれませんが、おゆるし下さい、利益とはこういうことでしょうか、「主のお望みが、今散らされている羊の群れを連れ戻し、集めるだけである」と?

愛する者よ、あなたですら私が何を最も望んでいるかを理解している、しかし私が望むのはこれだけでない、この啓示を読むなら分かるだろう、ヴァスーラ。

はい、主よ。

娘よ、あなたを迫害する者を祝福するのを忘れてはいけない。愛は常に忍耐強く、寛大です、聖なる生活を送りなさい、あなたに示している忍耐を思い起こし、娘よ1、私の似姿となりなさい、私を信じ、希望し、愛しなさい、さあ、私の霊のうちに憩うように、最愛の者よ、私の愛を感じて、あなたの神、私を崇めなさい、「私たち」?

お包み下さっている愛に感謝します、私の霊に示されている忍耐、寛大さと慈しみを感謝します、私は主を信じ、礼拝し、主に希望をおき、愛します、アーメン。

ああ、愛する者よ! この言葉をあなたの口から聞いて、私の心は愛で大きく膨らむ2!!

ああ、神よ、どうして愛さないでいられましょう、あなたのために生きているのです。土くれに過ぎませんが、私はあなたのものです、行うすべてはあなたのため、自分の利益でなく、み名の誉れを求めています。あなたの小羊たちをみもとに連れ戻し、ご意思に従おうとしています、主よ。あなたが大切です、それで主に与えられ、お教えいただいたこの愛ゆえに願います、お望みなら、これからもずっと主の誉れとなれますように、私の信仰を深め、限りなく愛させてください、アーメン。

私の園から取った実で養う、愛する者よ、あなたを迫害する者たちの目の前で養おう、これが私の意思なるがゆえ。

主イエスよ、ありがとうございます。

与えたものをしっかりと保ち、その宝を誰にも奪われないように、私を固く信じなさい、さあ、手を取り、囁くときはよく耳を澄ませて。

私の霊がどう働くかを読むと良い – 1コリント12・1-11 私の義の杯は溢れ出す

1988年10月11日 ノート28

あなたに平和。

神に栄光!

この啓示が始まって以来伝えているが、私の教会は廃墟と化し、この廃墟の内部にマムシが巣喰い、その奥深くに居座っている。ああ 、ヴァスーラ1!! 苦しい…… 私はやって来て、私の最も神聖な秘跡にからみつき、はいずり回るへびどもを解いて、教会の外に放り出さねばならない。そして初めから教会を建て直さなければ…… 私の子よ、この荒涼とした荒野で暮らし、それに囲まれているのは、本当に困難で、恐怖に満ちている。しかし私を愛し、愛をもって私の名を崇める人びと皆のそばにいる

私は限りない富であると、私の天来の御わざを踏みにじる全ての人に思い出させたい。被造物が反逆に陥るのを見た時はいつも、みことばを運ぶ使者を送った。反逆はあなたたちの住む地を砂漠に変えてしまうゆえ。先祖たちも反逆したが、選ばれた天使たちに私が語り、メッセージを託すのを疑う、あなたの世代ほど激しく疑いはしなかった。

今日、私の子よ、教会には私を信じると主張しながら、聖霊によってあなたの時代に与えている全ての私の神聖なわざを拒む僕たちがいる! 自らの不毛により、すでに非とされており、審判の日には厳しく裁かれよう! この人びとは聖書に立ち還り、私の霊がどう働き、選ばれた者たちに与える賜を私がどう祝福するかを読むとよい。それら一切は私に由来する2。私の子よ、あなたと私、私とあなたは、この荒野、死に至る荒野を渡っている、それは合理主義、不信仰、愛の欠如、無節操、自己陶酔、虚栄と、聖霊から降る全てに対する敵意によってもたらされた荒野でもある、彼らは聞こうとしない頑なな態度によって、非とされている、私の聖霊による御わざを拒む者は誰であっても、私を拒んでいる、聖霊と私は一つであり、同じであるがゆえ!……

この人びとは砂漠を押しひろげ、そこでは何も育たないように手を尽くす。花を見つけると、踏みにじり、つぶしてしまうか、わざと無視して水を与えずに、枯れさせ、捨てておく…… 私の義の杯が溢れ出し、彼らはすでに、私の義の最初の雫を感じ始めている。こうした諸々の民、特に仕えていながら、聖霊の御わざをまだ拒む僕たちに求めるのはただ一つ、光明と、さらに強い信仰が与えられるように、祈り、祈り、祈り求めること。来なさい、私の子よ、私の聖なる現存を常に思い出し、私を喜ばせなさい、

「私たち」、主よ。

愛している、そう、「私たち」。

「私たち」、

はい、聖なるお母さま。

愛は愛として戻る

1988年10月10日 ノート28

イエス様?

私です。

主は祝せられますように。

愛している、娘よ、私に与えてくれるこの信仰ゆえに。心配しなくてよい、私に依りかかり、私の心に耳を傾けなさい。この心は、あなたたち皆を探し求め、愛しているが、多くの人々に非難されている。娘よ、私から力を受けるよう、しばしば祈りなさい、私の力をいつも与えよう。この祈りを私と一緒に唱えなさい。私の再臨を求める祈りを

 「おいで下さい、主よ! 戻って来てください、

この荒野から叫ぶ悲しみの声をお聞きください。

私たちの渇きを感じ、あわれんでください、

戻って来てください、来て、すべての邪悪さを

拭い去り、

愛に置き換えてください、
アーメン」

そしてこの祈りを受けて、愛である私は愛として戻ると答えるのを聞くだろう。あと少しだけ、愛する者たちよ、忍耐して待ちなさい、あと少ししたら戻って来る。

警戒して見張っていなさい、私の再臨は突然訪れる。そこで心を整え、悔い改め、清い心で主なる私に顔を向けるように。そうするなら地上の影があなたをおびえさせることはなく、暗黒の時に恐怖を感じることもない。この死の沈黙のさ中にも、落胆や苦悩を感じないだろう。さあ、私の声に耳を澄ませなさい。その言葉に耳を傾けるなら、私の被造界全体を闇が覆う時、慰めとなろう。

あなたたちに心から言っておく、この時はいまやあなたたちからそれほど遠くない。愛である私は、私を愛する皆を引き寄せて恐れを軽くする、私の愛で覆い、私の心をもって慰める、彼らは私のうちに隠れ家を見いだそう。

悲しいかな! 心の準備がなく、私を愛したことがない者たちは! 自らの罪業によって死に、その罪の重荷で窒息し、塵の中に横たわろう! 彼らは第二の龍に助けを借りて、私の聖なる名を汚したゆえ。その龍とは黒衣をまとい、光の対極に立つもの。

ああ、被造物よ! 分別を失った被造物よ1! なんと哀れな。私にやさしい眼差しを一度でも向けなさい、そうするならあなたを解き放つだろう。生まれた日から、あなたが神なき者となることは知っていた、それでも、私はそれを忘れて話し合いたいと望んでいる。あなたのへその緒はまだ私に繋がれている。あなたは誤った道に連れて行かれたが、もし罪を犯すのはもうやめると言うなら、そう言ってくれさえすれば、愛である私は、きっとあなたを救い出そう。私の子よ、前もって私のゆるしを保証する、もうこれ以上私を挑発してはならない、私のもとに帰って来なさい、そうしたら真に私の平和を与える。

さあ、娘よ、その手を使わせてくれるあなたを祝福しよう。どんなに愛しているか! ああ、娘よ、大いに満足している、いつでも呼びかけ、愛をもって私を愛撫し、歓ばせなさい。私の痛みを軽くし、愛することで、私の怒りを鎮めなさい。花よ、あなたは無に等しいゆえ、私の王宮にいるのを許している。だから無のままでいなさい、私の平和を与える、「私たち、共に」?

はい、主よ。

私の現存は聖である。

戻って来て悔い改めなさい 私の霊があなたのうちに育つのを許しなさい

1988年10月5日 ノート28

わが主よ?

私です、永遠の愛で皆を愛するのは私、主です、あなたたち皆の間に、私は真に現存する、時の初めより、私の子たちが反逆に陥るたびに、主である私は、警告を与え、私のもとに連れ戻そうと、か弱い道具を通して降って来た、私、神のやり方はいつも同じであった、岩を砕く金づちのように降り、私の被造物の心を覆う固いかさぶたを砕いた、被造物が助けを必要とする時、あるいはひどく身を落し、サタンの門に限りなく近づいてしまった時はいつも、自らを現した。

私のヴァスーラ、平和と愛のメッセージ全体を通して、私は呼びかけている、戻って来て、悔い改めるようにと、苦しく悶えながら、あなたたち皆に呼びかけている、この荒野で呼びかけるが、私の声は、空しい空間にひびく木霊のように聞こえる……私が癒せるように、私の声を聞き、心を開いてくれさえすれば!

残された花を探し求めて、この広大な荒野に降って来たが、岩につまずくばかりだ、大きな期待を込めて振り向くが、私と私を愛するわずかな者たちを引き裂く、棘や茨しか見当たらない、愛を探すが、見いだすのは憎しみ、慰めを求めても、全くない、思いやりに飢え渇くが、見いだすのは侮りだけ、愛も、希望も、信仰も、この時代には見いだせない*、私を礼拝するのをやめたがゆえ。私の恐れはすべて 現実となってしまった! おお、全く信仰のない時代よ! 希望もなく! 愛もなく! あなたたちは私を礼拝するのをやめてしまい、私の聖なる名はもはや意味を失った! そう、私の名は無意味となった……私のやり方に従い、呼びかけに耳を傾けていたなら、この全ての荒野はなかった。私を愛さない兄弟たちのために祈るようにと、私を愛する者たちに頼む。あの反逆の日、荒野の中で、あの誘惑の日に、あなたたちの先祖の犯した過ちを、繰り返さないように。

* 神に対してそうしているだけでなく、私たちの間でもそのようです。

はるか昔は緑だった牧場が不毛と化し荒廃し、私の小さな群れはその羊飼いたちに打たれ、散らされた……どうして私を挑発するのか、どうして? 私を拒んだどの時代も、罰せられた、しかし自分を欺くのをやめようとしないあなたたちの心は邪悪だ、ファリサイ派の人たちより自分たちを増しだと思い、このように言う: 「あの時代にいたなら、彼らの悪行に決して加担はしなかった、信仰に救われていただろうから!」 私は今日あなたたちにこう告げる: 肉体をもってあなたたちの間にいた現実の日々と、なにも変わらない迎え方をしているではないか、その多くは内容を知ろうとしないまま、私のメッセージを非難している!!*

娘よ、私は、待ち望んでいるメシアは私であると、荒野の中を知らせに来た、しかし彼らは私を信じないで、拒み、迫害し、十字架につけた、今日聖霊が暗やみの中を、あなたたちに届こうとしておられる、しかし不従順と蓄積された罪からの誘いのためにあなたたちはその御わざに届かないでいる。

あなたたちの時代の荒廃は、他のすべての荒廃を上回っている、彼らを照らそうと降って来られた聖霊に、彼らはどうして驚き、退屈し、嫌がりさえするのか? 彼らの無気力によって、次々と砂漠が出現した! 岩また岩! この反抗的な民により、私の残されたわずかな花が踏みにじられるのを見て、息がつまり窒息しそうだ! ヴァスーラ、彼らを打たないように押しとどめる、聖なる御母のみ手がなかったなら、そして私の計りしれない慈しみによらなかったなら、義の神でもある私は、はるか以前に彼らを打っていた。この時代は、新たなソドムとゴモラを、自分たちの間に造ってしまったがゆえに。

彼らは今降りかかっている災難が、私からのものだと信じるほどになった、悪がいかに災いを引き寄せ、自分で支払った報いを今受けているとは、決して理解せずに。

私を愛するすべての人には祈り、祈り、祈ってほしい、この反逆が終わりを告げるように、友人たちには、よいわざを推し進めるようにと励ましたい**、 平和と愛の種粒を播くすべての人びとを祝福する、私に最後まで信頼なさい、またあなたたち皆を照らして下さるように、私の英知の霊に祈りなさいと、厳かに求める。彼らはいつまで聖書を分からずにいるのか? 私の秘義をいつまで脇に追いやっておくのか? 私の実は箴言の中に見いだされる、悟りなさい、そしてもし悟るのが困難であれば、悟り与える聖霊に来ていただくよう、願いなさい、秘義の多くはまだ隠されたまま、私の知恵の書のうちに表わされている***。

* 実際の啓示、ご出現や、印など。
** この啓示の翻訳、出版、配布を手伝っている全ての「新しい弟子たち」を。
*** ここで突然、再び未亡人のような感じがして、主に向かって叫びました: 「おいで下さい、主よ!」 私は主を熱望します。

愛は愛として戻り、あなたたちの間に生きると約束しよう、私の家を建て直し、新たなエルサレムを私はもたらす。それは欠けたところない都市、忠実な都市となろう、義が支配するゆえ、来なさい、収穫を刈り入れなさい、友よ、ひそかに整えたこの収穫を、刈り取るように、私のわざを集めてひろめなさい、砂漠の風に潤いをもたらし、乾いた土を湿らせて、この荒野に再びいのちを呼び戻そう、祈りなさい、私のヴァスーラ、私の再臨を求めて、

「ああ、神よ、そうです! おいで下さい! 私たちのもとに来てください、ああ、主よ、私たちのもとに戻って来てください!!」

そうする、もう間もなく、私の再臨は遠くない。全ての人に、私の再臨を求めて祈るように伝えなさい、私、主イエス・キリスト、あがない主が、破壊され、これからも破壊されるだろう全てを、建て直す、私が教会をすっかり新たにする前には、大艱難を経験することを忘れないように…… 

そこで私の子よ、石版として用いるのを許してもらいたい、平和と、愛の十字架をあなたの主、私と分かち合いなさい、「私たち」永遠に。

はい、主よ。

「私たち」?

はい、聖なるお母さま、永遠に

これから会うグループへのメッセージ。読み上げるために:

私の溢れるほどの愛によって、あなたたち一人ひとりを探し求めよう、あなたたちからそう離れてはいない、一緒に食べ……一緒に物事を行っている……だから私の現存を感じなさい、私に立ち帰るなら、私もあなたたちのもとに戻って来る*、あなたたちを励まそうとする私の現存を、多くの人は感じ取るだろう。私を探し求める者は誰であっても、私を見いだす。私の霊があなたのうちに育つのを許しなさい。手を取り、子どもたちよ、喜んでついて来るように。

私、イエスは、私の平和を与える、この世に欠けているこの平和を、あなたたちを離れたことはない、時の終わりまで、ともにいると言わなかったか? 私の聖なる現存を信じなさい、今私がここにいると信じなさい、この啓示は私の口より発せられたものゆえ。皆を愛している、あなたたち皆を祝福する、

来なさい……

* マラキ3:7。