1988年のメッセージ

私はあなたの力

1988年1月1日 in ノート20

私の神よ。

『私である。』私の手を取りなさい、さあ、もう片方の手も取って、歩きなさい!

(以前もこのようにおっしゃったことがあります。新しいテーマへと進むよう促された時に、神が私の両手を取られるという同じ幻⦅ビジョン⦆が与えられたのです。)

歩きなさい! 歩きなさい、愛する者よ、前進しなさい! 恐れることはない。私を運ぶ者としてあなたを任命した、一部の被造物のためではなく、被造物全体のために
 ヴァスーラ、見ていなさい、必ず分かるようになる。まだ私のメッセージの半分にも達していない。ヴァスーラ、あなたなしでも私は働くことができる。だが、花よ、私はあなたと私のわざを分かち合うことを喜びとする。私は神であり、私自身で十分である。あなたが新しい一歩を踏み出すたびに、それを祝福する。だから、前進しなさい、愛する者よ、私と共に進みなさい、前に進むように

全能の主よ、むねですから、前進できるように助けてください。私独りではできません。いつものように、私を運んでくださるようお願いします。私には何もできません。

ヴァスーラ、あなたを助けよう、私はあなたの力である

イエスとは救い主を意味する

1988年1月2日 in ノート20

全能の主よ、私たちが過ちに陥らないように守ってください。世の初めの時のように、たった一つの過ちが全民族を消し去り、壊滅させてしまうこともあるからです。

そうだ、ヴァスーラ、この疫病を恐れなさい。過ちは本当に汚染する疫病なのだから

私の神よ、どこかで読んだのですが、教会が私的な啓示を受け入れることを渋るのは、知るべきことはすべて既に聖書に書かれているからだということです。だから新しい啓示を受け入れないのです。新しいといっても、テーマが新しいという意味ではなく、聖書とは別のものという意味ですが。彼らは聖書以外のものを扱うことを恐れるのです。新しいもの、あるいは私的な啓示は、正道を踏み外させるのではないかと考えて。

ヴァスーラ、被造物が今にも敵のわなに陥りそうなのを目にしながら、私は走り寄って助けようともせず、ただ座って眺めているだろうか? 私が安息日にすいしゅを患っている人をいやした時のことを覚えているか? 私はファリサイ派の人々に何と尋ねたか?

主よ、聖書を確かめてみます。

では、私の言葉を取りに行きなさい

(そうしました。そしてルカ福音書14章1─6節を確認しました。)

そうだ、娘よ、私は「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」と尋ねた。しかし彼らは答えなかった。次に私は言った。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」と。彼らは今日まで答えを見いだせずにいる1
 この啓示を拒む者たちに、こんにち私は問いかけている。「あなたたちの時代に、私の今日の摂理のわざによって被造物を堕落から救うことは、私の律法に反するだろうか?」と。ヴァスーラ、私はイエス、そしてイエスとは救い主を意味する

主よ、皆に知らせ、思い出させてください、主よ、このすべてを。

愛する者よ、彼らは私の心にいばらの冠をかぶせた。私のこころは血を流している

イエスさま、彼らはそのことに気づいているのでしょうか? 

私は静かに彼らの戸口に近づき、戸をたたくことなく家に入り、私のこころを彼らに示そう。本当に誠実な者なら、過ちに気づくだろう。来なさい、娘よ。私たちで共に?

はい、主よ、一つになって。

ラザロを復活させたように、ロシアを復活させよう

1988年1月4日 in ノート20

ヴァスーラ1! ああ、ヴァスーラ! 私の愛する娘の一人が死んで横たわっている! あなたの姉妹の一人が!

主よ、それは誰ですか?

私が深く愛する娘、ロシアだ。来なさい! さあ、彼女を見せよう

(神は私を砂漠の端まで連れて行き、腕を伸ばして、はるか向こうを人差し指で指し示し、焼けつくような太陽の下で倒れて死んでいる主の娘、私の姉妹をお見せになりました。虐待によってやせ衰えた彼女の体は、荒れ野の真ん中に横たわっていました。死にひんしてさえも見捨てられたようでした。慰めてくれる者もなく、孤独な死を遂げていました。この痛々しい姿を見た時、私はかわいそうで思わず泣きだしてしまいました。彼女を見ておいおい泣きました。)

ああ、泣くな。私が彼女をよみがえらせる、ヴァスーラ。私の栄光のためによみがえらせる。ラザロを復活させたように、彼女を復活させよう

ああ、神よ、あまりにつらくて……

あなたの感じているつらさは私のつらさとは比較にならない。彼女を愛している、ヴァスーラ、あなたも彼女をあわれみなさい。彼女を死んだまま、熱風にさらしてはおかない。ヴァスーラ、あなたの姉妹を愛しなさい。彼女をあわれみ、彼女のもとに行き、愛しなさい、愛しなさい。だれからもまったく愛されていないのだから!
 ヴァスーラ、彼女は私を見捨て、背を向けた。成長し、彼女が愛する時が来ると、私に背を向けてしまった。私のマントを分かち合おうと呼びかけたが、そうはせずに、行ってしまった。大人になったと感じ、自分で自分を養っていけると信じた。私に背を向け、歩み去った。不貞の妻のごとく逃げ去ったのだ
 愛する者よ、娘を失うとはどんなことか分かるか? 私の心は引き裂かれた。私は泣いた。それではまだ不十分だとばかりに、彼女は誇らしげに、自責の念などみじんも見せず、自分の父である私とすべての殉教者の聖人に対して、公然と宣戦を布告した! 彼女はもはや私を信じなかった。私を礼拝することも、私に希望を置くことも、そして私を愛することもやめた! かつて分かち合った私との愛を忘れてしまったかのようだった
 彼女に息子や娘たちを与えたが、怒りにまかせて私の子どもたちを虐殺し、焼き尽くす献げ物のようにサタンに手渡した。そしてそれでも不十分だとばかりに、自分の望みをすべてかなえてくれるならと、サタンを頼り、彼に忠誠を誓い、私の代わりにサタンを礼拝するという契約を結んだ。サタンは、自由にふるまわせるならという条件で承諾した。そしてサタンは、彼女を私から完全に引き離した。サタンが私とのきずなを断ち切るのを彼女は許した。サタンは自分を信頼させた。裏切り者であるサタンは、私の娘をまず沼地に連れて行った。そこは、泥沼に足を取られる恐怖のために、どうしてもサタンに頼る他ない場所であった。娘はサタンにすっかり頼らせてほしいと願った
 ヴァスーラ、かつてエルサレムは、私の家、私の聖なる家から逃げ出して、道徳心のない娘となり、次から次へと子どもたちをいけにえとして献げた。私の娘であるロシアは、それと同じことをするのが賢明だと思ったのだ。私の聖なる贈り物をサタンに献げ、サタンはそのすべてを武器へと変えた。サタンは自らの栄光で彼女の目をくらませ、目が見えなくなった彼女を沼地から連れ出して、渇きで死ぬように荒れ野の中に置いた。彼女が裸で歩き、自ら流した血の中でもがくのを私は見た。彼女に呼びかけたが、聞こうとはしなかった。再び呼びかけたが、私の声を聞こうとはしない。むしろ私を挑発し、自分の道徳を支持させようと妹たちを呼びつけた。妹たちが拒むと、剣で強要した。「剣を取る者は、剣で滅びる」と私は言わなかったか?
 彼女が私のパンを必要とするように、彼女のパンを制限したが、私から食べるよりも飢えることを選んだ。力尽き、飢えながらも、邪悪な行為を秘密裏に続けようとして、妹たちを遣わした。彼女の虚栄心は、虚栄心そのものであるサタンにかき立てられていたからだ。彼女の土地には、自分を養うだけの十分な収穫もなかった。私の敵の、いわば「被扶養者」となってしまったのだ
 娘よ、ここまでにしよう。このメッセージの続きは明日にする。さあ、祝福させてほしい、娘よ
 私から糧を受けなさい。私たちで、共に?

はい、主よ。

サタンは死をもたらす実を彼女に与えた

1988年1月5日 in ノート20

1988年1月5日

(ロシアが倒れて死んでいるくだりを読み返し、つらくてまた涙があふれました。)

泣くな、ヴァスーラ。彼女をよみがえらせると言ったではないか

彼女を愛しています、主よ。かわいそうで、主よ。彼女を愛しています。

私が愛するように、彼女を愛しなさい。彼女も私の娘であり、あなたの姉妹なのだから

主よ、彼女のところに行って、よみがえらせてくださいますか? 彼女はあなたのもとに戻って来るでしょうか、ああ、主よ?

彼女のところに行って復活させ、私の家に抱えて来よう。私の子どもたちが皆、彼女を愛するように望んでいる。私たち皆の愛で、彼女を取り囲もう

私の神よ、4日のメッセージを続けるとおっしゃいましたか?

続けよう
ロシアがサタンの扶養に入ったとき、土地が不毛だったため、サタンは私の愛する者たちのために蓄えていた死をもたらす実を彼女に与えた。それはゆっくりと命を奪っていく。食べれば食べるほどもっと必要になる。死をもたらすが、ゆっくりと殺していくのだ。サタンは自分の実で彼女を養い、そして殺した。ロシアはこの実を手に握り締めたまま死んだ
ヴァスーラ、私に信頼しなさい、彼女を生き返らせよう
娘よ、落ち着きなさい、心配しないように。私の自由にさせなさい、そうすれば私のわざを成し遂げる

主よ、心配なのです。あなたはガラバンダルの子どもたちを祝福するよう、そして彼女たちにあなたのメッセージを伝えるよう私に求められました。それから、どうやって一致し始めればよいのかを権威者たちに読ませるようにと。そして、彼らにガラバンダルを聖とするように求め、ガラバンダルがファティマの続きであることを理解させなさいと。さらに、ガラバンダルの聖母の出現を尊ばず、ファティマの過ちを繰り返すことによって、どれほど聖マリアを悲しませているかを理解させなさいとおっしゃいました。ああ、主よ、そして今度はロシアです。これがあなたのしもべヨハネ・パウロ二世に宛てたものであり、このメッセージを彼に手渡さなければならないと、あなたは最初からずっとほのめかしておられました。でも私は、そのうちの一つもできていません! ことが私の上にのしかかり、あまりにも重くて、担いきれません……

さあ、言いなさい!

「……たった独りで」と言うところでした1。おゆるしください。

ヴァスーラ、私が共にこれを担っている。私の十字架をあなたと分かち合っている。ヴァスーラ、あなたをゆるそう。あなたに同じ十字架を分かち合う証人たちを与えた。このすべてを行うのはあなたではなく、主である私だということを、あなたはいつも忘れる。あなたは私を愛し、私から糧を受ければよい
さあ、あなたの耳にささやこう、愛しい者よ。喜びなさい、娘よ、時が来たのだから。私があなたを愛するように、私を愛しなさい。私はイエス・キリスト、神の愛する子、救い主。私のしるしを描きなさい

イクトゥス

私は霊である

1988年1月6日 in ノート20

イエスさま、あなた御自身の栄光の御体は苦しんでおられるのでしょうか? あなたも聖母も今は天国におられ、身体的な苦しみを超えていらっしゃるのではありませんか?

ヴァスーラ、私は肉体を持たない。私は霊である。霊であるから肉体的な痛みはない。しかし、子どもたちがサタンのわなにまっすぐ突き進んでいくのを見るとき、私の魂は聖母の魂と共に、耐え難いほどの痛みを感じる

けれども主よ、私が苦しむとき、あなたも苦しまれるのですか? 例えば、私が不当に非難されたら、あなたも苦しまれるのでしょうか?

あなたが不当に非難されるなら、私は非難した者と非難された者、両方のために苦しむ。不正はサタンから来るのだから、不当に非難する者は、サタンの手によって操られているのだ。非難された者については、犠牲となった者のために、私の心は痛む。聖書の私の言葉は真実である。私はすでに栄光を受けているが、あなたと結ばれているゆえに、あなたが感じるすべてを私も感じている

主よ、ありがとうございます。

世から引きこもることによって、あなたは神秘的に成長する

1988年1月8日 in ノート20

(神を慕い求め、神に思い焦がれる気持ちが大きく膨らんでいました。)

私を慕い求めることによって私を尊びなさい、ヴァスーラ。世から引きこもることによって、あなたは神秘的に成長し、私へとよりいっそう近づくことができる。愛する者よ、それは私の傷の奥へと入り込むことを可能にする。私の傷の奥へと入らせることによって、あなたのうちで私のわざをさらに深め、あなたの魂に欠けているものすべてを補おう。疑わないように。あなたを私のもとまで引き上げよう。私はあなたのためにこの道を選んだ。それは私の愛するすべての魂を私の受難へと導き、彼らを生き生きとした私の似姿へと変える
 さあ、来なさい、あなた自身では何もできないのだから、私が私の現存を思い出させてあげよう。いいか?

まさに、「自分ではできないと分かっています」と言おうとしていたところでした。私には良いものは何もありません。主の限りないいつくしみによって、私に欠けているものすべてを与えてくださいますよう、主よ、あなたにすっかり頼ります。

そう、良いものはみな、私から来るということを理解するように
 さあ、私たちで共に?

はい、主よ。

科学

1988年1月9日 in ノート20

主よ、せいこんを信じようとしない科学者たちについて読みました。それを受けた人々は精神を病んでおり、せいこんは暗示によって受けたのだと言っています。彼らは奇跡を信じないとはっきり認めています。このようなことはすべて自然的に説明できると言いながら、何も説明してはいません。

科学はこれからも、知者たちが私に逆らうために好んで使う武器であり続けるだろう。あなたたちの間には、決して耳を傾けようとしない魂たちがいる。私の目に最もあわれな人々だ。この失われた魂たちのために祈りなさい

私は自由に言葉を与える

1988年1月10日 in ノート20

私の神よ、私と同じようにあなたのわざを受けている魂たちがいると時々聞いて、本当に喜んでいます。方法は違っていますが、超自然的な形で受けているそうです。二人の女性が、私とほとんど同じようなメッセージを受けていると既に聞きました。ただこの方たちは、聖ヨハネのように脱魂状態のときに受けているのです! 聖霊から与えられて。

私は自由に言葉を与える。いつもそうする。私を喜ばせなさい、愛する者よ、そして私と共に祈りなさい。私の魂があなたに恵みを与えた。さあ、共に祈ろう1

「御父よ、正しいお方、
あなたの聖なるむねを喜んで行います。
前に進み、あなたの限りなく繊細なこころ
お喜ばせしたいのです。
今もあなたのうちにあるそのいばら
私の愛で取り除きましょう。
アーメン」

さあ、もう一つ祈りを教えよう、償いのためにとても効果的な祈りだ。私の後について次の言葉を唱えなさい

「あなたを信じ、礼拝し、
希望し、愛します。
アーメン」

でも主よ、それはファティマで平和の天使が教えた祈りです。

このように祈るよう、私が天使たちに教えた。そして今、このようにして償うよう、私の子どもたちに祈りを教えている

はい、主よ、
あなたはまことに私の希望、
私の幸せ、私のほほ笑みです。
あなたを信じます。
あなたは私の人生の喜び、
私のいのちです。
あなたを永遠にあがめ、礼拝します、
アーメン。

さあ、私のもとに来なさい2。そう、十字架のしるしをするように

(私は立ち上がり、主のもとに行きました。ひざまずいて十字を切りました。)

そうだ、三位一体のうちに。愛している、娘よ。私たちで共に?

はい、主よ。

彼らに伝えなさい……彼らに伝えなさい……

(このとき主は、正教会で教わった十字の切り方をするようにとおっしゃいました。それは親指と人差し指、そして中指を合わせるやり方で、三位一体を表します。三位一体を確認するやり方です。)

一致するためには、あなたたち全員が曲がらなければならない

1988年1月12日 in ノート20

主よ、私の神よ。

ヴァスーラ、助けてあげよう。三本の棒の幻(ビジョン)を覚えているか? まっすぐに立ち、硬直した棒を?

はい、主よ。覚えています。

よろしい、一致を可能とするためには、三本とも曲がらなければならない。二本だけでよいと言ったことはない。ヴァスーラ、気付いているか、あなたの神である私が、あなたたちを一致させるための完全な計画を立てていることに?

昨日のメッセージでおっしゃっていた、十字の切り方についてお尋ねしようと思っていました。

分かっている、娘よ、だからこそ、私が言う「一致するためには、あなたたち全員が曲がらなければならない」とは何を意味しているのかを理解してもらいたい。私は皆を愛しており、限りないあわれみによって、皆が一致するのを助けに来ている。
ヴァスーラ、素直な心で私を求めなさい。私は愛の神。柔和で謙遜である。一致を可能とするための私のやり方を覚えておきなさい。自己中心的な意向を捨て去りなさい。私の言葉を託し、何千もの魂を任せた者たちよ、私の声を聞き分けなさい。私の群れの長であると私が宣言した者たちよ、なぜ私のではなく、自分たちの利益を追い求めるのか? 私の小羊たちはちりぢりになっている、ちりぢりに……。
私は、花よ、あなたを通してこの世にくだり、諸国の民を集め、聖職者たちを召集し、私の愛によってあなたたちを刷新しようとしている。

主なる救い主よ、この人々はどうすれば自分の罪を知り、気づくことができるのでしょうか?

自分の罪に気づく方法は、私の意志を探し求めることである。悔い改めなさい。私のあわれみを思い巡らしなさい。私の摂理的なわざを踏みにじるのではなく、信じなさい。真心から私を礼拝しなさい。自分のことではなく、私のことを追い求めるように。

主よ、おそらく「あなたのこと」という言葉をよく理解できていないのをおゆるしください。「あなたのこと」とは、あなたが望んでおられるのは、主よ、現在散らされているあなたの群れを集めることだけだということですか?

愛する者よ、あなたでさえ私の一番の望みを理解している、だが、私の望みはそれだけではない。この啓示をもう一度読むなら分かるだろう、ヴァスーラ。

はい、主よ。

あなたを迫害する者を祝福するように思い出させよう。愛は忍耐強い、愛は情け深い。聖なる生き方をするように、あなたへの私の忍耐を考えてみなさい、娘よ1。私の似姿となりなさい、私への信仰を持ちなさい。私に希望を置き、愛するように。さあ、私のうちで休みなさい、あなたの神である私にとって心から大切な魂よ。私たちで、共に?

私を包んでくださるあなたの愛に感謝します、主よ、私の魂に対するあなたの忍耐と、情け深さ、思いやりに感謝します。あなたを信じ、礼拝し、希望し、そして愛します。アーメン。

ああ、愛する者よ! あなたの口からそれらの言葉を聞くと、私の心は愛で大きく膨らむ2

ああ神よ、どうして愛さずにいられましょう?
粘土にすぎないとしても、私はあなたのものです。
私が行うことのすべてはあなたへの愛のため。
自分のことを追い求めず、
御名の栄光を追い求めます。
あなたの小羊たちをみもとに連れ戻し、
御旨に従うことを追い求めます、主よ。
愛しています、
そしてあなたから与えられ、教えられて
あなたを愛するようになったこの愛ゆえに、
お願いします、お望みでしたら、
私の信仰を強め、
限りなくあなたを愛せるよう、
あなたの栄光をたたえ続けることが
できるようにしてください。
アーメン。

私の園から取った実であなたを養おう。愛する者よ、あなたを迫害する者たちの目の前で養う。それが私の意志なのだから。

ありがとうございます、主イエスさま。

与えたものをしっかりと保ち、その宝をだれにも奪われないように。私を固く信じなさい。さあ、私の手を取り、私のささやきに耳を澄ませなさい。

ペトロよ! どうして私の弟子たちは、互いに敵意を抱いたまま、ちりぢりになってしまったのか?

1988年1月13日 in ノート28

主よ、多くの人々が神は不公平だと言ってあなたを非難しています。そして「もし神が存在するなら、もしいるなら……神は不公平だ」と言って背を向けようとするのです。

花よ、その人々に言う。「あなたたちが死ぬのは、自らが犯した悪の報いであり、あなたたちの棄教の実りである。悔い改めなさい、罪を捨て、私のもとに帰りなさい。そうすればあなたたちをゆるそう」
 私をあなたたちのあがない主、慰め主として見るように。私は光として、この闇に覆われた世界を照らすために来た
 私の家は混乱と論争、私欲、聖性の欠如のもとで支配されている。ペトロよ! ペトロ! なぜ、どうして私の弟子たちは、互いに敵意を抱いたまま、ちりぢりになってしまったのか? 私の手によって聖別された者、私の兄弟よ、永遠の昔からあなたを愛している
 私のこころは傷ついている。私に属する者たち、愛する私の者たちによって打ち込まれたいばらのとげによって傷ついている。あなたに私の傷ついた心を見せよう。彼らはまたも私のこころを刺し通している。血がほとばしり出ている。彼らは私を再び十字架につけている。彼らには誠実さがない。私の体は愛の欠如のために痛む。私の唇は、愛の欠如によって乾ききっている。私は渇く、愛する者よ
 彼らは私の道を忘れてしまった。私が謙遜で柔和、愛に満ちていることを忘れてしまった。私があなたたちに求めるものは愛だけだ。私があなたたちを愛するほどに、あなたたちも互いに愛し合いなさい。なぜ私の教会の中で戦うのか? なぜ私の現存の中でこのように言い争い、このように憎み合うのか? この有毒な声明のすべてはどうしてか? 彼らの聖性はどこに行ってしまったのか? なぜ私の園をなおざりにするのか? 私の小羊たちはかつてないほどちりぢりにされ、残っているわずかな小羊たちも、彼らが見捨てたために囲いから姿を消してしまうだろう
 ペトロよ、私の目は、彼らが互いに非難し合うのを見て、疲れ果てている。彼らは私の土地を荒廃させ、小羊たちに与えるものを何一つ持っていない。彼らの道は私に受け入れられるものではない。私は愛と平和を与えた。他者を裁くように教えたことはない
 ヴァスーラ、私はいつくしみのわざを行う。私のこころは血を流し、引き裂かれている。どうして彼らは私を挑発するのか? 私の光の中にいると言いながら兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいると言ったではないか? 「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」と私が言った意味を、本当に理解したのだろうか
 この言葉によって、いかに人が互いに調和を保ち、愛し合うべきかということを言ったのだ。互いに和解しなさい。私の家で供え物を献げる前に、仲直りしなさい。子よ、私の心も、最初の弟子たちの心も、愛に欠けるようなことは決してなかった

主よ、あなたのお苦しみを感じて、私の心も苦しみます。あなたの忍耐は偉大です!

ヴァスーラ、死からよみがえった私の子よ、私に信仰を持ちなさい。私に希望を置き、私を愛しなさい。主である私は、決してあなたを見捨てない

主よ、私を生き返らせてくださったように、他の子どもたちも生き返らせてください。

そうしよう、だが、それはあなたが願ったからではない。彼らを生き返らせるのは、それがかつても今も私の意志だからだ。来なさい、私の現存を忘れないように。愛する者よ、私は最後には勝利する